第16話:教徒と騎士



「このイディス=アイギス、義によってムラクモに助太刀いたす!」


なぜここに。

それは、この場にいる全員に共通した疑問だった。


「イディス!?」

「赤の勇者……!?」


当然のように、彼らは驚愕混じりで呼び名を口にする。声に出さなかったトツカとイオもまた、同じようにその胸中には驚きが占めていた。


「――団長!」


そんな中、再び空から声が降ってくる。

ほどなくして、乗騎として調教された飛竜ワイバーンがイディスの近くに着陸した。その背に乗っているサイアが、動揺と呆れが入り混じった表情を自らの上官に向ける。


「飛竜の背から飛び降りないでください、危ないですよ!」

「なあに、ショートカットというやつだ!」


諌める言葉を無茶苦茶な理論で笑い飛ばしてから、イディスは改めて場を眺めた。

そして呆気にとられたままの一同を見た後、うむ、と納得するように頷いた。


「やはりムラクモに助太刀するのが正道に即しているな。助けに来たぞ、ムラクモ!」

「ありがたいんだが脈絡をくれ!」


イディスに負けないくらい声を張り上げながら、呆然としたままのジャンを蹴り飛ばした。


すかさずイオに近づこうとするが、その移動を遮るようにツララが放たれる。ムラクモが回避のためやむなく距離をとったのを見てから、イオはその視線を闖入者へと向けた。


「ムラクモの言う通りだな。首を突っ込んでくる以上、説明責任を果たせ」

「道理だな!とはいえ、大したことではない」


言いながら、イディスはびしりとイオを指さす。


「貴殿がキリエ殿やムラクモを利用して何かしら策を巡らせているようだったのでな!そこに義がないと判断したゆえ、こうして参上した次第である!」

「……」

「奴隷商の口を塞ぐなら、多少の手間や痕跡を勘定に入れてでも魔術で記憶操作でもすべきだったな、イオ。死という結果がなければ、私の勘にも引っかからなかったかもしれぬのに」

「奴隷商が死んだ……?」

「なんだ、調べたのか」


イディスの言葉に、ムラクモが怪訝そうに眉をひそめる。

一方のイオは、溜息混じりに肩をすくめた。


「お前もムラクモも、わたしが調査すると言えばあっさり任せてくれるだろうと踏んでいたんだが。口で言うほど信用されていなかったんだな」

「友だからこそよ。こういうことは普段ムラクモの方が気を回すのだが、今回はその余裕もなさそうだったからな。このイディス=アイギス、慣れぬ気遣いをした!」

「その結果が、か」

「うむ!一度引っかかると、今度は貴殿の説明が気になってな!」


苦々しい表情を浮かべるイオとは対照的に、イディスは豪放磊落に笑う。


「いくら貴殿が呪いを解く専門家とはいえ、前例があるという理由だけでキリエ殿の危険性を断定していたのは不可解だと思った。そこに『教会』から“月狂い”が運び込まれたという知らせが入り、ムラクモ達がそれに巻き込まれたともなれば。友とは言えど、疑心の目も向けるのはやむなしと思うのだが、いかがか!」

「半月前の件は私も聞いている。だがイディス、歩いていたムラクモ達を意図的に渦中に巻き込んだというのは、少々発想の飛躍が過ぎないか?」

「街中で巻き込まれたのは偶然だろうな!だが、件の運び屋が運搬の途中に荷物を落としてしまったというなら、あの荷には本来の行き先があったということ。ムラクモの引っ越し周期を知っていれば、二人を巻き込める位置に荷物を運ばせるのは造作もないことだろう」


質疑に対して返される答えは、強引さは否めないものの想像以上に筋が通っている。少なくとも、小手先の理屈で論破できるものではなかった。

それを察したイオは、小さく溜息を零す。

もっとも、こうと決めたイディスを論理で軌道修正できるとは思っていなかったが。


「これを殺さなければ世界に害が出る。それでも止めるか、赤の勇者」


ゆえに、もっと直接的な言葉を投げかける。


「騙りと犠牲が前提など、我が王道に反すること。ならば、少女を守らんと剣を握る正道の勇士をこそ私は支持しよう。詳しい話はそれからだ、銀の勇者!」


そしてそれを、イディスは彼女の正義で一刀両断にした。


直情的で猪突猛進な正義の人。だからこそ、誰よりも勇者の肩書きが相応しい。

味方ならば頼もしい姿に、焦燥で強張っていたムラクモの肩から力が抜ける。一方、敵に回せば厄介なことこの上ない騎士を見て、イオは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。


「飛地の者にはあまり見せたくないんだがな、これは。しかし、赤の勇者おまえが前に立ち、加えてそこに緑の勇者もいる以上、手段も選んでられんか」


そう言うと、ムラクモの方に視線を向け。


「ムラクモ。これをどうにかしたければ、お前がこれと出会った屋敷まで来い」

「屋敷って――ッ!?」


その言葉に怪訝な顔をした直後、イオの姿が一瞬で掻き消えた。

影も気配もない。超速で移動したというにしては、その残滓がない。

さながら、瞬間移動。エクストラエデンに現存するどの魔術属性にも成しえない、この地ではとうに途絶えたとされる「魔法」としか言いようがなかった。


「はっはっはっ!図らずとも奥の手を切らせてしまったようだな!」

「ようだな、じゃねえっての!どうすんだよこれ!」

「なに、行き先はあちらが告げてくれたのだ。ならばすることは一つだろう」


言いながら、イディスは乗騎の飛竜に乗ったままのサイアに目線を投げる。

上官の意図を察したサイアは複雑そうな表情を浮かべたものの、すぐに意を決したように顔を引き締め、口を開いた。


「ムラクモ=クサナギ、乗れ!」

「――なるほど、なっと!」


ムラクモの反応は早かった。即座に地を蹴り、飛竜の方へと駆けていく。


「させ、」

「るわけがなかろう!」

「ぐぅっ!」


無論、ジャンがそれを見過ごすわけがない。一拍遅れて追おうとしたが、それは割り込んできたイディスの戦斧によって遮られる。

非力なハーフリングでは、オーガの血を引くイディスの腕力に敵わない。そのまま後方へと弾き飛ばされ、ムラクモが飛竜の背に飛び乗るのはおろか、飛竜が近くに落ちていた黒い外套を拾うのも許してしまう。

ばさりと、竜の羽ばたく音が辺りに響いた。


「――」


とっさに槍を投げかけるが、そこで逡巡が生まれる。

数秒にも満たない葛藤。だが、飛竜が空へと飛び立つには十分すぎる時間。

槍を構えた男は何も成せないまま、二人の勇者を乗せた飛竜が飛び去っていくのを黙って見送ってしまった。


「……」

「逡巡の理由は、やはりイオの言葉か?」


槍を下ろしたジャンに、残ったイディスがそう問いかける。


「っ」


その問いかけは図星だった。

ジャン=ダルクが彼女に伝えられたのは、ムラクモと一緒にいた少女はこの地で死ぬためにエデンの神が遣わした存在だということ。そして、その命を失う時機となったために、殺害を妨害するだろうムラクモを無力化することを請われた。

ある事情により、ジャンにとってイオの言葉は絶対だった。

だからこそ迷いなく槍を手にとり、彼女が与えた責務を果たそうとしたのだが――


「行き先をムラクモに伝えた意図は、私にもわからんな。嘘で誘導するにしても、あやつには魂感知に長けたツクモが傍にいる。飛竜で追うのも読めんはずがないだろうし……まあ、後で聞けば済むか!」


小難しい考察は性に合わないとばかりに言うと、ぐるりと戦斧の柄を回した。

図星を突かれて沸騰しかけていたジャンは、その屈託のなさに毒気を抜かれる。


「さてジャンよ!あやつらを追うと言うなら、この私が相手になるぞ!」

「……やりませんよ。さすがに貴方と一対一は分が悪すぎる」

「む、そうか」


冷静に返せば、イディスは残念そうに肩を落とした。

戦狂い(バトルジャンキー)と呼ばれる序列Ⅰほどではないが、彼女も好戦的だ。全力を振るえる機会に胸を高鳴らせていたのだろうが、あいにくとそれに付き合う気はさらさらなかった。

目の前にいるのは、歴代の六勇者の中でもトップクラスの防衛力を誇る騎士。

そんな彼女と素面でやりあうほど、ジャンは物好きでも愚かでもない。


「それに、イオ様に貴方の足止めは命じられていませんので」

「貴殿そういうとこあるよなー」


うちのサイアに通ずる融通の利かなさだ、と。肩をすくめながら、戦斧を下ろした。


「そういう貴方は、見かけによらず人が悪い」

「む?」

「サイア=アダマスが残ったなら、僕は戦っていたでしょうからね。こうして槍を収める理由は、そこにもあります」


序列ⅣとⅤの戦いともなれば、お互いただでは済まないだろう。それが融通が利かない者同士の戦いともなれば、使命感を胸に際限なく戦い続けるのは目に見えている。

自分が負ける、とは思わないが。

両者の損耗を回避しようとしたイディスの気遣いを受け取るくらいの度量はあった。


「はっはっはっ、気づかれていたか!頭を使うのは実に不得手だ」

「……ですが、イオ様は」

「安心するがいい。結果的に脇の甘さを晒してしまったのは、あやつが私達を騙しやすいと認識していたからではなく、私やムラクモを信頼していたからだと思っているよ。私は無論、ムラクモもな」

「あいつは別にどうでもいいです」

「相変わらず真面目組には嫌われているなあ、あやつは!」

「いい加減声がうるさいですよ……」

「すまんすまん!」


呆れた表情を浮かべるジャンに謝罪しつつ、イディスは飛竜が飛んで行った方向を見る。


戦力的には追いかけるべきなのだろう。しかし、大まかに把握している屋敷の場所に移動手段もなく向かうのは厳しい。それに、イディスが積極的にイオを追う姿勢を見せれば、今度こそジャンは槍を向けてくるはずだ。

諸々を天秤に乗せ、向かいはするが無理に追いつこうとはしないと決める。


(大口を叩いておきながら、結局はあやつ任せになってしまったが……)


そのことを申し訳なく思う一方、ムラクモならば大丈夫だろうという信頼がイディスの中にはある。だからこそ、躊躇うことなく最大戦力じぶんでジャンを足止めすることを選んだのだ。


(最弱は最強の姦計を打ち砕けない。そんな当たり前を覆すのが、ムラクモジャイアントキリングだからな)




「これを使ってください」


自分達がここに来た経緯を改めて伝えた後、サイアは紙袋をムラクモに押しつけた。


「薬草を調合した軟膏です。団長には及びませんが、その傷を治すには十分かと」

「悪い、助かる」


短い謝罪とともに、ムラクモは紙袋を受け取る。

状況が状況だからだろう。普段のナンパな言動は鳴りを潜め、渡した時に手が触れ合っても反応はない。そんな態度はむしろありがたいはずなのに、釈然としない気持ちがサイアの中で湧き上がった。


「……っっっ」

『サイアさん、ちゃんと前を見てください』

「わかってます!」


首を振っている姿をいけ好かない邪剣に指摘され、思わず声を荒げた。


「な、軟膏を塗ったら外套を羽織ってください!着崩れした格好でみっともないっ」


言いながら、飛竜に拾わせた外套を今度は後ろも見ずに押しつける。ととっ、と慌てたような声がした後、黒い外套が離れていった。

ほどなくした後、風の音に混じって、外套を羽織る音と留め具をつける音が聞こえてくる。ちらりと背後を見れば、見慣れた姿がそこにあった。


「わざわざこれも拾ってくれたの?」

「そ、それはっ」


合ってしまった視線から逃げるように前へ向き直ってから、口をもごもごさせる。


「……これから助けに行く少女は、貴方のことを信頼しているようでしたので」


思い出すのは、半月前のこと。大事なもののように外套の中で守られながら、全幅の信頼とともにその身をムラクモに寄せていた少女の姿だ。

なぜか心をざわつかせたあの光景からわかるのは、あの少女が助けを求めるならムラクモだろうということ。

ならば、ムラクモ=クサナギは外套を身に着けるべきだ。


「その外套は、そこの邪剣と同じく黒の勇者あなたの象徴。それを身に着けた貴方がやってくれば、例え最弱の勇者だとしても彼女は安心することでしょう」


半月前の自分が、かつて自分を助けてくれたものと同じ背を見て安堵したように。


「――」


そんなサイアの言葉に、しばしの沈黙を挟んだ後。


「サイアちゃん、マジイイ女」


いつもの軽薄な言葉でありながら、声音は真摯な返事が返ってくる。それを耳にした途端、尖った耳どころか顔全体に熱が集まるのを感じた。


「うっ、ううううううるさいですよ!こんな時にまで貴方はぶれませんね!?」

「可愛い女の子に対する賛辞は惜しまないのがこの俺だ」

「貴方という人はっ、まったく……!」


上ずった声を隠すように毒づきながら、手綱を握る手に力を込める。

その直後。


「《眠れ》」


頭の中で声が響いた。


「――――、ぁ」


有無を言わせぬ言葉が魔術と気づくと同時に、サイアの意識が暗転する。握っていた手綱から手が離れ、体がぐらりと傾いた。


「っ、サイア!」


飛竜から落ちかけた彼女の体を支え、代わりに手綱を握る。

確かな調教を受けた飛竜は、手綱の主が入れ替わったくらいでは激しく動揺しない。少しだけ嫌がるように唸ったものの、すぐにムラクモの手綱に身を委ねた。

それに安堵しながら、飛竜に着陸を指示する。

ほどなくして、二人分の体を乗せた飛竜は小さな林に降り立った。


「やあ、ムラクモ」


そんなムラクモ達を、一つの声が出迎える。

視線を向ければ、露出の多い修道服を着たダークエルフが悠然と立っていた。


「……屋敷で待ってるんじゃなかったのかよ」

「なんとかしたくば屋敷まで来いと言ったんだ。私自身がそこにいるとは言ってない」

「屁理屈っつーんだよそういうのは」


常と変わらない声音でやりとりをかわしつつ、飛竜から降りる。そして、魔術によって昏倒させられたサイアを木に寄りかからせてから大太刀を抜刀し、改めてイオの方を見た。

その眼光は、極めて鋭い。


「キリエちゃんはどこだ」

「あれは屋敷に置いてある。ここからなら、走って十数分といったところか」

「取り返したきゃ、ここでお前を倒せってか?」

「まさか」


返ってきたのは即答。



しかし、続けられた言葉はムラクモの予想していたものではなかった。

思わず首を傾げた次の瞬間、一つの仮説が脳裏をよぎる。


『まさか』


トツカも同じ仮説が浮かんだのか、信じられないと言いたげな呟きが零れた。


魔法と呼ばれる技術は失われて久しい。だがそれは、エクストラエデンに限った話のこと。

エデンという楽園の存在を信じ、この地は楽園の飛地だと主張する『教会』の教義曰く。


エデンには、この地で失われた「魔法」が未だ存在する。


――――楽園の御使いから伝えられた、我が主のご意志だ。


思い出されるのはジャンの言葉。

彼は言っていた。我が主――神の意思を伝えたメッセンジャーがいると。


楽園の御使い。すなわち、楽園から来たもの。

そんな存在がいるなら、途方もなく強大な存在に違いない。この地にいる誰もが敵わないような、敗け知らずにして敵なしの絶対強者だろう。

そして、ムラクモの【無敗殺しジャイアントキリング】はそういう存在にこそ特攻を発揮する。


「お前、楽園の御使いか」

「ご名答」


ムラクモの言葉に、イオは深々と頭を下げる。芝居がかったその動きに合わせて、頭部の上に小さな輪が現れ、剥き出しの彼女の背から両翼が生えた。

完璧な円を描いた、白く輝く輪。

有翼人のものとは異なる、一点のシミもない純白の翼。

それはまさしく、聖書や物語の中で語られる楽園の使徒が持つもの。天使と呼ばれる存在の象徴とも言えるパーツが、イオの体に現れた。


「我が名は、イオフィエル」


顔を上げながら、天使は名乗りをあげる。


「神の裁きと慈悲が楽園の飛地に正しくもたらされるよう、遣われた者である」

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