第21話 聖母マリアの青い衣
絵画の中でよく青い衣を纏っているのは、聖母マリアであろう。
聖母マリアが青い衣を纏い始めたのは、イエスの死を嘆くところを描き出したところからである。元々は12世紀前までは決まっておらず、黒や灰色や茶色すみれ色など様々あったようで、暗い色なら何でもよかったようだ。
その後、12世紀ごろに青い色が固定され、聖母マリアを描くときは大抵青い衣を着せるようになっていく。そして彼女の青い衣を染める原料として、「ラピス・ラズリ」という鉱石が必要とされた。
しかしラピス・ラズリの原産地はアフガニスタンなどの中東で、簡単に手に入るものではない。だからこそ、そこにマリアに着せる色としての価値を見出し、「ラピス・ラズリの美しい青でしか表現できない」と当時のパトロン達は思っていたようである。
さらに丁度この頃、ステンドグラスで聖母マリアを描いたものも世に出てきており、光を通す青い色が人々を魅了したため、マリアの纏った衣の青い色がよりその色の価値をあげたといわれている。では実際にそのマリアの纏っている青い衣を見てみよう。
今回はフラ・アンジェリコ作の「受胎告知」と、アントネッロ・ダ・メッシーナ作「受胎告知の聖母」の2作品を見てみようと思う。
聖母マリアを描いた作品は沢山存在しているため、作品の中で特に青が鮮やかに描かれているものを選んでみた。
まずフラ・アンジェリコの「受胎告知」の作品は、フェエゾーレ・サン・ドメニコ聖堂のために制作された祭壇画の一つといわれている。
描かれている場面は、題名からも分かるように、マリアが大天使ガブリエルに「その身に神の子であるイエスを身ごもった」ことを、伝えられているところである。大天使ガブリエルよりも左に描かれているのは、神に食べることを禁止されていた知恵の実を食べたことで、エデンの園を追放されているアダムとエヴァである。それに加えマリアに金色の光が差し込んでいる所を描きこんでいることから、イエスが神の子である正統性や絶対性を暗示させているといわれている。
この作品の中で、聖母マリアの衣を始め青色がはっきりとした色合いである。丁寧に塗られ、さらに惜しげもなく使われているその鮮やかな青は、観る人を惹きつける。
青という色は赤と同じく、庶民から王室まで着ることのできた服の色だ。しかしそれは藍がインドより輸入され、藍染めが広まったからである。その上庶民が着る藍色というのは、きちんと染められているものではなく、まだらであったり薄い青い色であった。
一方で王室や貴族などのお金を持っている人々は、高価な生地にしっかりと色が染み込んだものを着ていたため、鮮やかな青い色の服を纏っていたといわれている。
このマリアもしっかりと染められた衣を着ており、そこから生地も上質なものであると感じさせ、触ればその感触を手にすることができると思えるような感覚にさせる作品である。
もう一方、メッシーナが描いた「受胎告知の聖母」は、フラ・アンジェリコと同じ題材ではあるものの、その告知をする大天使ガブリエルがいない。この「受胎告知」というテーマでマリアが単独で描かれることは、他の画家ではいない。
この作品の青いマントはフラ・アンジェリコが描いたものよりも淡い青である。しかし、背景が黒いことからその青い色が浮き立ち、静かでマリアの動きの一瞬を捉えたように見える。そしてそれが人々を青い色に引き込んでいったのだろう。
【絵画】
*「受胎告知」1430~32年頃 フラ・アンジェリコ
*「受胎告知の聖母」1473~74年頃 アントネッロ・ダ・メッシーナ
【画家】
*フラ・アンジェリコ(ベアト・アンジェリコ)(1387~1455年)
15世紀初頭より活躍した初期ルネサンスのイタリア出身の画家。本名はグイード・ディ・ピエトロで「フラ・アンジェリコ(天使のような画僧)」は彼につけられた呼び名であるが、ここから人格者としても優秀であったことが伺える。また彼の作品は宗教的主題に限られている。
*アントネッロ・ダ・メッシーナ(1430~79年)
15世紀、メッシーナを中心に活躍したイタリアシチリア島出身の画家。ヴェネツィア派の発展において、重要な役割を果たす。
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