4.


 その若い男は、お手本のようにキレイにヤンキー座りをして、猫のように大きく好奇心に満ちた瞳で、じっと紡希を見つめていた。


 黒鋼色の短髪の、若い――歴の見立てでは、たぶん、大学生ぐらいの――男だった。


 横顔だけでわかる精悍な顔立ち。真っ白な半袖のシャツから伸びたよく日焼けをした腕は、いつか教科書で見た木造彫刻のように彫りの深い筋肉をしていた。

 作業服らしき紺色のズボンの後ろから、尻尾のように突き出た木綿布は、おそらくタオルだと思う。絵にかいたような肉体労働の従事者らしき男性。


 そんな男に見つめられている紡希はというと、瞬きもせず、身動きもせず、棒を飲んだように立ち尽くしている。


 歴はふと、なにか既視感を覚えた。

「あ」

 あれだ。

 塀のうえで身体を丸めた猫が、目の前にいる虫を凝視する様に似ているのだ。


「あの、こんにちは……」

 歴は、いちおうの挨拶をしながら、猫みたいな男におそるおそる接近する。


 猫の目が、今度は歴を捉えてきた。

 少年のような好奇心に満ちた瞳を急に向けられた歴は、びくっと身を竦ませる。


「お。森からなんか拾ったっての、お前ェか?」

 男は問いながら、「よっと」と腰を上げた。


 立ち上がってみると、男はすらりとして上背が高い。歴が首を傾けて見上げるほどだったが、さほど威圧感を感じないのは、態度や声量と比べて、意外なほど細身だったからだ。近頃話題のサッカー選手のようによく日焼けして引き締まった身体は、あるいは体育の先生みたいだった。


「ハバキ――塩ヶ浦の拝み屋の使いで来た。柳原やなぎはら長舟おさふねだ」

 男はそう名乗って、歴と紡希のちょうど中間に大きな手を差し出してくる。


 ぼーっとしている紡希のかわりに、歴はこわごわと手を伸ばした。長舟の大きくてごつごつした手を、歴も握り返す。


「迫間、歴です。後ろに隠れているのは、小綿紡希」

 言いながら、歴は紡希をちらりと見た。てっきり紡希も続いて挨拶するのだろう、と思ったのだが、紡希は瞬きも身じろぎもせず硬直して、長舟に挨拶を返す様子はない。歴はかわりに言った。


「紡希は人見知りなので、ちょっと不愛想なんですけど……」

「あぁ、良っちゃ。女の子だからな、恥ずかしいんだべ。お前ェはガキにしては百点満点だけどもさ」

 長舟は快活に言って、歴が離した手に、「よし、」と追い打ちをかけるように手をはたいた。荒っぽい百点満点の証書である。


 次に長舟は、背をかがめて、紡希を覗きこんだ。端整な容姿にそぐわない、人懐っこい笑みを浮かべると、

「よろしくな、つむぎ?」

 愛嬌よく挨拶されたのに、紡希は俯いてばかりで何も言おうとしなかった。


「失礼だよ、紡希」

 さすがに礼を失した態度を歴が咎め、


 紡希の喉から、ひゅー、ひゅー、と掠れた音がするのを、聞き取った。


 紡希は、うつむき、苦しそうな喘鳴を漏らしていた。

「紡希……? どうしたの?」

 紡希は答えず、頭を前後に揺らすばかり。そのあまりの異常な様子に歴はうろたえた。


「ねぇ、やっぱり具合悪かったんじゃ……」

「待った」

 紡希に伸ばしかけた歴の手を、長舟が割りこんで制した。


「ちょっと触っぞ、お嬢ちゃん。いいか?」

 紡希は頭を揺らしながらも、頷いて了承する。


 長舟は手を伸ばし、紡希のうなじに触れ、次に額に手を置く。途端に険しい表情を見せた。

「……風邪じゃねえな」

 歴も気になって長舟と同じように紡希に手を伸ばす、途端、


「うっわ、熱っ!」

 反射的に手をひっこめた。


 紡希の首筋が、カイロで直に温めたように熱い。しかし反対に顔や額はまったく熱いとは感じなかった。子供の歴でもわかるほど、異様な状態だった。


 長舟が、交番の前に横付けしたワゴン車へ向かって声を張る。

よう! ちょい来い!」

 すると、ワゴン車の助手席が開き、中から細身の人物が姿を見せた。


「了解、長舟」

 車を降りて現れたのは、一人の若い、中性的な容姿の人物だった。


 おそらく、長舟と同世代。線が細く、肌が白く、肩口近くまで伸ばした髪は色素が薄い茶髪。くっきりとした二重は少し眠たげ。女性のような柔和な容姿だが、身に着けているのは男物の服だった。儚げな容姿は、男性であっても女性であっても、美しいと評されるだろう。

 長舟が体育の先生なら、こちらは保健の先生といった印象だった。


 その人物は、難儀そうに右足をひきずりながら歴たちのもとへ歩いてきて、柔らかな笑みを向けてきた。


「はじめまして、不来方こずかたようです。ええと、彼女は――」

 そう言って、曜と名乗った人物は少し膝を曲げて、紡希と視線を合わせた。長舟が口を挟む。

「小綿紡希」

「そう。小綿紡希さん?」


「ちが、う」

 名前を呼ばれた紡希は首を横に振って否定した。


「なに言ってんだよ」

 歴は呆れるが、曜は冷静に告げた。

「あぁ……降りてるね」

「降りてる、って……?」


「取り憑かれる、っていえば一般的にはわかりやすいかな」

 そう、こともなげに言って、曜は紡希に視線を送ったままわずかに目を細めた。柔らかな雰囲気とは裏腹に、紡希へ送る視線は研究者然として鋭かった。


 長舟が冷静に曜に問う。

「どうや?」

「……悪いものではないと思うけど、強いね。うかつに触らない方がいいと思う。ぼくはダメだ。長舟は平気かもしれないけど、ぼくの方まで渡ってくるかもしれない」

「んで、爺に任せっか」

「そうだね」


 二人にしかわからない会話を終え、次に曜は歴へと視線を向けた。

「まぁ、まず車に乗って。君は――」

「この子の友達です! 迫間歴!」

 そっか、と曜は朗らかに笑った。状況にはそぐわないが、とても優しい笑顔だった。


「じゃ、お友達くんも一緒に来てくれるととても助かる。でも、出来るだけ彼女には触らないようにしてね。理由はあとで説明するよ」

 はい、と歴は返事をして、紡希と共にワゴン車に乗りこんだ。


 長舟と曜が乗ってきたワゴン車の後部座席は、シートを回転させてボックス席にしてあった。進行方向に向かう形で紡希と歴が、運転席に背を預ける形で曜が、向かい合って座る。


 長舟の運転で、ワゴン車はゆっくりと発進した……。

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