【短編】切望と、亡失と、絶望と、寝室と。
岩田 結奇
本編
切望と、亡失と、絶望と、寝室と。 作:岩田結奇
《登場人物》
男
姫
執事
悪魔
N 昔々、ある小さな小さな国のお話。その国では、若いお姫様と、若い青年が
仲よく遊んでいました。お姫様は、小さな恋をしていました。青年もきっと、
お姫様のことを慕っていました。ある日、お姫様は青年を家に招き、食事をす
ることにしました。密やかな期待、小さな冒険心、少しの緊張。そんな夜のこ
と。
《○ 城内・玄関》
男 やぁ、ごきげんよう。
姫 ごきげんよう。よく来てくださいましたわね。
執事 本日は当家の夕食にお付き合いいただきまして、重ね重ね誠にありがとうご
ざいます。当家執事として、厚く御礼申し上げます。
男 こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。
姫 由緒正しき我が家系、その本丸へ立ち入るのですから、その光栄にしっかり
貫かれていただかなくては甲斐がありませんわ。けれども、二人でゆっくり
食事をしようと思えば、こうして我が家へ招くのもやぶさかではないと言った
はずですわよ。緊張なさらないで。
男 あぁ。お邪魔します。
姫 改めて、いらっしゃいませ。
《○ 城内・食堂》
男 このスープ、とても美味しい…!
執事 (冗談めかして)当家秘伝、魔法のスープでございます。
男 (あわせて)なるほど、道理で。
姫 サンドイッチは……このサンドイッチはいかがかしら?
男 ?
執事 フフ。
男 (何かに気付いた風をして)とても僕好みで美味しいよ。毎日でも食べたいくら
いだ。
姫 本当!?
男 あぁ。ホントに。
姫 (小声で)よかった…。
男 ん?
姫 いえ、何でもないですわ。……実はそのサンドイッチ…私が一人で作りまし
たの。
男 一人でか。だから美味しいのかな?
姫 そう、かもしれませんわねっ。
《○ 城内・廊下》
《男と姫、二人で歩いている》
男 さっきは本当にごちそうさま。美味しかったよ。
姫 別にお礼なんていいんですのよ? 招いたからには満足頂かなくては、それ
こそ名折れというものですわ。
男 それでも、ありがとう。
姫 …もう。
男 ところでこれは、どこへ向かっているのかな? 遠回りしているようだけど…
姫 …私の部屋ですが、何か?
男 (照れた風で)…あ…いや、何も。……ん?
《男、四半ほど扉の開いた部屋の前で立ち止まる。中は極めて昏く見えない》
姫 ? どうかしました?
男 いや、この部屋。扉が開いてる。
姫 !? (飛びつくように扉を閉めて)何か見まして!?
男 え? いや…
姫 中にあった品物と、目が合ったりはしませんでしたか!?
男 物と、目が合う…?
姫 …この言い方に違和感があるなら、大丈夫ですわね…。……あの部屋には、
代々守られるいわくつきの物が保管されてますの。普段は絶対に扉が開いたま
まになんてなっていませんのに…。驚かせてすみません。
男 いや、気にしてないよ。さすがの家柄って感じだ。
姫 お優しいこと。さ、ここが私の私室ですわ。
《○ 城内・姫の私室》
執事 では後ほど、お休みのご用意をお持ちいたします。
《執事、退室する》
姫 今日は、その…泊まってゆかれますの?
男 …あぁ、まぁ、その……今夜は君の家にご厄介になるとは、言ってある。
姫 そう、ですの…。
男 ……。
姫 ……もう少し…
男 ?
姫 もう少し、近くに来ても良いんですのよ?
男 …もうちょっと素直に。
姫 !? ……もう、少し、近くに…来て、ください…。
男 かしこまりました。
姫 …意地が悪いんですのね。
男 好きな人には、そういうものさ。
姫 …まったく。
姫 (寝息を立てている)
男 寝ちゃったかな。……愛してる…とか、起きてる時に言うと、きっとお互い
恥ずかしがるんだろうな……。…ん?
《男、傍らの卓に目を見やる》
男 こんな本、さっきまであったかな? (本を開く)ん…うわ、うわぁぁぁ!?
《辺りに煙らしきもの充満し、中より人影現る》
悪魔 …んん? ……これは…君、まさか本当に開いてしまったのか? この、悪
魔が封じられていた本を。
男 悪魔…?
悪魔 あぁ。お初にお目にかかる。私が、悪魔です。まさか本から飛び出してくる
人間なんていないだろう?
男 あ…あ……
悪魔 とりあえずそのだらしなく呆気にとられている口を閉じたまえ。残念ながら君
はこれから、もっと呆気にとられる現実と向き合わねばならん…。
男 …どういう、ことだ?
悪魔 …少し昔話をしよう。…ある国のある伯爵は、犬を何匹か、誰にも内緒で
飼っていた。その犬たちは気は荒いが秀でるもののある奴らで、この伯爵は何
度も犬たちに助けられていた。…ある日、その犬たちの存在が周りの人間たち
に知られてしまった。周りの奴らは言った。その犬たちは危険だ、気味が悪
い、殺してしまうべきだ、と。犬たちは伯爵を信じた。しかし伯爵は…犬たち
を殺そうとした。犬たちは仕方なく、いや仕方なく伯爵を咬み殺してしまっ
た。……さぁ、そこで君に問う。悪いのは犬か? それとも伯爵か?
男 ……物事は、平衡に見るべきだ。その話だけでいえば然したる理由もなく犬
を殺そうとした伯爵も悪いし、かといって、犬たちも伯爵を殺したのは良くな
かったと、思う。
悪魔 …フン、なるほど。さて。では現実に戻るが…。私は少しばかし、スケールの
大きい悪魔でね? 私の復活は、世界中に散らばった我が下僕たちの復活でも
ある。わかりやすく言おう。あと数時間の後には世界中、ありとあらゆる所に
地獄の虫たちが湧き出て、埋め尽くし、食らい尽くし…有り体な言い方をすれ
ば、そうして世界は滅ぶ。
男 なんだと!?
悪魔 悪魔を呼び出したからには只じゃすまない。そんなことは昔々からの常識
だ。君のせいで、世界は、滅亡する。
男 そんな…いや、騙されないぞ! そうして僕をたぶらかそうとしている!
悪魔 信じてもらおうなんて思っていない。この世界がどうなろうと、私にはどちら
だっていいことだ。
男 くっ…!
悪魔 ただ。封印を解いてもらった恩返しとして余計なお節介をやくなら…世界を
救う余地は、まだ、ある。
男 なに…?
悪魔 悪魔が何を求めるか。何のために世界に現れるか。わかるか?
男 ……何故、だ?
悪魔 人間が漁や狩りに出るのと変わらない。食糧を得るためだ。そのために悪魔
は現れる。では悪魔の食糧とは何か?
男 …人間の、魂…
悪魔 ほぼ正解だ。正確には、恐怖と、魂。そして、悪魔を止めたいのなら、その
食糧を用意すればいい。一流のソムリエやウェイターのように、丁重に。そうす
れば悪魔は大人しく帰る。
男 …その悪魔とは、お前のことでいいのか?
悪魔 あぁ。私の腹を満たしてくれさえすれば、下僕どもの復活も止められる。そう
すれば世界は救われる。君が救わせる。
男 …いいだろう。お前に、この魂を差し出せば…
悪魔 あー、いやいやいや…君はどうやら一つ思い違いをしているようだ。
男 何?
悪魔 私は魂を求めていると言ったが、君の魂を求めているとは言っていない。私
にだって食の好みくらいある。
男 …どういうことだ?
悪魔 私が求めているのは、そちらで寝息を立てているお嬢さんの魂だ。君のじゃ
あない。
男 ! なんだと!?
悪魔 分かりづらかったか? 要するに、そのお嬢さんの魂を差し出せば、世界は
救われるということだ。
男 ……嘘だ…
悪魔 心外だな。悪魔は確かに嘘をつくことがあるかもしれないが、契約は守る。
守るし、守らせる。
男 そんな……
悪魔 どうした? 他人の命になった途端、及び腰じゃあないか? 君はさっき何
と言った? 物事は平衡に考えるべきだろう? 世界中の人間と、小娘一人の
命だ。簡単な算数じゃあないか。…それともやっぱり、命にも値段があるのか
なぁ? ハッハッハッハ……さぁ選べよ。さぁ、さぁ、さぁさぁ!
男 うああぁぁぁぁぁぁぁ!
悪魔 …あー、あんまり吠えるな。しょうのない奴だ。なら少しだけ、契約の内容
を変えてやろう。聞く気はあるか?
《男、怯えた目で悪魔を見つめる》
悪魔 その娘の魂を、半分だけいただく。その代わり、世界の半分を救おう。
男 魂を、半分…
悪魔 そうだ。それならその娘は、まぁ死ぬことはなかろう。
男 …魂を半分なくすと、いったいどうなる…?
悪魔 …魂を損なったものは元のままではいられない。魔道のものとして、そうだ
な…彼女の場合、不老不死の吸血鬼にでもなってしまうだろうな。
男 …そんな…
悪魔 しかし命はある。心も、記憶も変わらない。世界の半分と引き換えに、彼女
は生き長らえる。君が、その隣にいることだって…
男 ……
悪魔 選べ。世界のために彼女を失うか、彼女のために世界の半分を失うか。
男 (過呼吸気味の荒い息)
悪魔 お前の願いは、どっちだ…?
男 …僕は…僕は…彼女とともに生きたい!
悪魔 世界の半分を失っても?
男 それでもだ…!
悪魔 …誠実そうな君としては、きっと珍しく自分の欲望に素直に従ったのだろ
う。その欲望すら、果たして愛と誠のゆえだとしても。…了承した。ではまず
彼女の魂を半分、いただこう。
姫 う……ああぁぁぁぁ!
男 あぁ…
悪魔 んん…あぁ…良い魂だ。気高く、しかしほのかな欲望を含み、なんと若々し
い。…馳走であった。…さ、では次に、世界の、半分を。
男 …? な…!? なんだこの虫たちは!?
悪魔 言っただろう? 私の下僕、地獄の虫たち。
男 ばかな!? 約束が違う!
悪魔 …契約の内容をちゃんと憶えているか?
男 世界の半分と引き換えに、彼女を助けると…!
悪魔 より正確には、その女の魂を半分残す代わりに、世界を半分だけ救う、見逃
すという契約だ。
男 同じだろう! 契約なんか守ってないじゃ…(何か気付く)
悪魔 理解が遅かったな。私はあの姫の魂を残すとは言った。世界の半分を救うと
も言ったが、この国、この場所を救うなどとは一言も言っていない。
男 あ……
悪魔 悪魔は嘘をつくかもしれないが、契約は守るし、守らせる。ちなみに。君の
命の保障も契約外だ。(笑う)
男 あぁぁ…うああぁぁぁぁ…!
《男、虫に覆いつくされる》
悪魔 残念ながら君は、この世界を生きるには向いていなかったな。自己犠牲だと
か、誠実に生きるだとか、あるいは誰かを信じるだとか。それらは意外と
容易いことだ。他人を犠牲にしても、不誠実でも疑ってでも。生きる嗅覚という
ものを磨くべきだったな。ま、こんな地獄みたいな世界じゃなく、天国でゆっ
くり休みたまえ。そんな所があれば、だがね。
《執事、姫の私室に辿り着く》
執事 うあぁ…お嬢さま! お嬢さまぁ…!
悪魔 おや? またお客様か。
執事 な、なんですかあなたは!
悪魔 私はこの虫たちの主人だ。あのお嬢さんの召使いの方とお見受けする。…
ご老体。愛しきお嬢さまは、残念ながら魂を損ない魔道に堕ちた。そしてこの
足元の虫たちは魔道のものは襲わない。つまりこの国で、あのお嬢さんだけが
生き残るということだ。そこで問う。大切なお嬢さまを独り残してでも人間と
して死ぬか。魔道に堕ちてでも、残されたお嬢さまを支え続けるか。さぁ、選
べ。
執事 あぁ…あぁぁ…!
N 昔々、ある小さな小さな国のお話。その国はある日突然謎の災害に襲われ、
一夜にして滅んでしまいました。しかし、人っ子一人いなくなったはずのある
お城で、時折すすり泣く声が聞こえます。きっと、愛する人を失った悲しみと、
未来が灰色に彩られてしまった嘆きとが、涙となっているのでしょう。そん
な、ある小さな小さな国のお話。……さぁ、もう行きましょう。…それでは
みなさま、ごきげんよう。
【短編】切望と、亡失と、絶望と、寝室と。 岩田 結奇 @yuuki_I
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