火剣
翌日、一刃は自分の作務羅衣と共に江戸城に居た。
総勢十二名の武芸者が集まっている。召還されたのは十六流派だ。明らかに尋常ではない欠員だった。正午まで待って、欠席者には戦意なしとして失格処分が言い渡された。
彼女は当代の将軍の名前を知らない。このとち狂った仕合を参画したものが誰かということなど、どうでも良かった。心の底では、壊滅状態に陥った道場さえも自身の刃を振るう理由にはならないと感じていた。この仕合を終えた後には、当然のように仕官の道が待っているだろう。一刃が講武署の誘いを
仕合が催される剣道場は、金属成分を含んだ半有機構造材・録竹で構成されており、四方を塀のように囲うつくりになっている。宝蔵院などの大刀や薙刀、管槍などの長物を使う流派や、高島を初めとする砲術遣いの機体が駆動しても、十全にその力を発揮できる広さが取られている。
(私が一回戦で当たるのは神矢流だ。二回戦で当たるのが――恐らく、心形刀流。当代の的威流の選出者では心形刀流には勝てないだろう。三回戦で当たるのは間違いなく念流だ。彼らの対戦相手は一昨日に私が闇討ちで潰しているし、事実顔を見せていない人間の方が多い。彼らの作務羅衣も投棄した。修練機さえ引っ張り出してきていないと言うことは、間違いなく戦意を喪失したとみていいだろう。そうすると、結局――私が勝ち進めば――決勝で、三界流と当たることになる)
牛の刻より、第一試合が始まった。
「蓋場流師範代、蓋場一刃。機銘は
「神矢流師範、神矢絃次朗! 機銘は
「ああ、善処しよう」
「うむ! あの武勇名高き蓋場殿と仕合えるとは、誉れ高きことだ!」
絃次朗の気風のよい声は、心なしか震えているように一刃には感じられた。
神矢流は鋭い短弓と軽い足捌きの作務羅衣遣いを主軸とする流派だ。駝鳥のような機体の下肢は、通常の作務羅衣には在りえざる域の跳躍と旋回を可能にする。近寄ってからの蹴りの出足も早いだろう。師範の絃次朗は若い。齢の程は二十一の一刃とそれほど離れてはいないはずだ。
才はある。だが、それだけの男だ。
一刃の作務羅衣の
「始めェッィ」
絃次朗が動いた。矢筒から征矢を抜く。朱塗りの短弓にぬるりと番える。
対作務羅衣式の、金属噴流を爆射する鏃だ。的中すれば、その部分から装甲ごと骨格構造が引き裂かれると一刃は踏んでいた。仕込み盾に反応装甲を追加するという策は使えない。盾を傷めてしまう。一刃には、残り二戦を無傷で勝ち上がる必要がある。故に、彼女は脇差を投擲した。
狙いは下肢。細く不安定な構造は、予期せぬ衝撃に弱い。
脇差が敵の脚に絡むがじゃんという音響と共に、鳴神の足捌きが刹那乱れた。
一刃はその時間を、何に使ったか。
どずんと地が揺れた。二つの機の甲が倒れた。上を取っているのは一刃だ。装甲と出力を強化した蓋山の左腕で、弓を持つ鳴神の右手を抑え付けている。
もとより、重量も出力も蓋山が上だ。鳴神の速さを封じられ、一瞬で地に伏せられた絃次朗には、如何様にもできなかった。
「参った。俺の負けだ」
「そうか。では死ね」
一刃は脇差を取り、装甲の隙間に思い切り刃を突き立て、抜いた。刀は血に濡れていた。彼女はいつも、倒した相手は例外なく殺している。そして、この御前試合は殺しが許される場所だ。
生死の沙汰、一切の咎めなし。剣闘紛いとはそういうことだ。
一刃は一回戦を勝った。
寅の刻より、第二回戦が始まった。
相手は来なかった。
一刃は二回戦を勝った。
卯の刻より、第三回戦が始まった。
「蓋場流師範代、蓋場一刃。機銘は
「馬庭念流筆頭、
「なんとでも言えばいい。泥まみれの剣で私に農法でも教えてみるか?」
「何故、強いのだ。お前のようなものが」
それきり竜胆は黙り、構えをとった。小太刀の二刀。二天一流のように、刃を外側に向けた状態で、上段に刃を取っている。一刃も機体を繰り、同じく上段に刀を置く。この類の殺意は身に慣れていて、産湯のように心地よかった。
「はじ」
め、の時点で、竜胆は動いている。
名に違わぬ馬の駆け出しのような低い突撃。鋼の疾風がヴおんと唸る。
重心を固め敵の初動を制す【三殺】を理念とした馬庭念流には、当然ながら組み付きの技も存在する。間合いを殺し、動きを殺し、太刀を殺す。そのような流派だ。接触距離の近さが用いる手札の多さと比例する敵の脅威を、一刃は正しく認識していた。だが退かない。蓋山の左腕の仕込み盾、そこに秘められた火薬機構が火花を散らした。發条が撃発し、爆轟の衝撃が盛り上がる装甲部を槌のように
打突盾、「
一刃の持ち込んだ武器の中で唯一、特殊な機構を備えた装備だ。
竜胆は機体を右に捻り、直撃を避けようとしていた。しかし蓋山が選んだのは、突撃してくる側頭部にあわせて横方向に殴りつけるような、粘りを効かせた打撃だ。
したたかに制御系である頭部を打たれ、銀華が横に転がる。違う。側転を機軸としたそれは、馬庭念流の受身だ。竜胆は既に次なる攻撃の態勢へ移行している。
「ぢェイッ」
銀華は太刀の剣戟範囲の外から、左右の小太刀を投擲する。これで銀華は無手だ。殺せる。一刃は防御の構えを取った。
次の瞬間、複数のことが同時に起こった。
蓋山は斜めに逸らした盾で、飛来した小太刀を弾いている。
そして、もう一本の太刀が高速で一刃に迫ってきている。銀華の背からは、録竹と銀線で造られた隠し腕が伸びていた。
一刃は反射的に柄を長く持ち、その上で刃を持つ手首を返した。重い野太刀は遠心力によって通常の返しよりも素早く内側に巻き込まれ、凶刃を叩き落した。
西洋の技法で
無手となった竜胆は、一瞬その場に立ち尽くした。取るに足らない小娘に――自身の技が全て看破された戦きか、猿知恵が見破られた動揺か。
だから一刃は、竜胆にこう訊いた。
「それで、終わりか?」
充分だった。銀華は姿勢をさらに低くした。病んだ犬のようだった。
向かって来る気だ。もはや重りにしかならぬ隠し腕を、竜胆は既に
鉄の華が散った。
その突進には、研鑽があった。正中線が振れない。体の軸は揺るがない。それは唯一にして最大の基本だ。搭乗者の身体感覚が直接投影される作務羅衣遣いにとり、均衡感覚は最も重要な機序となる。馬庭念流の、山の剣術という理念が顕れたようにも一刃には感じられた。退き下がりながら、白刃取りで防げない横方向へと野太刀を斬り払う。しかしその大きい振りは――馬庭念流の制する間合いだ。
金属の巨大な構造体でもある作務羅衣は、その四肢自体が小型の盾として機能する。竜胆は捨て身の突撃でもって、一刃に接触可能な圏内へと突入していた。
その距離、僅か一間。銀華の手甲は蓋山が持つ太刀の鍔に懸かっている。出力は重装型である蓋山が圧倒的に上だが、押し切れない。金の擦り合う音と共に、竜胆は一刃が刀を振らんとする力点を完全に制圧している。
馬庭念流、≪
超至近圏は無手の間合いだ。脚を撞木に開いて刈り技に警戒しながら、竜胆はひたすらに一刃の太刀を押し返し続け、そして遂に。
銀華が蓋山の手を振り払った。刀を逸らされた一刃には、明らかに居着きがある。それは明確な隙だ。竜胆は一刃を投げるべく、脚を一歩踏み出す。
だが――竜胆は忘れていたのだ。自身が未だ有するはずの、もう一つの武器にして、無手の間合いに置いて最大の弱点となる存在を。
瞬間、銀華の身体が浮いた。
警戒していた脚絡みではない。大腿下肢そのものを下から掬い上げるような投げ。
出力は、蓋山が圧倒的に上だ。
そして、その力の支点となっているのは――膝裏にいつの間にか差し込まれていた鞘だ。銀華が腰に挿していた、鉄の鞘。一刃は足技に敵の注意が向いたことを一瞬で見抜き、竜胆の鞘を抜き取っていた。機の体勢は既に垂直に持ち上げる投げへと移行している。竜胆は受身をとるために咄嗟に身を丸めた。制御系である頭部から落とされなければ、まだ戦える。何度でも続位付を叩き込む――そう一瞬で決める。はたして、銀華は、慣性の赴くまま宙に放られる。銀華は身を固めた。
――違う。飛距離が少なすぎる。これは、浮かせるための投げだ。
竜胆は中空で身をよじろうとした。
そして鉄の塊に押し潰された。
蓋山の仕込み盾、「不尽」の打突は――装甲が脱落した銀華の骨格を、完全に破砕している。自重の衝撃さえ含まれた打撃に、耐えうるべくもなかった。
最初から、ただの投げで終わらせるはずがない。
一刃は小さく息を吐いた。次の試合で、終わりだ。
貴様を斬る。座して待て。 一刃は心の中で、彼女にそう呼び掛けた。
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