第34話 光の粒-3

 色と言うのは、混ぜれば混ぜるほど暗い色になる。小学生の時、誰もが図工の時間に絵を描いたことだと思うが、その時のことを思い出してほしい。


 例えば、赤と青を混ぜれば紫になる。この時点で、出来上がった紫は原色の赤や青と比べると暗い。さらに、黄色なんかを混ぜてみよう。すると、そこに生まれる色は黒に近い黒が出来上がる。


 これが「減法混色」である。色を混ぜるごとに、色は暗くなる。


 しかし、印象派の場合「減法混色」の影響が少ない。何故なら、原色をキャンバスに載せているだけだからだ。だが、ここでまた疑問に思う人がいるかもしれない。


 紫色を作るには、赤と青を混ぜなくてはいけないではないか、と。

 それなのに、印象派では色を混ぜないという。つまり、キャンバスに赤と青をそのまま載せる。そんなことをしたら、「紫色」は出来上がらないではないか、と。


 ここで、注目したいことは「私達の目に入ってくるのは、絵の具ではなく光である」ということだ。


 私たちは目に絵の具を入れて、色を認識しているのではない。絵の具に白い光が当たり、光の中に含まれる七色の中から、物質が反射する色だけが跳ね返り、私たちの目に届いているのである。


 これを踏まえ、絵はある程度距離を離してみるものだということを念頭に置いて考えると、以下のようなことが言える。


 印象派の絵は、キャンバスから遠く離れたところで見ることで、その間で色の光が混ざり合い、画家が望んだ色が生まれ、さらには明るい画面の絵が完成するということである。


 光は前述した通り、様々な色が組み合わさって白い色になる。これを「加法混色」と言う。つまり、光は色を足せば足すほど明るくなる性質を持っているのだ。


 そしてその光の性質を上手く利用し、さらに物質が単純な色ではないということを明白にしている絵といえば、ジョルジュ・スーラーの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」だろう。


 この作品は1885年に完成し、1886年の最後の印象派展である第八回印象派展に出品されたものである。


 作品のモデルとなったグランド・ジャット島というのは、パリ北西のセーヌ河の中央にある細長い島のことだ。そこで人々が、夏の余暇を過ごす様子を描いている。


 この作品に使われている「点描」という技法は、みて分かる通り色を点でキャンバスに置くことで絵を描く手法である。それまでの印象派の人々が「筆触分割」といって筆を置くのとは違い、より小さい粒で一枚の絵を表現しているため一つの作品を創り上げるのに膨大な時間と強い根気がいる。


 しかしこの作品の中でスーラーは、その根気強さが必要の技法だけではなく、ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール著の「色彩の同時対照の法則」やオグデン・ルード著「近代色彩論」といった、色を科学的に理論づけた人々の考えを取り入れることで、この作品を完成させた。


 実はこの「点描」というのは見た人が遠くから絵をみて、離れている色を目が統合させることで見えるため、点は均一に点を打たなければならず、また全体に統一感を持たせなければいけないため、それを考えて描くのが大変なのである。


「点」という動きのないものを画面においているため、それまでの印象派と違って躍動感のない作品ではあるが、全体的に色の統一感があり、さらに物質が放っている様々な色を小さな色の粒に托すことで、柔らかい絵が目に入ってくるようになっている作品である。


【絵画】

*「グランド・ジャット島の日曜日の午後」1885年 ジョルジュ・スーラー

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