1.


「……どうして、こうなっちゃうんだろう、わたし」

 ミキはそう言って、それきり口をつぐんだ。


 あたしは、膝の上で固く握りしめられたミキの手を取って、そっと両の手のひらで包んだ。

「わたし、じゃないよ、ミキ。あたしたち」


 ミキがあたしを見返した。夜の闇に溶けるはずのミキの白い顔が、力なく笑ったのがはっきりと見て取れた。あたしはことさらに明るく笑って返す。


 普段な釣り人たちが腰を下ろして、のんびりと釣り糸を垂らして魚がかかるのを待っている堤防で、あたしたち二人はぴったり並んで座り、すぐ真下に広がる夜の海を見下ろしていた。


 月明りの下で、夜の海は、音もなく律動を繰り返している。天気の良い日は青く澄んで見えるはずの海面なのに、いまは黒い巨大な生物が、あたしたちの足元でうごめいているようだった。

 

 あたしたちは、長い旅を終えたように語り合っていた。

 いや、あたしたちは本当に旅を終えようとしているのだ。


 人生という、十四年の旅を。


「まだ生きて十四年だけど……良いことなんて、なかった。だからきっと、これからも良いことはないんだと思う」


 そう語るミキの、決して長いとはいえない人生のなかに、どれだけ苦難があったのかわからない。

 でもあたしは、ミキを肯定するのだ。


「……うん、そうだね。きっとそう。ミキにも良いことがないんだから、あたしにも、きっとないんだと思うよ。これからも、ずっと」

 だってミキは、あたしの人生でたったひとりの親友だから。


 ミキはあたしを見て、もう一度力なく笑った。そしてぶるっと大きく身を震わせる。

「……寒い」

 ミキの喉からせり昇ってきた薄白の吐息は、命が怯え震えているかのように凍えていた。


 いや、本当に怯えているのかもしれない――あたしは後ろを振り返った。


 あたしたちの背後には大きな石が、よくしつけられた犬のように、身じろぎもせず出番を待っている。石にくくりつけたロープは、まずミキの腰に繋がって、そしてミキからあたしへと繋がっている。


 どこにでもある大きな石だけど、これと一緒に海に沈んだら、おしまい。

 繋がったあたしたちの身体は、二度と浮き上がることはなく、いっしょに海の奥へ沈んでいくだろう。


 でも、あたしは怖くなかった。

 一人じゃないから。


 あたしはミキの手を握って、笑いかけた。

「――ねぇミキ、あたしが渡したおまじないの本、読んだよね? 思いだせる?」


「もちろん。――『本当に仲良しの二人が同じ場所で同時に死んだら、死んだあとで魂は一つになる』、でしょ?」


「そう――」

 あたしは手首を持ちあげた。すると、手首のリボンであたしと繋がったミキの手も、自動的に持ちあがる。


 二人を繋げたこの小さなリボンが、死後も魂をくっつけるのだと、とある人が教えてくれた。そしてその人が渡してくれた本には、こうも書いてあったのだ。

 前世で近しく“終わった”魂は、来世でも縁濃く生まれてくるのだと。

 だから、怖くない。


「……ねぇ、ユミちゃん」

 ミキがそう言って、あたしの肩に頭を乗せてきた。


「ん?」

「あたしね……。――……ううん、やめた」

「なに? 言ってよぉミキ! 最期なんだからさ」

「ええー? 恥ずかしいよぉ」

「いいから!」


「……あたしね、ユミちゃんのこと、大好きだよ。本当はね、卓郎よりもずっと」

 ミキは、そうはにかんで言った。


 あたしは――駆けだして大声を上げて歓喜のままに叫び出したいのをどうにかこらえて、たったいま心のなかにほころんだ喜びのままに、ミキに応えた。


「――あたしも!」

 あたしたちは顔を合わせて笑い合った。


 ほんとに、ろくでもない人生だったと思う。

 でも、今この瞬間。あたしたちは確かに幸せだった。最低の人生だったけど、最期が良ければ全て良し。それでいいんじゃないかな、って思った。少なくともあたしは満足だった。あたしが満足なら、ミキもきっと。


 微笑みを交わしたまま、あたしたちは海へ――死の安寧の世界へと飛び込んだ。



 ……永遠に閉ざされたはずの意識が、浮き上がる。

 口の中に広がっていた塩辛いものを、あたしは一心不乱に吐き出す。鼻や口から塩辛いよだれを垂らし、あたしは起き上がった。


 天地さえわからなくなったはずのあたしを、天から注ぐ陽光が無理やり覚醒させる。見覚えのないおじさんが、あたしを見下ろして「こっちは生きてるぞ!」と誰かに叫んでいた。


 その瞬間の、足がすくむほどの絶望を、あたしは生涯忘れることは出来ないだろう。


 ――あたしはまだ、生きていた。


 でも。


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