第15話 黄色の心理学的な意味と力から、画家の「心」を見る-2

 今度は、ゴッホとゴーギャンについて見てみよう。


 まずは、1889年に描かれた「ピエタ」について。

「ピエタ」というのは新約聖書の中に書かれている主題の一つで、磔刑に処され亡くなったイエスを、聖母マリアがその腕の中に抱くという内容である。


 しかし、ゴッホは自分で描いたイエスが彼自身を投影して描いたと言われているため、ここに描かれている「くすんだ黄色い肌をしたイエス」は、精神をおかされたゴッホといえる。


 そして、ゴーギャンが描いた「黄色いキリスト」は磔刑に処されているイエスが描かれており、その肌も黄色である。


 私ははじめてこの絵をみたとき、大層おかしな色使いをした絵であると思った。しかし、黄色という色について調べてみると、ゴーギャンは黄色を「光」としてみており、息を引き取ったキリストが、まるで光を放っているように表現したかったのではないかと思った。


 さらに、磔刑に処されたイエスの後ろには黄色い大地が広がっている。これは所々に赤い木々があることから、季節は実りある秋のことで、この黄色い大地は穀物の実りを意味しているのではないかと思った。


 お店に行けばなんでも手に入る現代とは違い、毎年の実りが次の年の生活を決めていた当時としては、穀物の実りは大きな「幸福」だったはずである。


 そこでゴーギャンはこの絵の黄色から「希望」や「幸福」を連想させたかったのではないかと私は考えた。


 そしてこの二つの作品は、面白いことにどちらもキリストを主題にしている。

 キリスト教の本質は「救い」。つまりゴーギャンもゴッホも「救い」求めていたのではないかと思われる。そして「黄色」という色は光を連想させ、さらには穀物の実り、そこから豊かな(幸福な)生活が連想できる。ゴッホもゴーギャンも最後はあまり幸福ではなかったが、だからこそ色から連想される「光」や、精神的に明るくなれる黄色を多用したのではないかと思われる。


 最近の色彩心理学の研究で分かったことであるが、子供が一番好きな色は「黄色」であるのに対し、大人が一番好まない色が「黄色」という研究があるそうだ。


 つまり、大人である二人がここまで黄色を使ったということは異常なことだったとも解釈できるが、彼らにとって心の不安をかき消してくれていたのが、黄色だったのかもしれない。


 さて、次は「緑」の項を見てみよう。


【補足】

 「黄色を沢山使うのは異常」という表現をしているが、それはゴッホとゴーギャンが「精神病に見舞われていた」という事実があったために、後付けされた話の可能性も大いにある。

 また、黄色が好きな人が異常と言っているわけでは決してない。黄色がとても好きな人は世の中には沢山いるし、ターナーのような「黄色愛好家」もいる。

 ここで言いたいのは、ゴッホとゴーギャンの心の不安を埋めてくれるのが「黄色」だったのではないか、ということ。そして、あまりにも「黄色」を使いすぎている二人の絵を研究者が見て、「心理学的に見たらこういうことではないか」という一つの考え方に過ぎない。



【絵画】

*「ピエタ」1889年 ゴッホ


*「黄色いキリスト」1889年 ゴーギャン

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