2.

 予感というよりは確信があり、確信を覚えるには、夢のような光景だった。


 迫間歴は、小綿紡希と、彼女の机の上をまじまじと眺めた。


 机の上に置かれた紡希の両手。その間で、守られるように、紺色の紐が渦巻きを作っていた。

 そのリボン――なのか――細く、ナイロン製で、デザインらしいデザインもない、素っ気ないものだ。まるで引きちぎられたように、不自然に半ばから断ちきれていた。 


 それを見た瞬間、歴の視界は目眩を覚えたかのようにぼやけた。眼鏡の奥、瞳のさらに奥が、目の前の光景ではなく、別の場所を回想して映す。森の沼――アパートの一室――誰かの記憶のなか。


 やがて、まるで顕微鏡のピントが合うみたいに、過去の記憶と現在の光景が重なった。それを既視感というのだと、歴は生まれてはじめて悟った。


 小綿紡希が大事そうに見つめた、この一見どこにでもあるモノ――が、どこにでもない“何か”を抱えているのだと。

 まるで――そう、あの赤革の手帳のように。


 歴の疑問を読み取ったのか、紡希が補足する。

「これは、リボンです」

「はぁ」

 反射的に相槌を打ってしまってから、歴はあらためて紡希に尋ねる。

「それも……あの、深隅の森で?」


 紡希はこくりと頷いて言った。

「今朝、拾ったんです」

「今朝……」


「かわりに届けてほしいって」

「誰から? 誰に?」

 紡希は無言で首を振った。


 まだあそこに出入りしてたのか、と歴は思った、と同時に、自分の予感が当たってしまったことに居心地の悪さを感じた。


 落ち着け、と自分に言い聞かせながら、歴は、頭のなかで情報を整理することにした。

 このリボンも、手帳と同じ、自殺の名所だという深隅の森で拾ってきたモノ。


 ――いや、ただ拾ってきたのではないのかもしれない。

 そう考えた歴の背中に、ぞわりと這い上がってくるものがある。


 前と同じ?

 赤革の手帳が歴を選んだみたいに。

 紡希が、誰かに届けるために拾ったもの――? 


 だと、すれば。

「早く、しなきゃ、いけない、んです。早く、見つけてあげないと」

 紡希が、普段のぼーっと様子とは打って変わって、焦った口調で訴えてきた。歴は慌ててストップをかける。


「ちょ、っと待ってよ、紡希。今から授業でしょ? すぐにってのは無理だよ」

「……む」

「それに、見つけるってどうやって? 手がかりはあるの?」

「…………むぅ」

 紡希は、むすーっとした顔をする。


 朝の会が終わってすでに五分近く経っている。一時間目の授業が始まるまで、もう間もない。

 しかし、納得できない様子の紡希は、不満げに訴えてくる。


「でも、早く。早くしないと……」

「今日土曜日だから、授業半分でしょ。学校終わったら交番に付き合ってあげるから。それでいい?」

「……ん」


 しぶしぶ納得した様子の紡希を置いて、歴は自分の席に戻った。喉の奥からこみあげてきたため息を静かに吐き散らしながら、授業の準備を始める。


 始業のチャイムも、日直の挨拶も、先生の授業も板書も、上の空になりながら、歴の頭のなかを一つの思考が渦巻いていた。


 小綿紡希――いつもはぼんやりしているクセに、あの集中力と行動力は一体なんだというのか。深隅の森で拾ってきたモノに関して、異常とも思えるほどの熱意。だとしたら、なんのために?――


 そんなことばかり考えていると、土曜日の三時間授業は、あっという間に過ぎてしまった。

 帰りの会が終わると同時に、歴の席には友達がわっと集まってくる。


「委員長―今日ごはん食べたら遊ぼうよー」「委員長、容積の求め方、教えてー」「うわっ女子が集まってきた」「ちょっと男子、なに今の言い方!」


 歴が口を挟む間もなく、クラスメイトたちが歴の席の前で場を賑わす。土曜授業の日、恒例の光景だった。もともと、土曜の時間割は図工や生活、道徳など軽い授業が多い日だ。半分学校に遊びに来ているようなものと思っている生徒が大半で、必然的に、授業後は家に直接帰らず、友達と遊ぶ子が多いのだった。


 場が落ち着いたころ、歴は様子を見計らって、

「ごめん、みんな。実は今日予定が合って」

「え――――」

 クラスメイトたちの声が、「えー」と唱和した。合唱の練習よりはるかにキレイにハモった。


「なんだあ、つまんない!」

「委員長、また来週ねー」

「ちゃんと学校来いよー」

 好き放題に別れの挨拶をするクラスメイトたちが全員教室を出たころ、歴はようやく、紡希の席を振り返った。


「紡希、お待たせ。行こ――」

 いない。

 紡希の姿は、教室のどこにもない。


「紡希!?」

 歴はランドセルを背負い、紡希を探しに教室を飛び出した。

 紡希はすぐに見つかった。すでに昇降口を出て足早に校舎から去っていく背中を、歴は慌てて追いかけた。


「紡希―! 待っててって言ったじゃん!」

 歴は抗議するが、逆に紡希に睨まれる始末だった。

「遅い」

 おまけに怒られた。


「ご、ごめん……」

 紡希は踵を返すと、またずかずかと先を進んでいった。

 その頭は、ぐらぐら、前後に揺れている。


 歴は後を追いかけながら心配して声をかける。

「だいじょぶ? 具合悪いなら無理しないほうが……」

「大丈夫。だから早くして」

 いつになく強く冷たい口調で紡希に言われた歴は、口をつくんでその後をついていくしかないのだった。

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