第14話:騎士の憂鬱




(……はあ)


『王室』オリュンポス家が住まう王城。

豪奢な廊下を歩きながら、サイア=アダマスは胸中で溜息を零した。


その手にあるのは、小さな紙袋。中には、薬師が魔力を込めて調合した軟膏が入っている。

洗練された癒やしの魔術には劣るものの、それでも並みの白属性魔術に負けぬくらいの治癒効果が期待できる。器が持ち歩けるのもあって、魔術が使えない勇士には重宝されていた。


サイアも、イディスをはじめとする『王室』仕えの白属性魔術使いに頼むには憚られる負傷をした時に用いている。そのため、その効果は自身の体で把握済みだ。


(大したものでは。そう、大したものではないのです)


紙袋を持つ手に力を込めながら、内心ひとりごちる。


(この前の交戦ではあいも変わらず無傷だったと聞きましたが、万が一ということもありえます。ならば、半月以上経ってはいますがまだ傷は癒えていない可能性があるはず。その可能性を考慮した礼なのですから、これは大したものではありません)


自分が苦戦を強いられた“月狂い”を、無傷で倒した黒の勇者ムラクモ=クサナギ。

それは彼の幸運によるものに違いない。サイアもまた、他の者と同じ認識を抱いた。

しかし、だからといって窮地を救われたのもまた事実。彼女に至ってはこれで二回目だ。ラッキーで倒せたのだから礼は不要という考えは、騎士らしくないとサイアは考えた。


考えたまではよかった。

問題は、どう礼をすればいいか。サイアの思考はまずそこで行き詰まった。しばらくして何か適当なものでも渡せばいいかと思いついたものの、どんなものが「適当なもの」に当たるかでまた袋小路に入ってしまった。


軽すぎず重すぎず、実用性はあるが形として残り続けるものにはしたくない。そんな条件を満たす品をようやく思いついたころには、半月以上の月日が経っていた。


そして今向かっているのは、騎士団長イディス=アイギスの執務室。

礼を渡そうにも、サイアはムラクモの住所を知らない。通信器に彼の端末を登録しているはずももちろんなく、かといって『機関』に頼るのは『王室』の騎士として悔しさがある。

幸い、上官のイディスはムラクモと交流があった。正道の鑑のような彼女がなぜムラクモと親しいかは理解できないが、ともあれ所在地くらい知っているだろう。そんな算段のもと、通信器で会う約束を取りつけた次第だった。

連絡した時に聞けばよかったことに気づいたのは、通信を切った後だったが。


(大したことではない、ないのです。ただのお礼なのですから。……だというのに、どうしてこうも心乱されなくてはならないのか)


ふつふつと湧き上がってきた苛立ちに、思わず足を止めた。


(それもこれも、ムラクモ=クサナギがあのように軽薄でなければ……)


彼が出会い頭にナンパをしてくるような男でなければ、謝礼一つにここまで悩まなかったに違いないとサイアは考える。

エルフという種族は長命ゆえか、色恋を忌避する傾向がある。それはエルフの血を半分だけ受け継いだサイアも変わらず、相手が女と見れば口説いてくるムラクモとは反りが合わなかった。そんな相手に手ずから礼をしようとしている事実が、サイアの心を掻き乱す。


(ええい、いつまであんな男に悩まされているのですかサイア=アダマス)


ぶんぶんと、大きく頭を振った。

謝礼のチョイスは完璧だ。不安に思う必要などない。


(ええ、そうです。軽すぎず重すぎないこれならば、ムラクモ=クサナギが私を逢引に誘う口実とはならないはず……!)


と、そこまで考えたところで。

自分の手を引きながら隣を歩く、ムラクモの姿が脳裏をよぎった。

サイアの窮地に颯爽と現れ、頼もしくも優しい声をかけてきた黒い外套の男の姿が。


「去れッッッッッ!!」


反射的に、近くにあった壁を思いきり殴りつける。


「壁を殴るのは感心しないな、サイア!」

「ひぅあっ!?」


直後、背後から嗜める声が大きめの音量で聞こえる。

それに負けぬくらいの悲鳴が、サイアの口から上がった。


勢いよく振り返れば、見慣れた上官の姿がそこにはあった。跳ね回る心臓を押さえようと紙袋ごと胸に手を押しつけながら、女騎士はどもった声を出す。


「いっ、イディス団長っ、今は執務室にいらっしゃるはずでは……!?」

「頼んでいた報告書が用意できたという知らせを受けてな!貴殿が来るまでまだ時間はあったゆえ、取りに行っていた次第だ!」


そう言いながら、イディスは手に持っていた書簡を掲げる。


「……報告書、ですか?」


まっとうな回答で頭が冷えれば、次に浮かぶのはささやかな疑問。イディスほどの人物が直接受け取りにいくほどの報告書とは何なのだろうと、思わず首を傾げる。

うむ、と頷いてみせてから、イディスは疑問に答えるように口を開いた。


「半月前、王都内に“月狂い”の亜竜種が放たれた事件が起きただろう?」

「んんんっ」

「む?」

「い、いえっ、なんでもありません」


ピンポイントの話題に再び心臓が跳ね回るのを感じながら、ごまかしの言葉を口にする。今度はイディスが首を傾げたが、幸いにも深く追及されることはなかった。


「報告と言うのはだな、その時捕縛できなかった運び屋の足取りを辿らせたものだ」

「見つかったので?」

「いや、身柄の拘束はできていない。巧妙に隠されているのか、あるいは口封じでもされたのか、運び屋の行方はようとして知れん」

「『教会』も調査に参加していてそれとは……」


二つの派閥が調査してなお、その後の足取りが掴めない。

そんな事実に、サイアの顔色がにわかに曇った。

あの場では亜竜種の足止めと民間人の避難誘導が最優先で、最初に攻撃を受けた運び屋の男を拘束する余裕はなかった。その選択自体を悔いているわけではないが、自身にもっと力があったなら、と思わずにはいられない。


「不慮の事態ゆえ致し方なし。民間人に被害を出さなかったことを誇るが良い!」

「あだっ。……は、はいっ」


その心情を読み取ったのか、書簡で頭を小突きながら屈託ない言葉を向けてくる。叩かれたところを撫でながら、尊敬する上官の激励に頬を緩めた。


「――ふぅ」


そんなサイアを満足そうに見た後、イディスは珍しく、憂鬱そうな息を一つついた。

サイアの非を咎めるものでないことは、その人となりを知っていればわかる。だからこそ、その溜息はサイアの首をまた傾がせるには十分だった。


「イディス団長?」

「ところでサイア。来た時に話すと言っていたが、私への要件とは何だ?」


問いを込めた呼びかけには、質問が返された。


「うっ」


急に話を振られ、サイアは言葉に詰まる。

しかし、目的とその理由を話さないわけにもいかない。それは騎士らしくないと思うし、何より自身の正当性を示さない者に、イディスは協力の姿勢を見せてくれないだろう。


周りに人の気配がないことを確認した後、大きく深呼吸をする。


「そ、その。半月前の件では、不本意ながらもムラクモ=クサナギには助けられたので。『王室』に仕える騎士ならば礼を尽くさねばと思い、そのための品を用意した次第なのです」

「ほう」

「ですがこのサイア=アダマス、ムラクモ=クサナギの所在地を把握しておらず……。彼と知己であるイディス団長にご協力をお願いしたく、参上した次第で…………はい」


問われたその場で律儀に答えなくてもいいことに気づいたのは、言い終えてからだった。

執務室に移動してからにすればよかったと、耳に熱が集まるのを感じながら深く後悔する。手のひらで覆わなければ全体を隠せない尖った耳が、今ばかりは憎らしくて仕方がなかった。


羞恥で縮こまっているハーフエルフを、ハーフオーガは物珍しそうに見る。


(ムラクモの言葉は戯言と切って捨てていたが、あながちそうでもないのかもしれんな)


その戯言も込みで聞けばサイアが憤死しそうなことを思った後、力強く自身の胸を叩いた。


「そういうことなら任せておけ!あとで連絡をとっておこう!」

「あ、ありがとうございます、イディス団長」

「とはいえ、渡せるのは早くても明日だろう。今は家にいないだろうからな」

「……えっ?」


今日渡す心づもりだったサイアは、その言葉に思わず固まった。

そんなサイアを見て不思議そうに首を傾げた後、ああ、と納得したように零す。


「貴殿は担当を把握していなかったか。今月の市街地巡回はムラクモの番だぞ」

「…………あっ!」


しばし沈黙してから、思い出したように声を上げた。


「し、しまった。今日は満月でした……!」

「まあ、明日以降とはいえすぐ会えるだけで十分だと思うがな!今は諸事情あって王都に長く滞在しているが、あやつは普段ここには居つかん」

「あああああ……。そ、それもそうでした……っ」


頭を抱えるようにその場で蹲る。

どう礼をするか。そればかりに思考が傾いていて、肝心のムラクモ自身のスケジュールに全く意識が向いていなかった。『王室』派の勇者はオリュンポス家に仕えているため王都に腰を据えているが、『機関』派はそもそもここにいることの方が珍しいのだ。


「なんだ。すぐに渡したかったのか?」

「ええ、はい……。時機を逸した時、気を取り直せるか自信が……。元よりあんな軽薄な男に手ずから礼をすること自体、抵抗が……っ」

「相変わらずエルフは潔癖だな。難儀なことだ」

「あの男が好色なのがいけないのです!」

「はっはっはっ!それは否定しないがな!」


そう言って屈託なく笑った後、ふむ、とイディスは何かを思案する。

ほどなくして、彼女は口を開いた。


「サイア。私はこの後、用事があってな。よければ付き合ってほしいのだが構わないか?」

「イディス団長の頼みとあらば、喜んでお供いたしますが……」


首肯はしつつも怪訝そうにしているサイアに、感謝するように笑いかけてから。


「では、一緒に来てくれ!」


彼女が求めているだろう説明をここでは放棄し、踵を返した。

慌てて立ち上がった部下がついてくるのを、気配と足音で察する。言葉不足を咎めもしない姿に再び感謝をしてから、騎士団長は精悍な顔立ちを厳めしく引き締めた。


(さて。事態はどこまで進んでいるのか、どういう盤面が築かれつつあるのか)


思い浮かべた姿に、苦々しさを感じる。

それでも、赤の勇者は己が正道を貫くために行軍を続けるのであった。


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