優しい沈黙を愛そう

 わたしは今の仕事が超がつくほど嫌いだ。

 わたしは人から得る評価が嫌いだ。

 人の視線が嫌いだ。

 どう頑張っても何も出来ないと感じる劣等な自分自身も嫌いだ。


 一瞬の思考の中でも、嫌いなモノはたくさん出てくる。

 胸に手を当ててみると、自分の気持ちの辛さ、とりわけストレスの元凶の大半は人間関係なのだと気づく。

 言い換えれば、嫌なことの大半は他人が絡んでいる。


 先に結論を言ってしまえば、生きている限りきっとそれらから逃げ出すことは出来ないから、しがみついていくしかないということ。

 少なくともわたしたちは、社会の中で生きているから。


 某有名人みたいに、だから変えられない、抜け出せないんだ、という批判は甘んじて受けるべきだ。

 だって、事実だもの。

 一部の人だけが出来るとは言わない。

 違う、そうじゃなくて。

 そもそも、わたしたちは変える気がないんだ。


 何かを変える、始めるというエネルギーは残念ながら残っていない。エコだし。

 悩まないという選択肢、嫌われるという選択肢も簡単には取れない。

 だって、気になるんだもの。

 完璧な人気者でいたいんだもの。


 責任も、立場も、勉強も、友人も、恋人も、家族も、子どもも、ペットも。

 全部投げ出して、誰も知らない何もないところへ行けたら、どんなに楽か。

 一度くらいは考えたことはあるだろう。


 もう辞めたい、勘弁してくれ、死んでしまいたい。

 そう一度くらいは考えたこともあるだろう。


 でも、どんなに濁った泥水をすすってでも、自分からは逃げられないし、生きていくことを辞めることは出来ない。

 

 ストレス発散?

 そんなのその時間だけでしょ。

 日常を見ると、解消された分の1,5倍増しのストレスが返ってくる。

 偉い人にはそれがわからんのです。


 理想は理想でいい。

 きれいごともいい。

 けれども、他人に思いつくままアドバイスされたって何一つ響きゃしないし、んなこと分かってんだよバーカ! ってなるじゃん。


 あえて言うなら、いいから少し黙ってろよと。

 黙って、そこにいてくれるだけでいいよと。

 優しさって言うのは、沈黙だとわたしは思うんだ。

 それで何かが変わるわけじゃない。

 何も言わないからこそ、人から受けた傷が癒えることもある。

 何も言わず、ただ涙を流す誰かに救われることもある。


 欲しいのは、役に立たない理想や、きれいごとじゃない。

 上っ面だけの、苦笑した言葉じゃない。


 考えても考えても分からないし、考えれば考えるほど自分が嫌いになるんだ。


 そんな自分に、「何もしない」。

 ただ、そこにいるだけ。


 それが実は辛い気持ちに痛いほど染みる優しさなんじゃないかと、唯一の肯定なんじゃないかと。

 何も出来ないままのわたしは、今少しだけ分かるようになった。


 優しい沈黙を愛そう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る