転職活動のあれから 後編

 二月の二十日頃から、現場への配属と一緒に次の仕事を始めた。

 当初はどうなるかというのと、やはり新しい会社での「自社」社員と仕事をするにしても、面接の場とのギャップには随分と神経をすり減らしてしまった。

 どう人と接していいのかわからない。距離感がわからない。言葉遣いがわからない。目上の人に対してかっちりとした敬語を使うと「硬い」と言われてしまい、でも失礼にならない範囲で、その進むことも戻ることもできないコミュニケーションの袋小路に行きついてしまい、なかなかそこから抜け出すこともできなかった。

 我ながらみっともないほどにおろおろしてしまい、それまでは「有識者」であった環境から「新参者」へと変わった立場に質問の仕方も分からなくなり、久しぶりに分からないことが分からない状態にも陥り、三月の終わりくらいまではずいぶんと憂鬱な日々が続いた。


 精神的にも不安定になってしまい、精神安定剤の服薬も継続しつつ、何度か体が動かないもどかしさにも苛立ちながらも、ただ目の前にある時間と仕事をこなすだけの日々が続いていた。

 いつも気にかけてくれていた近しい友人にも、ずいぶんと迷惑をかけてしまい、何かできることはないかと思う気持ちと、何もないことへの無力感や、八つ当たり、苛立ち、そういった己の至らなさに振り回されてしまった。

 スパッと線引きもできないままグズグズと甘えてしまった。

 言い訳をするなら、自分の時間を守ることにただ必死だったのだろうと思う。

 ――本当に情けない……。


 四月。

 仕事もなんとなく慣れてきて、通院も、服薬も減っていた。

 毎週だったものが隔週、隔週だったものが月イチに変更となり、その時には処方せんに書かれる薬剤もほぼ漢方のみとなっていた。

 新しい仕事は他者からの干渉も少なく、再スタートを切ろうと考えるわたし自身のペースを掴むには重要な意味があった。

 悪く言えば、全て自分で動かなきゃいけなかったが、それまでずっと単独で動くような働き方をしてきたので、わたしに関して言えば問題がなかった。

 職場の人との距離感もよくわからないままで一言も喋ることがない日もあったが、その頃から週に数日のテレワークが入ってきたおかげで、多少は心身が楽になった。

 思えば、たまにはこうして赤裸々に、自分の恥ずかしくみっともない一面をつらつらと書き続けるというのは大切なことだったのだろう。

 だからこそ書きかけのものが何本も残っていて、それは時間が経ってしまえば恥ずかしさから読み返すのが辛い悩みや屁理屈の吐露であった。

 今でこそ更新はかなり減ってしまったが、まだ高校生だった頃から日記と称して書き続けてきたことは、自分が生きてきた証明であり、今同じような苦しみを持っている方々に気づきや共感があればいいなと思って始めたことだった。

 わたしが自分から傷口を見せ続けるという行為に意味があったかどうかの結論は、もしかしたらわたしの命の火が尽きるときまで、もしかしたらわからないのかもしれない。

 そんなカッコつけたことを、過去の話を書きながら思った。


 ふと、思い出したことがある。

 自分と関わった誰かが助かった時に、「ハルさんのおかげ」なんて言われることがたまにある。

 その時わたしはいつも「あなたが勝手に助かってるだけ」と言う。

 この言葉の元は某小説(アニメ化もしてるが)のキャラクターの台詞から来ていて、わたしが自分の価値を見出せないからこそ得た納得の答えだった。

 わたしは「感謝をするならば、わたしの行為を次の助けを求める後輩たちのために使ってほしい。恩返しという気持ちは必要ない」と答えるようにしている。

 人の感謝は気持ちは、末広がっていってほしい。

 自分に感謝を向けられるのは嬉し恥ずかしで若干はぐらかしていることは否めないが、その気持ち自体に嘘はない。

 でも、わたしに恩を感じてくれる物好きな人たちはそれもまた、うまい比喩表現が思いつかないくらいの、まさしく「微妙」というにふさわしい顔を例外なくする。

「いやぁ、そうじゃないんだけどな~……。でも、あなたがそう言うなら…」

 みたいな雰囲気だ。

 人によっては拒絶や無関心のようにも映るだろう。

 けしてそんなことはなく、わたしが持っているポリシーに従って、ただできることをやっていこうとしている行動の結果であって、わたしに対して少しでも親しみを持ってくれた人たちが、よりよい人生を迎えられることを願ってのことだ。

 それに、最後に選択をして、結果を出すのは当事者だけというのが事実だし、わたしはそれで十分だと思っている。

 勉強にしろ、仕事にしろ、なんとかしなきゃっていう本人の気持ちと行動が結果を呼ぶのだとわたしは信じている。

 彼らが勝手に救われるのと同じように、わたしもまた勝手に生きているのだ。

 感謝や恩という気持ち自体を否定するつもりはないが、形を変えるとそれが引け目や劣等感にも変わりうることを理解している。

 ゆえに、フラットな気持ちで接してもらえたら、とわたしは願ってやまない。

 どうか、自分のために時間を使ってほしい。

 それでもなおわたしと過ごす時間があるなら、それでもなお感謝をしてくれるなら、たまにわたしの愚痴を聞くために居酒屋に付き合ってくれるだけでいい。

 ただ、とりとめのない話をしてくれるだけ、聞いてくれるだけ。

 それでいい。


 きっと明日の朝読み返したら後悔するだろうから、これもわたしの”足跡”として汚く残したままで、振り返ることなく独り言を終わることにする。

 やっぱり書くのは楽しい。

 お酒が入ってひとりほろ酔い状態。

 最高の夜だね。

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