第17話 二分された緑のイメージ ~青春と愛 編~(part1)

 中世ヨーロッパの人々は、「緑」に対して様々な連想をしていた。


 まず、彼らは「緑」というと森を思い出す。中世の森は鹿や狐を追い狩りを行う場所だったが、グリム童話などででてくる森の話では、子供が身震いするような話ばかりが多い。それはヨーロッパの森が深く、子供が一人で入っていってしまったら戻って来られないということを、物語で分からせるためであった。


 しかし、それは子供に森に対する怖さを教えるため。よって大人たちの「緑」のイメージに「恐怖」というものはない。あるのは「青春と愛」、もしくはそれとは全く違う「安定しない」「醜い」などのイメージがあるという。


 このことについて徳井淑子氏が、「色彩の紋章」という本の中身を用いて次のように述べている。


 緑は陽気で決断力のある若者によって身につけられる。普通は帯や靴下留めなどの色として使われる。5月になれば、緑以外の色を着ていく人は見かけられないだろう。もっとも好んでこれを身に着けるのは、婚約中の、あるいは結婚したばかりの青年や娘たちである。かつては冒険を求めて行く騎士この色を身につけたものだ。虹の色のひとつである。

  

 緑色は確かに青春と愛の色であり、さらに歓喜と結婚、そして子供と5月というキーワードが並ぶことに違和感はない。とはいえ、これらの概念をいかにして緑色が獲得したのか、その経緯を探索することによってはじめて、中世人の自然感情が浮かび上がってくる。

                (徳井淑子著「色で読む中世ヨーロッパ」より)


 ここから分かることは、「緑」のイメージは、自然とのかかわりによって生まれているということ。以下に、徳井氏が考える経緯を踏まえ、私の考えをまとめていこうと思う。


 まず影響を与えたのはヨーロッパの気候。

 ヨーロッパ人は今でもそうであるが、夏が来るとバカンスを楽しむために海に出かけるなど、その季節を満喫する。それはヨーロッパには日本のようなバランスのよい四季がなく、大きく夏と冬の二つの季節で成り立っているからだ。よって彼らは、暖かくなった季節を堪能しようとするのである。その夏の始まりが、5月にあたる。


 5月になると中世ヨーロッパでは、夏を祝う「五月祭」という祭りが催しされる。それにより、人々が集まって夏の始まりを祝い、男女の交流が生まれる。


 するとここで緑に「青春と愛」というイメージが発生する。5月になると恋愛をしている人や狩りをする人は緑色の服を纏い、恋をしていることを示すことでその時期を楽しんでいたようだ。


 しかし、徳井氏の別の記述によると、当時の恋愛の到達点が結婚であったとは限らないと言う。それは単純に、政略結婚が多かったからだ。


 若者は確かに恋愛をしていた。愛し合えば結婚をしたいという気持ちもあっただろう。しかし、現実は違う。結婚は生活のため、家のため。故に恋愛をしていながらも、結婚は親の決めた人とするのが多かったようである。


 そして多くの政略結婚には愛がない。


 徳井氏が「緑」が「青春と愛」の色と言っていたが、「愛」があって結婚した人の服装が「緑」であってもいいのに、残っている資料や絵画を見ても、結婚式の場面等で緑色の服装を着て臨んでいる姿はあまり見かけられない。少なくとも私は女性が緑色のドレスを着ているのは、ほとんど見たことがない。


 それは「緑」を纏っていたら、「彼を愛している」(男性が「緑」を着ていたら「彼女を愛している」)という意味になるからだ。それを着ないということは、夫(もしくは妻)になる者に愛はないということ。


 ここから「緑」が、「愛」を連想させる色だったということがわかるのではないだろうか。

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