第7話 光の中の淡い闇は誰も気にしない

 コンコン。



 身体が驚きでビクリと揺れた。


 目が、覚めた。

 何も変わらない。

 何の変哲もない。そう、いつもの、いつも通りの朝だ。


 返事を返すことも忘れ呆然と未だに薄暗い部屋の中を眺める。

 あまりにも幻想的な、いっそ現実よりも現実的な、手の届かない夢。

 そう、あれは確かに今ここに私がいることが証明してくれる“夢”である。


「お嬢さま。」


 思考にふける一方呆然とした微睡みの夢の延長のような時がとうとうついえた。


 そろそろ、本当に返事をしなくてはならない。

 勝手に乗り込まれても、言い訳を考えるのに頭を使えるほど覚醒している訳では無いのだから。


「はい。」

「失礼致しますお嬢さま。朝でございます。お起こしの時間になりました。」


 それにしても、もう既に侍女が起こしに来る時間だったのか。

 いつもと違うこと。

 今日は髄分と目覚めがいい。

 あまりにもリアルな夢にビクリと盛大に動揺したことが加わり微睡みの余韻を楽しむ暇もなかった。

 未だに私の心臓はタカタカと忙しなく駆け回っているかのようだ。


 いつものように侍女が重厚なカーテンを開ける。

 途端に部屋に入る光をぼんやりと眺める。

 薄暗闇に慣れた目に朝日はひどく眩く夢の中のあのなんとも言えない透明な輝きを思い出した。




 開かれた窓から入る優しい風が、引かれたレースのカーテンをふわりふわりと吹き上げる。複雑なレースの網目に沿って部屋の中に影が浮び上がる。


 黄金色の朝日に包まれている室内は、あの夢ほど清らかに白くも透明でもないようだ。




 侍女が用意したベッドティーをいただく。

 鼻を抜ける爽やかな香りと舌に伝わる微かな苦味を舌の先で弄ぶ。



 あの光彩は、見当たらない...。


 なんて、くだらない。

 頭の片隅で考えたことを、速やかにティースプーンを拭いたナプキンと共に屑ゴミ入れへ。早々に考えるのを止める。


 ただの夢に未練がましく縋る私に失望を。

 そしてまた止まぬ嘲笑を自分に向けながら失望に浸りふとどこか心地よいことに気がつく。



 たかが夢。

 しかし、私の死をあんなに悲しんでくれた者がいるか。

 私はあの墓に入った亡くなった人にどうしようもない嫉妬と羨望を抱いた。本当にどうとも仕様がないのだ。どうしようもない、叶うことのない。

 死してなお、あそこまで思われる死者が羨ましい。


 私だって、...!

 罪人の死後がどのようであるかなど、想像にたやすい。


 人の死を悼む、そんなのはもちろん当たり前だ。

 しかし、罪人とは人に非ず。

 死者からの略奪は罪深いものだ。


 しかし、罪人は死者の前に罪人なのだ。

 罪人からの略奪は法外のこと。

 国とて関知しないのだ。他の誰とて関知しないものだ。

 貧しく卑しい者共が略奪を行おうとも皆見ぬ振りをするのだ。

 上位の者への怒りとともに構うものかと根こそぎ奪う。


 刑執行のあの日人々の目には憎悪と欲望の光がギラりと光り、その奥にはどろりとした汚泥に塗れたドブ色のナニカ。



 あの男の髪が、あの手入れの行き届いた艶のある黒髪であれば、なんて。





 ふと思い返しても、先ほどの夢は、分からない。何だったのだろう。

 ただ男の口の動きが、...言葉を紡いだように見えた。

 確かではないのかもしれない。しかし、その言葉だと思った。耳には届かなかったけれど、しっかりとした言葉として紡がれていなかったけれど、全てではないけれどそう聞こえた。唇が紡いだ気がした。






 一言、私の名前_____“アンヌ”と。



 隠しきれない動揺に侍女が気づいてしまった。




「どうなさいました、お嬢さま?ああ、本日は本当に楽しみですよね。待ちきれませんか?」


 柔らかく笑い、問いかける侍女に気を取り直す。


 夢が当人の欲望を糧に創られるなんてよく聞く。現に私は思った。心から、妬み嫉み。心の汚いことだ。底意地の悪さは前世からだろうか。



「そうね。今日は、なんだったかしら。」


 侍女の言う楽しみがなんなのか皆目検討もつかず話の流れのままに問いかける。

 その問いかけに対する答えを侍女は一瞬驚いたように目を見開き、そしてその次にはその表情を苦い笑いに変えて秘密を囁くようにひっそりと紡ぐ。

 その言葉に私は目を見開き、そしてゆっくりと二度瞬きをした。


 私はその答えに、そう言えばと、思い出したように戸惑った。








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元婚約者の姉になる 同画数 @doukakusu-

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