6.
→ユミからミキへ
ねぇ、ミキ。いま何してるの?
こっちは毎日地獄だよ。ミキがいない人生なんて生きてる意味ないよ。
会いたいよ。
返事待ってるよ。ずっと待ってる。
→ユミからミキへ
どうして一人でいっちゃったの?
なんであたしは助かったの?
→ユミからミキへ
あたしも死ねばよかったのに。
返事はない。
どれだけノートを埋めても、交換日記の片側は埋まらない。
だってミキは死んでしまったから。あたしを残して、一人で。
ぽつ、ぽつ、とノートに涙が落ちていく。
寂しさや、後悔なんて言葉じゃとても足りない。心にブラックホールが出来てしまったみたいに、小さな喜びも幸せも、何もかも吸い取っていく。
あとには真っ黒な、悪意と不安に満ちた世界だけが残って――そこまで考えて、あたしはまた嗚咽を漏らしそうになった。口元を抑えて、必死でこらえる。
まだ授業は終わっていない。暇さえあれば、ついあの日のことを考えてしまうけど、でも今はダメだ。クラスメイトに囲まれた今は。
受験が近づいてるから、今日は土曜日なのに六時間授業――涙をこらえたばかりのあたしは唇を歪めた。傍から見れば、あたしはきっと暗く自虐的な笑みを浮かべていただろう。受験? なんのために?
ミキと同じ高校に通うはずだった。受験勉強を頑張って、偏差値の高い学校にいけば、あたしたちをいじめる奴らなんていなくなる。そんな希望を抱いてたから苦手な勉強も頑張れた、のに。
一日、一時間、一分一秒が、辛くて、辛くて、たまらない。
「――……北野、おい、北野、聞いてるのか?」
「また心中のこと考えてまーす」
くすくす……。クラスメイトたちがこちらを見て笑っている。
年配の男性教師はそいつらを注意しないどころか、あたしに呆れたような視線を向けてきた。
「北野、辛いのはお前だけじゃないんだ。いつまでもメソメソ泣くな」
はい、と頷き俯いて、あたしは唇を噛んだ。
辛いのはお前だけじゃない? こいつは何を言っているんだろう。あたし以上に辛い人間なんて、この学校に存在する訳がない。少し頭を使えばわかるでしょう。あんたが黒板に書いた公式よりずっと簡単にわかるはずなのに。
教師たちはいつもそうだ。授業も生徒指導も、教科書どおり、形どおりのアドバイスをするだけ。やることをやったら、スカスカの理論武装で自己保身に走る。クラスメイトを馬鹿にする生徒よりも、彼らに弾かれる異分子が悪いという理屈。
だから、あたしたちは学校に救いがない。わかってる。わかってた。
「うわ、こいつ泣いてるよ」
「病院いったらー? ア、タ、マ、の」
あたしの瞳からあふれ出た涙を、抜け目なく見つけたクラスメイトたちの容赦ない嘲弄が聞こえる。
授業終了のチャイムがなったと同時に、あたしは席を立ってトイレに走った。
女子トイレに駆け込み、一番奥の個室に籠る。
そこが、今のあたしの唯一の逃げ場だった。
「もう……いや……。むりだ……ほんと、ほんとむり……あたし一人じゃ……生きていけないよ……」
あたしはスカートのポケットをまさぐって、そこにいつも忍ばせている立ち切れたリボンを見た。
あたしたちを強く結びつけていたはずのそれは、いまは小指ほどの長さでしかなく、糸がほつれてしまっている。けれどそれはあたしの大事なお守りであって、いまや親友の存在そのものだった。
ミキは一人で沈んだ。あたしたちは二人揃って死の安寧の世界へ飛び込んだはずなのに、どういう訳か死神はミキばかりをあの世に連れていってしまった。固く結んでいたはずのロープはほどけて、二人の魂を結びつけるはずのリボンは千切れてしまった。
今でも、思う――このリボンさえ千切れなければ、あたしたちは一緒に死ねたのに。
涙を拭って、ついでに腕時計を見た。間もなく次の授業が始まる時間だ。
授業を受けるのは苦痛で仕方ないけれど、教室に遅れて入って悪目立ちするのも嫌だった。それに、もう六時間目。これさえ乗り越えれば、明日は日曜日で一日休みだ。
気持ちをなんとか奮い立たせて、トイレの個室を出て教室に戻る。
自分の席が目に入った瞬間――あたしはその場で立ちすくんだ。
クラスメイトたち――いじめっこたちが、あたしの机に集まって何か覗きこみ、にやにやと嗤っていた。
「うわー、これ日記なんじゃね?」
「コエー」
「なんか書いてんじゃないの。“あたしはこいつらにいじめられたんですぅ”とか! 実名告発!」
「やば! 俺たち犯罪者じゃん!」
なんだっけ、なんだっけ――混乱する頭のなかで、あたしは必死に状況を整理しようとしていた。
あたしの机のうえに置いたのは、さっきまで使っていた数学のノート、いや、数学なんて勉強してる場合じゃなくて、何してたっけ、さっきのことなのに思いだせなくなってる。交換日記。――そう、ミキとの大切な思い出の――。
「あ、これ日下部も書いてるじゃん?」
「遺書だ、遺書!」
――瞬間、あたしは飛び出していた。
男子を突き飛ばして奴らの手の中にあった日記を取り戻す。胸にかき抱いて、奴らを睨みつけた。
心の中はあらゆる罵倒の単語が嵐のように吹き荒れていたが、それはあたしの身体のなかで荒れ狂うばかりで、まるで言葉にはならなかった。
男子たちは一瞬 あたしの剣幕にひるんだが、すぐに非難がましい目つきであたしを睨んできた。
「……ってえ……なにこいつ……。殴ってきたんですけど」
「うわ、暴力とかサイテーじゃん」
「誰かセンセー呼べよ」
生徒たちのざわめきに応じるように、タイミングよく女担任が教室にやってきた。あたしたちの空気に気づいて、出席簿を教卓に放り出してつかつか近寄ってくる。
「なにしてるの!」
血相を変えてあたしたちの間に割り込んだ担任は、まずあたしを見下ろして言った。
「また北野さんね。みんな受験なのよ。騒ぎを起こすのはやめなさい」
――はい、以上、という声まで聞こえてきそうだった。
それで終わり。担任はあたしだけを注意して、それみたことかと言わんばかりの表情でニヤニヤ笑うクラスメイトたちを叱りつけることもない。
あたしの全身から血の気が引いた。信じがたい状況を受け入れられず、あたしはついに抗った。
「……何言ってるの……? ねえ、先生、いったい何を言ってるの?」
思えば、教師に反抗するなんて、生まれて始めてのことだった。先生の言うことは正しい。祖父母にも親にもそう教えられてきて、バカみたいに守り続けてきたから。
そのぶんの、蓄積されたドロドロの感情が堰を切って、一気にあふれ出る。
「ミキ……放課後、先生に相談したんでしょ? いじめられてるって手紙書いて、先生と相談室に言って、解決する、なんとかするっていって。それで何が変わったの? 何も変わらなかったでしょ? 時間が解決するって言って、結局放置するだけで……そ、その時間で……ミキが……どれだけ苦しんだか……」
「仕方がないの。先生もね、忙しいから」
「いそが……」
あたしは継ぐ言葉を失った。身体はがくがく震えていた。夜の海に沈んだあの時間よりもずっと冷たく感じられた。
かわりに現れたのは、生徒という立場を超えた、深い失望と絶望だけだった。
「あんたは……あんたは何を見てきたの? そんなことしかいえないの? 大人でしょ? 教師でしょ? どうしてそんな無関心でいられるの? 生徒が死んだのに……あたしの……親友が死んだのに……」
担任は、ふう、とあからさまなため息を吐いた。
「もうわかったから」
――あたしは教室を飛び出した。
階段を駆けあがる。後ろで誰か叫んだ気がしたけど、もうどうでもよかった。
いま、はっきりわかったよ。
あたしは、生き残るんじゃなかった。
ここはバカと狂人の世界だ。
こんな世界に、あたしたちが生きる価値なんてない。
――ミキ。一緒に死のうって約束したのに。約束、破ってごめんね。
ひとりだけ生き残っちゃってごめんね。
あたしもすぐ、そっちにいくから。
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