第10話 マイクロフォン越しの天災の様な声
練習するんだ、見ていかない?とある放課後、カナイはカバンを抱えてピアノ室に行こうとする俺を誘った。
「練習? 何処で?」
「駅近くの『サウンドマニア』って楽器屋知ってる?」
俺は即座にうなづいた。登下校の道だ。そのくらいは知っている。
「あんまり大きくはないところだよね」
「うん。入り口にポスター張りまくりの店」
「あああそこね」
「そこの二階にさ、狭いんだけど一応防音効いてるスタジオがあんの。俺は知らんかったけどさ、
「へえ……」
俺は気のないあいづちを打った。
どういうつもりなんだろう、と俺は奴がピアノ室にやってくるたび思う。
ここのところ、毎日のように奴は俺をバンドに誘って、そして毎度断られている。まるでそれは 最近のあいさつか、会話に入る前の枕詞のようだった。
「どーせ暇なんだろ? お前文化祭、何も参加する予定はないっていうし」
「調べたの?」
「調べたも何も。最近うちのクラスの連中の中で、掃除が終わったらさっさと教室からカバン持って出てくのってお前くらいなもん」
「そうだっけ?」
そらとぼけて見せる。でも、ま、実際、暇は暇だったのだ。
「そういう君は、最近はライヴハウス行ってんの?」
「んにゃ」
カナイは両手を上げて目を閉じる。
「行ってる暇というか、資金がございません。俺は別に楽器新調しなかったけれどさ、その代わり、とか言ってスタジオ代が大きくのしかかって……」
そこで俺はピン、ときた。眉を寄せる。
「もしかしてさ、君、俺にもその一端担わせようって思ってない?」
「あ、ばれた?」
やれやれ。カナイは露骨に照れくさそうな顔になった。
「一体一時間いくらな訳よ」
はあ、とため息をつく。結局俺は成りゆきという奴に弱いのだ。
*
スタジオの中は、むっとした空気が漂っていた。ピアノ室のあのただっ広い、乾いた空気とはまるで逆だ。
果たしてそこに常備してある楽器に対してこの環境はいいのか! と熱弁を震いたくなるような場所に、野郎五人も集まったのだ。むさ苦しいったらありゃしない。
「ほんじゃ、やろっか~」
気の抜けたような、ここの会員になっているという今原の声で、練習が始まった。
俺は「場所のスポンサーの一人だからねっ」とカナイに言われて、スタジオの隅に陣取っていた。
広さは六畳か八畳か――― その中に、むさ苦しい男子五人。備え付けのドラムスに、ギター用ベース用のアンプが各一台。
ギターを握っていたのが、さっきの俺との会話の中にも出てきた今原。ベースは
どれもクラスメートなのだが、情けないことに、顔と名前が一致したのは今日が初めてだ。
それにしても。
この間から奴が言った通りだった。
確かにひどい。雑音騒音というものはどうものか説明せよ、と問われれば、今の俺は迷わず、この連中の出す音だ、と答えるだろう。
だが成りゆきとは恐ろしいもので、俺は結局この日、連中の練習に二時間、延々付き合っていたのだ。
曲数は三つ。古典的なUKパンクと、日本のその系統のバンドの名曲が一曲ずつ。もう一つは最近人気のある轟音バンド。
どう見てもパンクとは縁のなさそうな奴ばかりが揃っているのだが、先の二曲を選んだ理由だけはさすがの俺でも露骨に判る。コード数少なく、単調で、カッティングもそう難しくはない。
楽譜も、使っているのは、音楽雑誌の中に採譜されているもので、わざわざ「スコア譜」として買ったものではなさそうだ。おそらくは本当のスコアよりはずっと単純化されたものだろうと思われた。
それでいて、全くもってスローでスローでスローなテンポから始まることしかできない。パンクロックであるにも関わらず!
楽器隊は実にゆっくりゆっくりとスピードを上げていった。なかなか真面目な姿勢だった。そういう所が結局あの学校の生徒なのだ。練習というものの基本は掴んでいるらしい。
その甲斐あってか、三十分も同じことを繰り返していれば、ある程度形になってきた。合わせるのは初めてだと言っていたが。
「それじゃ、合わせよーぜ、
今原が奴に目線と声を送った。ああ、と奴も簡単に答えた。
「んじゃ、行くよ」
「どれ?」
今更のように訊ねる奴に、これこれ、と今原は譜面のコピーをびらびらと振る。英語曲かよ、とカナイはやや情けない顔になる。
西条が間延びした声で、ワン、ツー、とステイックを合わせる。さてどうなることやら。
だが次の瞬間、俺は本気でびっくりした。
四小節のイントロの後、ヴォーカルが入る。
その声、が。
何って言ったらいいんだろう?
天災のような声、だった。
天才ではない、天災だ。地震・雷と同じ類のものだった。
俺は思わず目を見開いていた。
こんな声、してたんだ。
普通に喋っている分だったら、普通よりはやや通る、という程度のものに過ぎない。
なのに、マイクロフォンを通すと。
急にその声は力を放った。
そういう声が時々居ると聞いたことがある。
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