第3話 この夏までは、詳しい。

 カナイが背後から来襲してきた。ぐわし、と両手で俺の肩を掴み、その向こう側のポスターを見た。


「あ、俺もこれに出るのよ」

「君が?」


 思わず俺は振り返っていた。


「そんな意外そうな顔せんでもいいでしょ? バンド組むの、バンド」

「バンド! 君、バンドやるの?」

「そ」

「だけど君、何か楽器できたっけ」


 そういう話は、今までクラスでも聞いたことがない。

 確かによく奴が、他の男子生徒とわいわいとロックの新譜がどーの、と話しているのは聞いたことがあるが、楽器の話は。


「俺はいーの。俺は歌うたうの」

「あ、なるほど」


 あからさまに納得するなよ、と奴は笑った。


「でも君、声がいいから、いいかもな」

「お世辞? でもサンキュ。じゃ見てくれよな。そう言うんなら」


 別にお世辞ではなかった。



 そうこうするうちに、俺は時々カナイとは話をするようになっていた。

 奴は基本的に誰にでも気さくであったし、整った顔の割には、妙に人好きさせる笑いを浮かばせることもできる。

 クラスの内外、奴を好きな子は多いらしい。

 だが奴自身はそれを知ってか知らずか、飄々とした態度で、誰とも付き合ってはいないらしい。

 一度、意外に思って訊ねたことがある。すると奴はこう答えた。


「だってまだ面倒じゃん」


 そして逆に俺が聞かれた。


「お前こそ、そういうのってないの?」

「俺? どうかな」


 あ、ごまかすなんてずるい、と奴は俺を後ろから羽交い締めにした。

 ごまかしたつもりはないのだが。確かにそういう相手は現在はいないのだから。いないような気がする。


「そう言えばさ、マキノ、一度お前に聞いてみたかったんだけどさ」

「何?」


 廊下の、背の低い二段組のロッカーから教科書や辞書を取り出しながら奴は訊ねた。


「お前、『ACID-JAM』に行ったことある?」

「あしっどじゃむ?」

「いや、知らないならいいけど」

「行ったことあるよ。中町のライヴハウスだろ?」


 俺は古語辞典と世界史年表をロッカーの上に置きながら答える。


「あ、やっぱり」

「何で?」

「いや俺さ、何かお前、どっかで見たような気がしてたんだけど。やっぱりあれ、お前だったんだ」

「へえ、いつの話?」


 奴は奴で、日本史地図と用語集を出し、ロッカーをばたんと勢いよく閉める。


「今年の春の終わりから夏。特に夏休みだったかなあ。俺よく観に行ったからさあ」

「夏はね。今はそうでもない。夏休みは結構通ってたよ」

「へえ。俺はさ、正直言えば―――、なあマキノ、『RINGER』ってバンド知ってる?」


「りんがー? 名前くらいは。だけどまだあそこって、あんまり知られてないよね。君よく知ってるね」

「だって俺はファンだもん」


 ほぉ、と俺は声を立てた。確かに意外だったのだ。

 結成してからは結構経っているらしいけど、目立ってライヴに精出すようになったのは最近だというところ。そんなマイナーなバンドに奴が目をつけるとは。


「バンドの? それともプレイヤーの?」

「ギタリスト。あそこのギタリストの音聞いた時に、もう、わーっ! って感じだった」


 わーっ、と言いながら彼は手を広げてみせた。その拍子に手にしていた用語集が通りすがりの女子に当たる。

 慌ててごめん、と奴は平謝った。そして照れ隠しに笑いながら、俺に話の続きをする。


「マキノのお目当ては?」

「俺?」

「誰? 何処?」

「君、いつのライヴで俺を見かけた訳?」

「あ~」


 そっか、と彼は記憶をたどり始める。

 俺は奴に言われる前に、その目的を口に出した。


「『BELL-FIRSTベルファスト』を観に行ったんだ」

「ああそうそうそこそこ。あそこの演奏って渋いし、上手かったよなあ」

「うん」


 本当にそうだったと思う。


「結構玄人受けする音でさ」

「うん、メジャー流通はしてないけどさ、個人個人はプロのスタジオミュージシャンもやってて……」


 詳しいな、と奴は感心する。そりゃそうだ。

 この夏までは。

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