第41話 「色を認識する」ということ(まとめ)-2

 私たちに、「色」を見る力があるからこそ、それに拘ろうとする。色にデザイン性を求める。「好き」「嫌い」が存在する。そしてそれが身近に存在していたからこそ文化の中に溶け込んでおり、少しでも理解しようとしたからこそ、「色彩科学」や「色彩心理学」というものが生まれた。


 さて、ここまで読んでくれた読者諸君に質問である。

 何故、我々は「色」を認識する必要があるのだろうか?


 色々な考えがあると思うが、以下に私の考えを述べようと思う。しかし、これには明確な答えなどない。故に、私の考えはあくまでその答えの1つであることを肝に銘じてほしい。


 そして私の考えを語る前に、まずは哲学者の野矢茂樹氏のとある作品を紹介しよう。



<哲学の謎>

 夏の夕方。窓の向こう、西の空で夕立の雲が切れた。

 考察はまず夕焼けを巡って始まった。


 生物が絶滅しても夕焼けは赤いか

 地球からいっさいの生物が絶滅したとするね。


 ――いきなり、何さ。


 その時、それでも夕日はなお赤いだろうか。


 ――何か不気味な色に変わるとでも?


 いや、見るものがいなくとも夕焼けは色を持つか、ということ。


 ――もちろん、何か色を持つだろうね。例えば、核戦争の後、見られることもなく西の空が奇妙な色に染まるとか。だけど、突然どうして?


 漠然とした言い方で申し訳ないけど、例えば見ることと見られた対象ないし世界ということで、どうも釈然としない気分がある。今、西日に照らされた雲を見ていて、以前少し考えていたことを君と考えてみたくなったんだ。君は見るものがいなくとも夕焼けは何か色を持つだろうと言ったね、でも、私は持たないと思う。


 ―――どうして?


 もし、青と黄の系統しか感知しない生物だけが生き残ったらどうなる?


 ――そうしたら、なんだ、何色になるんだ?暗い緑に染まるのかな。


 その時、夕焼けの色は暗い緑色だ、と。


 ――そうなるね。


 その生物も死滅したら?


 ――そうなったら……。そうか。その時、夕焼けの色も「死滅」しちゃうのか。もう夕焼けは何色でもなくなる。


 色は対象そのものの性質ではなく、むしろ、対象とそれを見るものとの合作とでも言うべきではないか。それゆえ、見るものがいなくなったならば、物は色を失う。世界は本来、無色なのであり、色とは自分の視野に現れる性質に他ならない。そう思わないか?


(東京書籍「精選現代文」より引用 ~哲学の謎~ 著者・野矢茂樹)

 


 上記の文章は、「精選現代文」の見開きにある「思考の扉をあけよう」に掲載されていた文章である。


 この哲学的な文章が読者に問うていることは、「この世界から生物が消えたならば色は存在するのか」ということだ。そして筆者は結論として「この世から生物が消えたならば、色は存在しない」といっている。それはこの文章から分かるように、「色」はこの地球上でも宇宙でも「色として存在していない」からだ。


「色」というのは、光が物質にあたり、それを生物が持っている感覚器官が受けることによってはじめて認識される。つまり生物がいるからこそ、世界がカラフルなものとして存在しているのだ。


 そして色を認識できる生物は、人間以外にもいる。哺乳類や鳥類はもちろんのこと、虫でさえも色を認識できる。しかし、虫が見ている色の世界は、人間とは違っている。


 人は花を見るとその色とりどりの色に感動するが、虫は人と同じようには見えていない。


 彼らは花の美しさを堪能するために色を見ているのではなく、紫外線を反射しているところをどこかを見つけるためである。そして人間にとって赤い花は、彼らの目を通して見ると黄色だったりするし、人間からすると黄色一色の花も、彼らの目を通すと模様のある花だったりもする。それは人間が花を見るのと、虫たちが花を見るという行為の意味と目的が違うせいである。


 特に蜂は蜜がある場所を見つけるために、をしている。蜂の目は紫外線の反射を見分けられるようになっているのだが、それは花びらの中に紫外線を強く反射する場所があることを示している。そしてその場所こそが蜂が欲しがっている蜜がある場所であり、花粉があるところなのだ。

 なんとよくできた仕組みだろう。


 また、犬は猫よりも色彩を区別する能力が低く、その視界は常に赤っぽいといわれ、猿は人間に近い色彩感覚を持っているという。そしてこの地球上の生物の中で、最も色彩感覚に優れているのは、実は人間ではない。鳥類である。


 よくアフリカなどの緑の生い茂ったところでは、彼らの仲間の多くが派手で美しい色をしているのが見られる。そこから彼らの色彩認識能力が高いというこが分かるだろう。認識できるからこそ、彼らはあのように美しい色を纏っているのだ。


 また、彼らは人間同様に色を見ることができるほかに、紫外線も認識できる。理由まで調べられなかったが、彼らが生きていくために必要であるから備わっている能力なのだろう。


 人間は紫外線を認識できない点で、鳥類よりも色彩能力は劣っているが、だからといって私達が生活する中で紫外線を認識する能力は不要だろう。私達は生活で認識するために必要な能力を授けられ、そしてそれ以外の無駄な情報が入らないようにしてある。


 もし、私達に鳥類ほどの色彩を認識する感覚器官があったとしたならば、青い地球はもっと違ったように見え、「美しい」と思う感動が沸いてこないかもしれない。


 さらに、他者と同じ対象物を見たとしても、同じように地球が見えているのも誰一人としていないということだ。


 私が感じている「青」と、他の人が感じている「青」は似てはいるだろうが違うものだ。それは思い入れや、遺伝子レベルでの感覚器官のつくりが違ったりすることでも変わってくる。


 しかし、何といっても素晴らしいのは、私達が感覚器官を通して、この世界に「いろどり」を感じることができることだ。


 私達は目を通して、それに備わっている感覚器官を通して「色」を認識することができるからこそ、私達は世界をより深く、美しく見ることができている。


 そして色を認識することができるからこそ、絵描きたちはそれらを理解しようとした。より良い作品にするために、人々に立ち止まって見てもらうために。

 それを考え抜いた絵画だからこそ、深い趣のあるものになるのだろう。


(完)

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