剣法二羽流

カムリ

悲剣

 もう、気の遠くなるほど。妹を――双葉ふたばを斬っている。

 網膜に巣食う影沙奇えいしゃきが、組み込まれた仮想の妹弟子の動きを繰り返し映している。南蛮の言葉でぷろぐらむというらしかった。一刃かずは作務羅衣さむらいの手綱をぐっと握る。作務羅衣がどのような仕組みで動くのか、ということなど。一刃にとっては井戸端の飛蝗の骸よりもどうでもいいことだ。

 くろがねの機の甲が、低く身を動かす。鋭い肩組みたっくる

 あやまたず、双葉の機体がぐらりと体を崩す。


(とった)


 一刃は短い小太刀を更に短く取り、相手の甲冑の隙間に添える。何万と修練した美しい機序だ。既に、機体の鉄篭手は鍔に接触している。双葉の繰る作務羅衣は、それ自体の重みによって、自ら腹部をふかぶかと一刃の太刀に刺し込んだ。

 蓋場ふたば流、≪荒蜘蛛あらくね≫。

 一刃が編み出した無数の技、その一つだ。低い突撃によって敵を前方に崩し、短く持った太刀を鎧の間隙に突き刺す。支え持つように添える刀は、敵の重みが利するところによって、鉄の巨体の骨組みをやすやすと割り裂いてゆく。

 むろん、尋常の技ではない。だが彼女には――一刃には、相手が望みの挙動を打ち出す「崩し」の筋が、昔からよく理解できた。別段、これと言って人に教導できるほどの系が存在するわけでもない。

 ただ、一刃の世界では。

 くろがねのあらゆる挙動は、必然として手の内にあった。


 月の青い夜だった。一刃は騎航を止め、作務羅衣の天蓋を開けた。

 ぶしゅという気圧の音と共に、夜気が鞍に流れ込んでくる。

 彼女は地面に降り立った。

 金砂の髪が、光に照り果てていた。瞳は月面に茫漠と咲く花のような蒼さであり、美貌は凛々しさと儚さのあわいに掛かる月虹のようでもある。北欧の血を色濃く嗣ぐ容貌かたち以上に、あまりにそれは神仙めいていた。

 もしも時代が違えば、傾城傾国の寵姫として世に名を流すことも叶っただろう。そのような絶佳だ。

 それでも今、彼女は蓋場流筆頭剣士として――蓋場一刃ふたばかずはとしてここにいた。時は慶長九(一六〇四)年の秋。七百以上もの作務羅衣剣術流派が跋扈する時代だ。

『振りも返れば彼方、飛鳥に居りし厩戸皇の治世より、ひとの心より出で来る力場にて動かさるくろがねの甲――作務羅衣が現われ候。』

 江湖に生きる武士はみな、作務羅衣を駆り乱世を駆け抜けてきた。

 再生する冶金素材の侍鉄さむらいはがね、それを食むことで育つ半有機物質の録竹ろくしょう、録竹によって組まれる重機械の竹兎馬たけうま、とかくこの大和国は作務羅衣によって支えられてきた。

 そして徳川幕府によって治世が安定を迎えた慶長のいま、一刃たち剣術者は新たなる岐路に立たされているのだ。かつて戦国の世で無双を誇った蓋場流もその一つである。長剣と重装にて敵を破砕する北欧の傭兵剣術を取り入れた、介者の殺人剣も。斬り合いが興業と化した城下では、もはや文字通りの無用の長物だ。

 そして明日には幕府にて御前試合が始まる。

 剣術を振興させるため、武士道に則った「新たなる時代の」果たし合いを所望する──ということだったが、その実態は古代羅馬ろーまにて行われし剣闘ぐらでぃえいとの類いだ。

 作務羅衣を用いた斬り合いに手加減など不可能。まして、上層の士族はふかのように、血の臭いに飢えている──自身が成り上がった戦国のよすがを、今もなお亡霊のように求めている。

 剣に関しての天的な才を持つ一刃には、それがよく理解できていた。


(狐狸にも劣る塵屑どもめ。それほど斬り合いを所望するなら、貴様らが棒切れを持って叩き合うのが一番手っ取り早いだろうに)


 御前試合の開催それ自体は、一刃にとって何ら問題にはならない。女の身である一刃にも、作務羅衣遣いはその技術以外の一切の要求をしない。

 故に彼女には、参加者全員を殺せるという鋼のような確信があった。放たれた刺客も全て斬り、ここ数週間は口につけるものまで全て手ずから設えている。蓋場一刃。齢二十一にして、幕府剣術講部署師範方の誘いすらも蹴った太平の怪物である。だから、一刃の最大の憂いは他にあった。


(双葉)


 そう──彼女の元・妹弟子、篠咲双葉しのざきふたばのことだ。数日前、一刃が所用で道場を留守にしていた際、彼女は同情の門下生を十七人切り捨てた。そのまま蓋場道場を出奔している。殺された人々の中には、双葉と一刃を娘のように育ててきた師範も含まれている。ここで一刃が御前試合に勝たなければ、道場はどうあれ取り潰しになるだろう。女の一刃では師範になることはできない。江戸とはそういう世の中だ。

 奉行所も同心総出で下手人──というか双葉の行方を探していたが、見つかりはしないだろうと一刃は考えていた。昔から、隠れるのは得意な子だ。一刃の異人の血が人々の奇異の目を引いても、二羽だけは彼女のことを仲間として扱ってくれた。移民の親に捨てられた一刃の人生は、その時から始まっている。

 一刃は美しい唇で双葉の名前を月に向かい呟いた。稽古で何度叩きのめしても起き上がってくる彼女と彼女の作務羅衣を見て、激しい欲情の滾りに襲われたことは数知れない。一時は彼女のことを卑しくも愛しているのかと恐怖さえした。

 だが──そうではない。双葉は凡庸な存在だ。

 他流派からの執拗な囲い込みの誘いがあれば、容易く自身が生まれ育った道場を裏切るような穢れた魂だ。故に、一刃は自身の感情に愛という名前をつけることはしなかった。むしろ剣のみに生きる世界から目を背けた双葉を軽蔑さえしていた。ならばこれはどんな気持ちだろう。彼女と死合うと、胎の奥が鈍くうずくのだ。


(双葉はきっと明日の試合に来るだろう。彼女よりも強い剣士は三界流にはいないから)


 彼女が数日前から──敵対関係にある三界流さんかいりゅうと接触を図っていたのは気付いていたが、一刃は放っておいた。彼女ならば、三界道場のどのようなものがどのような数相手でも、一刀のもとに切り捨てることができる。それが双葉相手だったとしても同じことだ。

 門下生や師までを殺されたときは流石に少し冷や汗をかいたが、どのみち仇討ちの名目は立っているのだ。後々下手人も含めた三界流道場全員の首を断って、橋のたもとにでも掲げてやればそれで終わりだ。そもそも、今回の御前試合に呼ばれるような流派は言ってしまえば木っ端のようなものである。当然だ。剣闘紛いの殺し合いに柳生や円城を仕合わせるわけもない。


(殺そう。三界流のぼうふらどもは全員だ)


 一刃は体を浄めて、その晩は眠りについた。



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