第3話 この夏までは、詳しい。
カナイが背後から来襲してきた。ぐわし、と両手で俺の肩を掴み、その向こう側のポスターを見た。
「あ、俺もこれに出るのよ」
「君が?」
思わず俺は振り返っていた。
「そんな意外そうな顔せんでもいいでしょ? バンド組むの、バンド」
「バンド! 君、バンドやるの?」
「そ」
「だけど君、何か楽器できたっけ」
そういう話は、今までクラスでも聞いたことがない。
確かによく奴が、他の男子生徒とわいわいとロックの新譜がどーの、と話しているのは聞いたことがあるが、楽器の話は。
「俺はいーの。俺は歌うたうの」
「あ、なるほど」
あからさまに納得するなよ、と奴は笑った。
「でも君、声がいいから、いいかもな」
「お世辞? でもサンキュ。じゃ見てくれよな。そう言うんなら」
別にお世辞ではなかった。
*
そうこうするうちに、俺は時々カナイとは話をするようになっていた。
奴は基本的に誰にでも気さくであったし、整った顔の割には、妙に人好きさせる笑いを浮かばせることもできる。
クラスの内外、奴を好きな子は多いらしい。
だが奴自身はそれを知ってか知らずか、飄々とした態度で、誰とも付き合ってはいないらしい。
一度、意外に思って訊ねたことがある。すると奴はこう答えた。
「だってまだ面倒じゃん」
そして逆に俺が聞かれた。
「お前こそ、そういうのってないの?」
「俺? どうかな」
あ、ごまかすなんてずるい、と奴は俺を後ろから羽交い締めにした。
ごまかしたつもりはないのだが。確かにそういう相手は現在はいないのだから。いないような気がする。
「そう言えばさ、マキノ、一度お前に聞いてみたかったんだけどさ」
「何?」
廊下の、背の低い二段組のロッカーから教科書や辞書を取り出しながら奴は訊ねた。
「お前、『ACID-JAM』に行ったことある?」
「あしっどじゃむ?」
「いや、知らないならいいけど」
「行ったことあるよ。中町のライヴハウスだろ?」
俺は古語辞典と世界史年表をロッカーの上に置きながら答える。
「あ、やっぱり」
「何で?」
「いや俺さ、何かお前、どっかで見たような気がしてたんだけど。やっぱりあれ、お前だったんだ」
「へえ、いつの話?」
奴は奴で、日本史地図と用語集を出し、ロッカーをばたんと勢いよく閉める。
「今年の春の終わりから夏。特に夏休みだったかなあ。俺よく観に行ったからさあ」
「夏はね。今はそうでもない。夏休みは結構通ってたよ」
「へえ。俺はさ、正直言えば―――、なあマキノ、『RINGER』ってバンド知ってる?」
「りんがー? 名前くらいは。だけどまだあそこって、あんまり知られてないよね。君よく知ってるね」
「だって俺はファンだもん」
ほぉ、と俺は声を立てた。確かに意外だったのだ。
結成してからは結構経っているらしいけど、目立ってライヴに精出すようになったのは最近だというところ。そんなマイナーなバンドに奴が目をつけるとは。
「バンドの? それともプレイヤーの?」
「ギタリスト。あそこのギタリストの音聞いた時に、もう、わーっ! って感じだった」
わーっ、と言いながら彼は手を広げてみせた。その拍子に手にしていた用語集が通りすがりの女子に当たる。
慌ててごめん、と奴は平謝った。そして照れ隠しに笑いながら、俺に話の続きをする。
「マキノのお目当ては?」
「俺?」
「誰? 何処?」
「君、いつのライヴで俺を見かけた訳?」
「あ~」
そっか、と彼は記憶をたどり始める。
俺は奴に言われる前に、その目的を口に出した。
「『
「ああそうそうそこそこ。あそこの演奏って渋いし、上手かったよなあ」
「うん」
本当にそうだったと思う。
「結構玄人受けする音でさ」
「うん、メジャー流通はしてないけどさ、個人個人はプロのスタジオミュージシャンもやってて……」
詳しいな、と奴は感心する。そりゃそうだ。
この夏までは。
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