第13話:とある過去の夢



「ムラクモはさあ、どんな奴になりたい?」


東国に多い瓦の屋根葺。

その上に腰かけた浅黒い肌の女は、笑い顔とともにそんな問いかけをした。

四肢の一部は爬虫類を思わせる鱗で覆われ、背からは蝙蝠のような翼が生えている。ドラゴニアンと呼ばれる種族の女に問われ、輪郭に幼さが残る少年は困ったように眉をひそめた。


「どんな奴って。また曖昧だなあ」

「そりゃあ、私はお前がどういう職業につきたいか知りたいわけじゃないからな。お前がどういう奴になりたいか、それが知りたいわけさ」


問いの不明瞭さを抗議すれば、女はカラカラと笑うばかり。

少年は小さく溜息をついてから、仕方なく質問について考えを巡らせた。


しばらく思考した後、笑うなよ、と前置きした上で口を開く。


「傷ついてる誰かを、助けてやれる奴になりたい」


彼の脳裏に浮かんでいたのは、目の前にいる女の姿。

孤児だった少年を拾い上げた女。独りきりで傷ついていた彼に手を差し伸べてくれた女。なれるというなら、彼女のようになりたい。そんな想いを隠して、女の質問に答えた。


口にしてしまうと、なんとも気恥ずかしい。懇願通りに女は笑わなかったが、それでも顔を背けずにはいられなかった。


「そっか」


しばしの静寂の後、女の口から短い言葉が零れる。

短いながらも、そこからは微笑ましさと誇らしさが感じられた。それに自分の答えが女の意に叶ったことを知り、思わず総身に熱が帯びたが。


「――え」


続いた言葉に、冷水を浴びせられたようにその熱が引いた。


――――気づけば、炎が周囲を取り囲んでいた。

赤々と燃え盛る火が、少年と女の顔を照らす。何もかもを曝け出さんばかりに燃焼するその炎は、少年の手に握られた漆黒の大太刀と、大太刀の切っ先が胸元に突き刺さった女の姿を容赦なく露わにした。


体が変貌し、より竜に近づいた体が、徐々に灰になっていく。

そんな中、紫紅に染まった女の眼球が責めるような眼差しで少年を見つめた。


(ああ、これは夢だ)


そう確信しながらも、悪夢ゆめから逃れられない。

魔眼の怪物に見据えられたように、彼の体は硬直している。

いつの間にか少年は成人した男へと変わっていたが、大太刀は女の胸に突き刺さったまま。まるで、成長しようとお前にできることは変わらないのだと、そう言われているようだった。


「なあ、ムラクモ」


原型を残す手が、そっと男の頬を撫でる。

その手はどこまでも優しくて、しかし容赦なく男を責め立てた。


「お前には無理だよ。だって、こんなにも傷ついた私を殺したじゃないか」




こんこん、と。控えめなノックが響く。

悪夢ゆめに囚われていたムラクモの意識は、そんな音によって引き上げられた。


「――――」


瞼を持ち上げれば、薄紫の月明かりで色づいた天井が視界に映る。その光景を見て今が夜更けであることを認識していると、もう一度ノックが聞こえてきた。


傍らに置いた大太刀を見やる。

物のように無反応なトツカに小さく笑ってから、ムラクモは顔を上げた。


「どーぞ。鍵はかけてないよ」


そんな言葉の後、おずおずと言った風に扉が開いた。

隙間から、ムラクモと揃いで東国風の寝衣に身を包んだキリエが顔を覗かせる。


「……す、すみません、夜分遅くに」

「いいっていいって、キリエちゃんならいつでもウェルカム。何なら……げふん」

「?」

「な、なんでもないよ。うん」


何なら夜這いしてくれたら嬉しいという言葉を飲み込み、ごまかすように手を振る。


「それより、どうしたんだいキリエちゃん」


墓穴を掘る前に、話題転換を試みる。

扉の前にいるキリエに手招きしながらそう問いかければ、彼女はその手招きには従いつつも口は開かず、代わりに手をもじもじと動かしていた。

言いたいことはあるが言いづらい。

そんな心情を想像させる仕草を見て、ムラクモは申し訳なさそうに頬を掻く。


「ひょっとして俺、いびきうるさかった?」


先ほどまで悪夢を見ていたことを考えると、隣室に聞こえるほどうなされていた可能性も否定できない。トツカにはうなされていても起こさないよう頼んでいるが、そうと知らないキリエが様子を見に来ても不思議ではなかった。


しかし、その言葉には首を横に振られた。

ぷるぷると首を振る姿に可愛いなあなどと思っていると、キリエの口が開く。


「……その。ムラクモさんが、泣いている気がして」

「――――」

「私、ムラクモさんに、いつも良くしてもらっているから。その、何かできたらと……。で、でも気のせいだったみたいで、その……す、すみませんでしたっ」


いたたまれなくなったのか、夜闇でもわかるほど顔を赤くして立ち去ろうとする。


「待って」


そんなキリエを、ムラクモは腕を掴んで引き留めた。


「す、すみませんすみませんっ。変なこと言ってムラクモさん起こして……っ」

「気にしないって。あー、でもちょっと困ったな」

「すみませんすみませんすみません……!」

「いや、キリエちゃんが考えてるみたいな意味じゃなくてさ」


いっそう恐縮そうにするキリエを無理やり引き寄せて、向かい合うように抱きしめる。落ち着かせるようにその背をさすりながら、ちらりと大太刀を見た。


気を遣っているのか、トツカは相変わらず沈黙を守っている。

ストッパー兼茶化し役が仕事を放棄しているのをいいことに、ムラクモは思ったことをそのまま口にした。


「惚れちゃいそう」

「……ふぇ?」

「いやまあ、キリエちゃん元から好きなんだけどさ」


そう言って、キリエを抱きしめたままベッドの上に横になった。

今の顔を見せるのが気恥ずかしくて、彼女の額を胸元に押しつける。

心臓は早鐘を打っているだろうが、鍛えているため常人のそれに比べれば緩やかに聞こえるだろう。この高鳴りが伝わりませんようにと願いつつ、白い後頭部を慈しむように撫でた。


「キリエちゃん。ちょっとだけ俺の話聞いてもらってもいい?途中で寝てもいいからさ」

「は、はいっ、私なんかでよければっ」

「ん。ありがとね」


短く謝礼の言葉を口にしてから、ムラクモは訥々と話し始める。


「俺さ、竜種やドラゴニアン斬るの苦手なんだよね。あ、竜種ってのは昼間に見たあの蜥蜴な。あれの仲間とか、もっと純正のドラゴンとか、そういうの」

「……苦手なんですか?」

「うん。俺の育ての親がさ、ドラゴニアンだったからさ」


もう二十年近く前のことだ。“月狂い”によって親をなくし、孤児となったヒューマンの子供を、ドラゴニアンの女が引き取ったのは。

クシナダ=クサナギという女は並の男では歯が立たないほどの勇士で、当時貧相だったムラクモはどうして自分なんかを引き取ったのかと首を傾げたものだ。長い歳月が流れた今でも、ムラクモはその答えを知らないでいる。


「聞かなかったんですか?」


その問いかけに、困ったように笑う。


「その前に死んじまった。……より正確に言うなら、俺が殺した」

「――――ぇ」

「“月狂い”になってさ。ちょうどキリエちゃんが生まれたくらいのころになるのかな。クシナダの奴は住んでたとこが火の海になるくらい暴れまくって、たくさん犠牲出した。だから、どうしても止めなくちゃいけなかった」


目を細めて思い出せば、昨日のことのように当時の情景が脳裏をよぎる。


クシナダから、大太刀トツカを譲り受けたばかりのころだった。

今年の誕生日は盛大に祝ってやろうと、そう言われた日の夜に彼女は狂った。


あの地獄は、今もムラクモの胸に深く突き刺さっている。彼女を連想させるものを斬ることに未だ苦手意識を抱え、斬ってしまえば悪夢に苛まれてしまうほどには大きな傷跡だった。


「……俺には、【無敗殺しジャイアントキリング】だなんて言われる大層な力がある。誰も勝てないような強いやつを、強いからって理由だけで叩きのめしちまう反則みたいなチートだ」

「……」

「でも、こんなもんだけあっても凄くもなんともない。ただ振るうだけなら、苦しんでる奴を、傷ついてる奴を、助けることもできずに殺すしかできない力だ。……だから、最弱だとか幸運だけの奴だとか、そう言われても仕方ないのさ」

「っ」

「気づかないわけないだろー?可愛い女の子のことは一挙一動も見逃さないぜ」


軟派な言葉を口にしながら、そっと顔を上げさせる。薄い唇の指先でなぞり、傷がついていないことを改めて確認してから笑いかけた。


「……」


そんなムラクモの顔を、ジッと見つめた後。

おずおずと伸ばされた手が、ぼさついた黒髪を撫でた。


「でも、ムラクモさんは私のことを助けてくれて、街の人のために怖い怪物を倒してくれました。そんな力を持っているのが、優しいムラクモさんでよかったって、私は思います」

「……キリエちゃん」

「えっと、その、だから。ムラクモさんが報われないのは、私、悲しいです」

「だから、キリエちゃんがこうして俺のことを褒めてくれてるのかい?」

「あ、えっと、その、ムラクモさんにこうされるの好きですから……。私も一応、ムラクモさんがお好きな女なので、少しでも喜んでいただければと……」


言っているうちに自信がなくなってきたのか、声はどんどん消え入りそうになり、頭を撫でる手も弱々しくなっていく。そんなキリエに思わず頬を緩めながら、彼女が自分の頭を撫でやすいよう、その肩口に顔を埋めた。


「困るな、ほんと」

「や、やっぱり私なんかじゃ駄目ですよね……」

「そうじゃなくてさ」


小柄な体を抱き寄せて、その背を再び撫でさする。

そこにいくつもの傷跡が残っていることは、トツカから聞いている。彼女の身の上を考えれば、どういう経緯でそれがつけられたかなど深く考えるまでもない。


本当なら、誰かを憎むのが当たり前のような少女なのだ。

少なくとも世界は、そういう体質と境遇を彼女に与えている。


だというのに、彼女が恐れるのは自分に触った誰かが呪いに苛まれることで、自分の言動で誰かの気持ちを損なってしまうことで。当然のように赤の他人のために命を危険に晒して、当たり前のように人の傷を慮ってしまう。


まるで、自分の価値はそこにしかないとばかりに。

そんなキリエはひどく異質で、危うくて仕方がない。


「マジで惚れちゃいそう」


似た言葉を繰り返しながら、キリエの体を抱き寄せたまま目を閉じた。


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