1.歴
その日、小綿紡希は泣いていた。
「ぶぇええええ」
その泣きっぷりといったら凄まじく、鼻を垂らし、人目もはばからず涙を流していた。
紡希の手にはタンポポがある。花壇のなかで雑草に混じって咲いてあった、ごく当たり前のそれを引っこ抜いた途端――紡希はいまのように泣き喚いたのだ。
「ぅわああああああああああああああああああん」
「ねぇ、紡希ぃ、どうしたんだよぉ。ちゃんと話してよぉ」
隣に立つ歴は途方に暮れていた。
なにせここは塩ヶ浦駅の真ん前、バスロータリーなのである。
田舎町とはいえ、駅前にはそれなりに人通りはある。道行く人に何事かとかなり見られたが、それは歴だっておんなじ気持ちだった。
なにがあったのか、一緒にいたはずの歴にだって突然すぎて、何が起こったかまるでわからないのだ。
なのに、紡希はどうしたって泣き止まない。嗚咽をあげて、肩を震わせて泣く。少し落ち着いたかと思えば、また声を上げて泣きだす。
「お、おなか痛いの?」
歴が尋ねても、紡希は泣きながら首を振るばかり。
「もしかして……またなんか視えたの?」
紡希は答えず、泣きじゃっている。
理由を話してくれる訳でもない。歴はとうとう参って、嘆息混じりに告げた。
「そろそろ泣き止んでよぉ……。その顔じゃ、長舟さんと曜さんに会えないでしょ?」
一日休みの土曜日、だった。二人はバスに乗って、塩ヶ浦まで先日のお礼に来たのだ。
歴の目的は拝み屋に会うことだったが、ついでに長舟と曜、それぞれに手土産を渡したいとも思っていた。
お世話になった人にはちゃんとお礼しなさい、というのが歴の大先生である祖母の方針だ。先日、紡希のことで色々手伝ってくれた二人の青年に、あらためて土産を持ってお礼をするべきだと歴は考えていた。
歴と紡希は、勿来駅から塩ヶ浦駅行きのバスに乗って、並んで座った。その間、紡希が歴の膝の上に乗ったお菓子の箱を怪訝そうに見ていたことに気づいた。だから説明したのだ。この間のおもたせは、拝み屋さんのぶん。長舟さんと曜さんにもお世話になったんだから、用意したんだよ、と。
そしてバスが塩ヶ浦に着いた途端――紡希はなぜか道端のタンポポを引っこ抜いて、突然泣き喚いた、という訳だ。
「困ったなぁ……」
歴は恥ずかしかったが、それ以上に困っていた。紡希がこの調子なら、今日は長舟たちの家に行くのはやめて出直そうとも考えたが、せっかく買ったお土産――運の悪いことに生菓子だ。粉砂糖がたっぷり乗ったカスタードクリームのパイ――の期限が切れてしまう。しかし紡希の涙と鼻水を抑えるテイッシュも尽きた。
歴は仕方なく、泣き続ける紡希の手を引いて、前に教えてもらった長舟の住所へ歩きだした。と――。
「よ、どした」
突然、誰かに声をかけられた。
聞き覚えのある声に、歴は周囲を見渡す。
駅のロータリー、今年の干支、亥が描かれた巨大絵馬の前の水色ベンチで、その男は悠然と座り、楽しそうにこちらへ向かって手を振っていた。
年齢は二十半ばほど。海外映画で、要人を護衛する人たちがつけるような、色の濃いサングラスをかけて素顔を隠している。
それだけでも目立つのに、男は革のジャケットにじゃらじゃらとアクセサリーがついた、いま流行りのビジュアル系のような出で立ちをしていて、さらにさらに目を引くのは、その髪の色だった。
男は若者らしい短い髪を、オレンジと赤の中間ぐらいの色に染めていた。それは歴の友達がドリンクバーで作った、オレンジジュースとトマト入り野菜ジュースのミックスを想起させた。こんな田舎町に、全く似つかわしくない姿かたちの男。
歴は――歴と紡希は、その男に見覚えがあった。
先週出会った、ヘンテコな髪の色の男。長舟のボスで、曜より広く深く、正確に視える人――。
「……拝み屋、さん?」
「そ。こっちゃ来い」
歴は紡希の手を引いて、拝み屋のもとまで歩いた。拝み屋は朗らかに言う。
「ちょうど良かったなやー。ちょうどいま、帰っどごしたんだ」
「もしかして……今日おれたちが来るの、わかってたんですか?」
「いや、たこ焼き買いさ来たどご。
そう言って、拝み屋はビニール袋に三つほど入ったパックのたこ焼きを嬉しそうに掲げて見せ、
「んで、そっち、どした」
袋を掲げた指で、紡希を示した。歴はかわりに答える。
「ずっと泣いてるんです。理由も言ってくれなくて……。ほら紡希、強く握ったとこ、タンポポの茎しおれてるよ」
「……ふぁあああ……」
すっかり茎のしおれたタンポポを見て泣き声をあげる紡希にまいりながら、歴は拝み屋に尋ねる。
「あの、拝み屋さん、テイッシュ持ってませんか?」
「はぁ、なるほど」
テイッシュについては答えず、拝み屋は紡希を見つめ、得心した表情を浮かべた。
「自分も長舟と曜さお土産ば持っていがんべとしたっけ、摘んだタンポポば殺すてしまったのか」
紡希が顔を上げた。弾みで鼻水がつぅ、と伸びる。汚い。
「わ、わかる、の?」
「どういうことですか?」
最終手段のハンカチを紡希の鼻にあてながら、歴は拝み屋に尋ねた。拝み屋は偉そうに胸を張って答える。
「俺ば誰だと思ってんのや?」
拝み屋の訛りまじりの解説を聞くに――。
紡希は歴に倣ってお土産を持っていこうとした。自分だけ手ぶらなのに焦って、そこらにあった花を摘んだ。しかし摘んだ花が死んだことを感じ取って号泣した、という訳だという。紡希も頷いて我が意を得たりと何度も頷いていた。
「それにしても、花を摘んだぐらいでそんな……いたっ!」
正直に感想を言った歴の鼻づらに、紡希からグーパンチが飛んできた。
「んー」
拝み屋は、オレンジ色の髪を一房つまんで、梳くように撫でている。困っている、というよりは、なんと説明しようか考えているといった仕草。
「……この花はよぉ、綿毛がどっかから飛んできたんだよな」
歴と紡希は、思わず顔を見合わせ、拝み屋に注目した。拝み屋は、歌うように続ける。
「んで花壇のコンクリイトさ降りて、根付いた。雨が降って
歴は唖然として拝み屋に聞いた。
「……拝み屋さんは、そんなこともわかるんですか?」
「わかるっづうか、視えるっつうかなー。紡希も視えたんだべ? この花の始めっから終が」
こくん、と紡希は頷き、鼻声で言った。
「紡希はタンポポをころした。たいざいにんだ」
「……花にも、命があるってこと?」
歴は尋ねたが、紡希はずずっと鼻をすするのみだ。かわりに拝み屋が言った。
「命ってか、魂ってか――まぁ、呼ばれっ方も考ぇ方もてんでだべな」
てんで――この地方でいうそれぞれ、という意味だ。
小さな花に命だとか、魂だとか、なんらかがある、というのを、歴は道徳の授業でしか聞いたことがない。
まるで信じられない話だったが、歴のなかにある好奇心が、とりあえず納得させていた。
そのとき、拝み屋がどっこらしょっと、と立ち上がって言った。
「んでは、その花ば送ってやっか」
「送る?」
「向こうさな」
拝み屋は、自身を
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