第29話 黒い服

 14世紀、ヨーロッパの人々は「ルネサンス」という、フランス語で「再生」を意味する運動を行った。それにより中世の宗教的な権威主義から開放され、人々は自由な文化を満喫していた。貴族の服装は刺繍やレースといった趣向を凝らした贅沢な服を身に纏い、キリスト教世界から解放された時代であったからこそ、動物の毛皮をまとうようにもなった。


 しかしそのルネサンスによる人文主義、そして芸術や文芸の発展が、教会の世俗化を進めさらに腐敗が進んだ。


 そして事件は起こる。

 教皇レオ10世が免罪符を販売したことについて、ルターが批判したことから1517年に宗教戦争が始まったのだ。それはヨーロッパ各地に広がり、カトリック、ルター派、カルヴァン派、イギリス国教会が交じり、激しい宗教対立を生み出した。それにより人間性の解放を謳ったルネサンスの時代が終わりを迎え、人々は華やかな衣装や意匠を凝らした服が着られなくなっていった。


 それは、カトリックと激しく対立した新教の考えである、「人間の原罪を思い起こさせる衣装や装飾は不浄なもの」、「衣服の色は、暗色や白であるべき」、「明るい色彩は不道徳」といった倫理観が要因のようである。


 ちょうどこの時期に活躍していた画家に、ティツィアーノという人物がいる。彼が描いた「自画像」は黒い服を纏っている。背景も黒いため、ティツィアーノ自身の顔が浮き出てみえる。


 この作品は画家の顔以外を黒くすることにより、その人物の内面を見せていると言われ、ティツィアーノの晩年期における精神状態を考察する上で、特に重要とされているといわれているようである。もしかしたら新教の倫理観によって、このような服装をしていた可能性もあるが、そう思っていたのは貴族などの身分の高い人々だけであるため一概には言えない。


 もう一点、黒い服を着た人を描いた作品を紹介しよう。

 「黒衣のアルバ女公爵」は、18世紀に活躍したスペインの画家であるゴヤが描いた作品である。


 このアルバ女公爵の名はマリア・デル・ピラール・カイェータという名前で、おそらくほぼ確実にゴヤと愛人関係にあったといわれる女性である。スペイン随一と言われる貴族のアルバ公爵家に生まれ、14歳のときに第13代アルバ公爵位を継承した。さらに彼女の凄いところは、公爵位を女性として継承しただけではなく、財産、家柄はもちろんのこと美貌も性格も素晴らしい人物だったようである。


 その彼女が描かれている「黒衣のアルバ女公爵」という作品だが、マリア・デル・ピラール・カイェータが喪服を着ている姿で、喪服を着ていた理由は、彼女の夫が亡くなったためのようである。


 しかし、喪服とは言えど彼女の肘から手首にかけての金色のレースで飾られた袖や、ドレスを縛っている赤い色のリボンはその黒い中でよく映える。


 実際、黒い服を着始めた人々はそれにつける装飾品が映えることがわかった。そのため、宗教戦争が収まり時代が経るにつれ、人々は新教の倫理に関係なく黒い服を着るようになっていく。



【補足】

 黒は黒土、煤、植物のタンニンなどで簡単に染められる色であったため、どの文化でも身分の低い人々はよく着ていた色である。貴族が着るとなるとしっかりと染められた黒い色が、彼らには好まれた。

(赤や青などと原理は同じ)


【絵画】

*「自画像」1565-70年頃 ティツィアーノ


*「黒衣のアルバ女侯爵」1797年 ゴヤ



【画家】

*ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488-1576)

 盛期ルネサンス期に最も活躍したイタリア出身のヴェネツィア派の画家。ティツィアーノの画風は変化し続け、ヴェネツィア派最大の特徴である色彩の魅力を存分に発揮し、その鮮やかに彩色された色彩は「色彩の錬金術」とまで呼ばれることとなった。


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