家族の【供養】は感謝

 突然だけれども、わたしの星座はかに座だ。

 だからかは知らないが、カニとかエビとかといった甲殻類を妙に気に入っている。

 現実にわが家にはヤドカリと、数十匹の小さいエビを育てている水槽があり、つい先日までカニも育てていた。

 あのゆったりさと、何考えてるのか分からない感じと、手渡しでエサを与えられる感じがかわいいよね。


 意味不明なくだりで星座の話から入ったところでめっちゃ勘のいい人は分かるかも知れないが、珍しくスピリチュアルな話をしようと思う。

 

 占いの九星でいうと、わたしは一白水星になる。

 一白水星は水との親和性が高いらしく、かに座なのもあってか、いやほんともうどうしようってくらい、水の生き物が好きでたまらない。

 ざっくり言えば海水魚を12年くらいは育てている。

 残念ながら、ずっとその当時から育てている子らはいないが、今育てている子らは3年くらい? は変わらず元気にしている。


 いつかはその魚たちも寿命が来ることと思っているが、ごく稀に、何も原因が分からずに死んでしまうことがある。

 そうしたときに自分の状態と照らし合わせると、大抵思い当たる『何か』がある。

 精神、身体的に調子が悪かったり、人付き合い、仕事でゴタゴタしていたり。

 そのたびにわたしはいつも、わたしと育てている『彼ら』とで妙なところの結びつきを感じる。


 というのも、それを契機に何かが変わったり、好転したり、ということが度々起こるからだ。

 言い方を変えると身代わりのような一端を担っている節があるんじゃないかと思えてならない。

 犬や、猫を迎えたことがある人も経験したことがあるかもしれない。

 『犬や猫が何か病気になってしまったのに、不思議と自分はならずに済んだ』みたいな話が。

 勘違いしないでもらいたいのは、自分が助かるために迎えるわけじゃないということ。

 あくまでも愛情を持って接していこうという姿勢はなんであっても揺らがない。

 身代わりなんていう嘘みたいな守り方をしてくれる彼らに対して、やはりしっかりと向き合って最期の最期まで面倒見るというのは最低条件だ。

 そこから先、いずれは迎える瞬間と、そのさらに先。

 全てを覚えていることは無理だろうけど、旅立った彼らをきちんと供養してやるというのは、わたし自身はとても大切なことだと捉えている。

 それは彼らの生に対しての感謝だ。


 言うまでもなく、生き物を迎えて育てるということは、彼らの生への選択肢と、時間を奪うこと。


 彼らは果たして幸せだろうか、だっただろうかと真剣に考えてみるということ。



 不思議な繋がりも、家族として迎えた生き物たちと真摯に向き合った上での最後の最後に『しょうがねぇなぁ』って与えてもらえる一抹の慈悲なんじゃないだろうかと。

 

 生き物を飼うということはいろんな心構えもあるかと思うが、単純に最期まで面倒を見るということ以外の意味。


 環境保護とかなんとかもそうだけど、それ以前にわたしは育てると決めた人の内面や意味というところを考えてもらえること、巡り合わせの意味を大切にしてもらえることを願っている

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