白い不敷布をたまには置いて、つまらなさと退屈を楽しむ
外に出るとき、マスクが必須になって久しい。
飛沫感染だから離れていれば大丈夫と言いながらも、頑なにその姿勢を守ろうとするのは、日本人の勤勉さ故か、単なる思考停止か、今となってはよくわからない。
かく言うわたしは、某ウイルスで騒がれる前から会社への通勤時にはマスクをしている人だが、別にこれも好きでしているわけでもなく、特に満員電車の臭いが嫌いだからだ。
冬場はちょっと暖かいし。
酒臭かったり、体臭だったり、口臭だったり、もちろんきゅんとするような匂いに出会ったときは惜しい気持ちにもなったが、前者の方が圧倒的に数が多いものだから、だいぶマシになる。
マスクってすごい。
反面、街を歩くときはどうだろう。
季節のかすかな空気をほとんど感じられなくなる。
なんだかいつも白い不敷布に覆われていると、「ああ、こんなに色に溢れているのに」と、なんだかすごく寂しい気分になる。
わたし自身、何かを書くには臭いと音って切り離せないもので、ずっとマスクをしているとそういったアンテナが立たなくなってくるのを感じる。
人の行動ばっかり、目に見えるものばかりで、全身を使えていない。
はたと、書いてるときに唐突に思い出すものたちだ。
これを呼んでくれているあなたは、通勤でも、通学でも、ゴミ捨てでもなんでもいいが、マスクを外して外に出たことはあるだろうか。
胸の奥いっぱいに、冷たい空気を吸い込んだだろうか。
たまには、マスクを外して、くすんだ白い街灯でも眺めて見てはどうだろう。
果てしなく退屈でつまらないけど、なんだか少し、わたしはゆっくり歩きたくなる。
多分、今後もマスクなしで街を歩く社会は、なかなかやって来ないだろう。
たまに「いつまでマスクしてればいいんですかね」と、問われることがある。
わたしは「仮に、明日からマスクしないでいいですよー、て言われたら。あなたはマスク外しますか?」と問い返す。
全員「いやー、外さないですね」と答えた。
そういう習慣と人の視線という同調圧力があるからだと思っている。
すぐに変える必要もないが、かといって四六時中マスクをしてなきゃダメということもないだろう。
少なくともわたしの周囲では、もう一日に何人感染した、という情報から興味を失っている。
なんとなく、そこまで過敏にならなくても大丈夫だと、肌で感じているのではないか。
メリハリをつけていかないと、ただ時間ばかりが過ぎてしまう。
今となってはマスクを外すということがある意味贅沢な楽しみなのかもしれない。
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