第15話:二度目の満月




“月狂い”は月齢の影響を強く受ける。

新月には力が弱まり、月に狂うものもほとんどいない。

反対に満月では力が強まり、月に魅入られるものも増える。


そんな満月当日とその前後、計三日間。勇士公助機関アインヘリヤルは、所属している勇士達に各地を巡回させる活動を行っている。

表向きは奉仕活動と『機関』の宣伝。その裏には、民間人の安全にわかりやすく貢献することにより、『王室』や『教会』に大きな顔をさせないという意図も隠れていたが。


さて、この巡回には当然『機関』所属の六勇者も参加の義務がある。

しかし『機関』派の勇者達は往々にして一所に留まらず、招集を受けない限りは気ままに武勇を振るうような者が揃う。そんな彼らに合わせてスケジュールを練ってなどいられない。そのため、ふた月に一回、王都に属する市街地を巡回させる形に落ち着いていた。


先月はもう一人の勇者が巡回を行った。

当然、次はムラクモ=クサナギの番である。


「いやあ、付き合わせてごめんねキリエちゃん」


街道を二輪車バイクで走行しながら、ムラクモは後ろのキリエに声をかけた。


「い、いえっ、大丈夫、ですっ」


落ちないよう背中にしがみついているキリエは、その言葉にふるふると首を振る。何回か搭乗しながらも未だ慣れないらしく、喋り方はぎこちない。腹に回された腕も必死そのもので、当然ながら外套越しには柔らかい感触が当たっていた。

一ヶ月という月日で本来の質感を取り戻しつつあるそれは、何度感じても頬が緩む。


『変態臭い顔を何度浮かべれば気が済むんですか主』

「運転中にも辛辣なこと言うのほんとやめてくんない?」


放り投げてやろうかと、背中ではなく肩のところにくくりつけたトツカに毒づく。

いつもどおりのやりとりを見て、キリエは微笑ましそうに笑みを零す。しかし、その微笑みはすぐに曇りを帯びた。


「……ムラクモさん、がんばってたのに」


思い出すのは、巡回した市街地での反応。

あの騎士達ほど露骨な者はおらず、六勇者の一人として好意的にムラクモを迎え入れてくれた者の方が多かった。それでも中には軽蔑の眼差しを向ける者はおり、二輪車を走らせて忙しなくやってきたムラクモを見て、最下位かと失望するように肩を落とす者も少なくない。

それは、近隣で見つけた“月狂い”を討伐してもあまり変わらなかった。

一度張ったレッテルを剥がすのは容易ではないとばかりに。


「ま、あれはしゃあないさ。何せ先月は序列のⅠが来たわけだしな」


悲しげな声を零すキリエに、ムラクモはそう言って肩をすくめる。


「ⅠとⅥじゃあ大違いだ。序列最下位が巡回した時にやばい奴が出たらどうしようって、街の連中が不安になっちまうのも無理はないさ」

「……でも」


言いかけた言葉を飲み込むように、俯く。

進行方向を確認してから、その頭を後ろ手に撫でた。


『主が見境なしにナンパするのも一因ですよ。自重してください』

「ふっ、それこそ無理な相談だ」


トツカが呆れたように別の正論を口にする。それに対し、ムラクモはキリッとした顔で極めて真剣に返答した。


「咲き誇る華を見た時、その可憐さや美しさを褒め称え、お近づきになりたいというのは男の本能に刻み込まれた行為だからな。俺は本能に正直に生きる男なんだ」

『本能というか下半身に正直というか』

「……」

「頼むキリエちゃん、なんともいえない眼差しで見ないでくれ。一番きく!」


キリエの頭を撫でたばかりの手で胸を押さえながら、これまた真剣に訴える。

真に受けたキリエが慌てふためいたところで宥めすかし、話を逸らそうという作戦だったのだが――ダメージを受けたのは事実ではある――予想していた反応はなかなか返ってこない。

冷や汗が滲んできたところで、しがみつく手に力が込められた。


「……あの」

「ん?」


真摯な声音に、安堵と疑問が同時に来る。

そちらに意識を集中させるため再び進行方向を確認しようとしたところで、視界が人影を捉えた。タイミングが悪いなと思いつつ、前方と背後、それぞれに意識を割きながら二輪車のハンドルを握り直す。


人影は、フード付きの外套を身に着けた小柄な人物だった。

旅人にしては、荷物の類いを持っていない。今向かっているトゥリアにはまだ距離があるため、いでたちとしてはやや不自然だ。首を傾げたところで、相手の腕が動くのが見えた。


「――――」


遠目からでも、その手に突撃槍ランスが握られているのがわかった。


「ムラクモさんは――」

「キリエちゃん」


おずおずとしたキリエの語り口を、途中で遮る。


「ごめん」


反応も待たずにそう続けると、彼女の腕を引いて二輪車から飛び降りた。

きゃっ、というキリエの短い悲鳴を掻き消すように。


突撃槍が二輪車を貫く轟音が、辺りに響き渡った。


「――――ッ!?」


ムラクモの腕の中で、小柄な体が強張る。それを落ち着かせるように強く抱きしめながら、ムラクモは少し離れた場所に着地した。

すかさず抜刀。鞘を元の位置に戻しながらキリエの前に立ち、「敵」を見据える。


「……さすがに避けるか」


そんなムラクモを見て小さく呟いた後、襲撃者は突撃槍を大きく振った。

動きに合わせて柄が伸び、遠心力によって穿たれた二輪車が放られる。重たげな音を立てて地面に落ちた二輪車は、完全にスクラップと化していた。


「それ、結構高かったんだけどなあ」


軽口を叩きつつも、警戒態勢は崩さずにトツカを構える。

襲撃者も同様に見に回っていたが、やがて地を蹴った。


一対一の様子見において、不利に回るのは先に痺れを切らした方。

だが、そんな不利など実力差で切り捨てるとばかりに、突撃槍の矛先が一気に距離を詰めてくる。単純な回避行動を許さない速度で迫る攻撃を、ムラクモは矛先に刀の峰をぶつけることで逸らし、そのまま後ろにいるキリエごと体を横に動かした。

それでも、完全に避けることは叶わない。

脇腹には裂傷が走り、黒い外套に穴が開いた。


「ムラクモさんっ!」

「へーきへーき!」


悲鳴のような声にそう返しながら、外套の留め具を外す。

外套で突撃槍を絡めとろうとするが、読んでいたとばかりに即座に相手は後ろに下がり、矛先を引き抜く。そしてすかさず、突きの構えをとった。

外套が落下する直前、突撃槍は再びムラクモを――否、その後ろにいるキリエを貫かんと迫ってくる。内心舌打ちをしてから、今度は刀身の腹でもって受け止めた。


『っ』

「悪いな!」


無茶な使い方をされたトツカが短く苦悶するのに謝りつつ、間合い内にある体を正面から蹴り飛ばす。今度は後退が間に合わず、襲撃者はムラクモの攻撃によって後方に飛ばされた。


ばさりと外套が落ちる音を聞きながら、地面を蹴って襲撃者との距離を詰める。

蹴りの入りが浅かったのか、迫ってくるムラクモを迎撃するように襲撃者は突撃槍を構え、刺突を見舞う。それを大太刀で捌きつつ、ゆっくりと襲撃者を後ろへと追いやった。


襲撃者の狙いがキリエである以上、彼女をすぐ真後ろにおいての交戦は防戦を強いられるだけだ。彼女から離れることのデメリットと離れて戦うことのメリットを天秤にかけ、後者を起点にした戦術を選ぶ。


「フッッ!」

「、っ」


大太刀は線。

突撃槍は点。

致命打となる点を自らの線で捌き、体勢が崩れたところに線の攻撃を見舞う。それが、長柄槍と異なり、臨機応変な動きをとりづらい突撃槍を相手にした時の基本戦術だ。

基本に忠実に、しかしそこに縛られずに、ムラクモは攻勢を続けていく。


だが、届かない。


(強い――っ!)


難敵を前にして、ムラクモの顔には焦燥が浮かぶ。


捌くまではできる。

けれど、そこから攻撃に繋げようとした瞬間、次の一手がムラクモを襲った。

攻撃に転じられた回数は、片手の指でも余るほど。それも手傷を負わせられこそすれど、決定打となりうるほどのものとは言い難い。攻めているのはムラクモだというのに、ずっと防戦を強いられているような感覚に苛まれた。


しかし、そこが一番の問題ではない。

もっと看過できないものが、ムラクモの中に生まれつつあった。


「――ぐぁっ!」


意識がそれに割かれた瞬間、襲撃者の回し蹴りが脇腹に入った。

容赦なくえげつなく、靴の爪先が最初にできた裂傷へと叩き込まれる。傷口が押し広げられる痛みに顔を顰めながら、ムラクモは己の体が地面の上を横転していくのを感じた。


途中でなんとか横転を押しとどめ、傷口にさらなる傷みが走るのも構わず、勢いよく立ち上がる。びちゃりと血の固まりが落ちる音がし、それを追うように声にならないキリエの悲鳴が耳に届いた。


街中での交戦も含め、彼女の前で戦ったことは何度かある。

しかし、今のように苦戦を強いられ、深い手傷を負わされるのを見せるのは初めてだ。そのことを申し訳なく思いながら、キリエに突撃しようとする襲撃者の進行方向に割り込んだ。


「…っ」

「ははっ。こんな奴に苦戦するだなんてって感じだなあ」


歯噛みする襲撃者を見て、ムラクモはわざとらしく気安い声をかける。


「だがおあいにく様、

「――!?」

「最初にやり合った時みたいにはいかない――っつーの!」


相手が体を強張らせた隙を突き、突撃槍を大太刀で押さえつける。そうして空いた鳩尾に、背中から引き抜いた鞘を打ち込んだ。


「か、は」


かすれた声とともに、襲撃者がたたらを踏む。

そこに追い打ちをかけるように、二度目の正面蹴り。今度はまともに食らってしまった襲撃者は、突撃槍を地面に突き立てることで飛ばされるのを防いだ。


「げほっ、げほっ!」


踏みとどまったところで、小さく俯きながら何度か咳き込む。

その拍子に、フードの紐が緩んでいく。支えを失ったフードは、面を上げてしまえば簡単に後ろへと下がり、その中に隠されていた顔を曝け出してしまった。


そこにいたのは、金髪碧眼の少年だった。

キリエと同い年か、それより下と言っても通じそうな幼い顔立ちに組み込まれた、成熟した精神を宿す眼。そのアンバランスさは、成人してなお子供のような見た目を維持する、ハーフリングと呼ばれる種族特有のものだ。


襲撃者の姿を見ても、ムラクモは驚愕しない。

ただ、怪訝そうな表情をその顔に浮かべた。


「どうしてお前さんに襲われないといけないんだ?なあ、よ」

「……」


その問いかけに襲撃者――否、金の勇者ジャン=ダルクはしばらく沈黙した後、口を開く。


「楽園の御使いから伝えられた、我が主のご意志だ」

「キリエちゃんを殺すことを、神様が望んでるって言うのか?」

「そうだ。その娘は、そのために飛地たるこの地に遣わされた」

「冗談にしても笑えねえな」


事務的なジャンの言い方に、ムラクモは眼差しに険を作りながら肩をすくめる。


「その言い方だと、まるでこの子が殺されるために生まれてきたみたいじゃねえか」


そう言って、キリエを守るようにトツカを構え直したところで。


「まるでも何も、その通りだが?」

「――――」


背後から聞こえてきた声に、心臓を鷲掴みにされた。


不意に聞こえた声への驚愕。それ以上の動揺がムラクモの中を駆け抜ける。

なぜなら背後には、彼が守ろうとしていた少女がいるのだから。


「ッッッ!」


反射的に振り返ろうとしたムラクモに、ジャンが攻勢を仕掛ける。

片手間に相手をできるほど、六勇者の一角は甘くない。攻めてくる突撃槍を捌くのに集中せざるを得なくなり、そうしている間に背後にある気配が二つ、ムラクモから離れていった。


「くっそ!」


舌打ちをしながら、強引にジャンの攻勢から距離を置く。

目的は果たしたとばかりに追撃はなく、それにまた舌を鳴らしてから視線を動かした。

そして、叫ぶ。


「イオ、てめえ!」


同じ六勇者にして、親しい友人でもある女の名を。

その怒号に、普段かけている眼鏡を外したイオは顔色一つ変えずに肩をすくめた。


「イディスのような声を出すな、ムラクモ」

「大声だって張り上げたくもなるっつーの。キリエちゃんに何したんだ!」


声を荒げながら、イオの腕の中にいるキリエを見る。

妨害魔術として分類される黄属性の魔術で昏倒させられたのか、その体はぐったりとしている。そんな体を物のように抱えているのに腹が立った。


「心配するな、眠ってもらっただけだ」


ムラクモの問いに、肩をすくめながら答える。


触れたもの全てに無差別な呪いをばらまく呪詛の少女。

そんな少女を抱えているにも関わらず、イオはなぜか平然とした様子だった。


(申し訳ありません、主。イオさんを補足できませんでした)


念話で、トツカが謝罪を口にする。


(お前がわかんなかったって相当だな。何もないところから現れたって言うのかね)

(ええ。まさにそうとしか言いようがなく)

(……)


トツカの言葉に、柄を握る手に力がこもる。

魂感知に優れているツクモの評だ。警戒心を強めるには十分である。

得体の知れないものに見えてきた知己を前に、冷や汗が伝った。


「……さっきの言葉、どういう意味だよ」

「そのままの意味だ、ムラクモ。これは殺されるためにこの楽園の飛地へと遣わされた。だから、その責務を果たしてもらう」

「おいおい。最初と言ってることが違うじゃねえかよ」

「ああ、嘘だったからな」


さらりと言い放つイオに、眉をひそめる。


「なんでそんなもんつく必要があった」

「あの場で真実を言ったところで、受け入れてはもらえそうになかったからな。よしんば納得してもらったとしても、これが死ぬに適切な時機というものもある」

「その真実とやら、今なら教えてくれるのかね?」

「まさか。――ジャン」

「はっ!」


イオの呼びかけ応じて、ジャンが再び攻勢を開始する。先ほどと異なるのは、それが怒涛の勢いを得たことだった。


「く…っ!」


ジャンとは頭の中で幾度となく戦い、その癖はあら方把握している。一方的に攻められることはなく、ムラクモはかつて戦った時以上の善戦を見せる。

それでも、ジャン=ダルクの序列はⅣ。

最弱のムラクモでは、善戦はできても優位には立てない。


「この男の代わりなど、いくらでもいましょう。ここで始末しても良いのでは、イオ様」

「そうは言ってもな。『教会』派の勇者が『機関』派の勇者を殺すのは問題だ。何よりこいつには、機が熟すまでこれを管理してくれた礼もある」

「好き勝手言いやがるな、てめえらは!」


二人のやりとりに顔を顰めながら、突撃槍の猛攻を捌く。


(ムラクモ様、出血が看過できない量になります)

(わかってるっつーの!)


案じるトツカの声に、焦燥もあって反射的に強く言い返す。その焦りを理解しているトツカはそれを茶化しも責めもせず、主の消耗をフォローできない自身に歯がゆさを覚えた。


トツカの言う通り、初撃でつけられた傷からの出血が無視できないレベルになっている。今はまだ問題なく防戦できているが、貧血が影響を及ぼすのは時間の問題だろう。

その前に交戦を終わらせなければいけないのに、ジャンを倒してもイオが控えているという絶望的な事実がある。焦燥が体捌きに反映されていないのが奇跡的なほどに、ムラクモが置かれている状況は切羽詰まっていた。


「さて。私はそろそろ、準備に移らせてもらうとするか」

「待てっ、イオ!――くっ!」


そんな焦燥に、イオの言葉が拍車をかける。

こちらに背を向けて歩き出そうとするイオに向けて声を荒げた直後、突撃槍が鈍器のように振り下ろされた。それを受け止めている間にも、ダークエルフとの距離が遠のいていく。


「キリエ…ッ!!」


叫ぶように、その名を呼ぶ。


――――直後。


「むぅぅぅらぁぁぁくぅぅぅぅぅもぉぉぉぉぉ!!」


突如、大声が空から降ってきた。


「!?」


それに驚愕した四人が思わず意識を向けると同時に、少し離れた場所に何かが墜落した。

辺り一帯に響き渡る轟音と、撒き散らされる砂埃。呆気にとられる一同を後目に、それは軽量の鎧が奏でる金属音とともに豪快に笑った。


「このイディス=アイギス、義によってムラクモに助太刀いたす!」

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