第12話:報われないもの
(こんな短い期間に連続で遭遇するなんざ初めてだぞ!)
突如現れた“月狂い”を前に、舌打ちをしながら踏み込み、距離を詰める。
暴れさせるのはまずい。
何をおいても討伐するのが先だと、大太刀を振るおうとする。
人々の脅威になった亜竜種を、斬り伏せようとして。
――――ムラクモはさあ、どんな奴になりたい?
「――」
過去の残滓が、脳裏をかすめる。
それに引きずられるように動きが一瞬鈍り。
(――――お、い)
ムラクモが硬直した隙に振るわれた尾が、背後のキリエを狙っていることに気づいた。
このまま刀を振るえば、目の前の“月狂い”は斬れる。
だがその代わり、凶暴な尾が小柄な体を叩き潰すだろう。
「ふざけ、ん、なっ!!」
迷いはない。
必殺を放棄し、横を通過しようとした尾を両断した。
「ガアアアアア!」
太い尾が地面に落ち、苦悶の声が上がる。しかし、それも一時。キリエを庇うように移動したムラクモの前で、斬られたばかりの尾はすぐに生え変わった。
竜種と分類される生物は再生力が高い。とりわけ尾の部分は顕著で、先のように攻撃を阻害する場合を除けば尾を狙うのは悪手である。確実に仕留めるなら、頭部か胴体だ。
(さーて、どうするか)
ムラクモ一人なら、勝つことは容易い。
問題は守るべき者が後ろにいることだった。
(キリエちゃん狙ってきたってことは、襲撃者関係かもしれねえのがな)
いったん逃がすか、抱えたまま戦うか。
キリエ狙いの可能性がある以上、前者は迂闊に即断できない。後者にしても、呪いの帳尻合わせを思うと気軽に実行できなかった。
そうして攻め方を決めかねているムラクモの横を、人影が通り過ぎた。
「はぁっ!!」
気勢とともに白銀の聖剣を振るうのは、サイア=アダマス。
首を狙って振るわれた刃そのものは鱗に弾かれるものの、触れたところから火花が散り、それは大きな焔へと変じて亜竜種を包み込んだ。
「ガッ、ガ、アアア!」
先ほどよりも大きな声を上げながら、四足歩行の体はのたうち回る。
攻撃魔術とも呼ばれる赤属性。それを聖剣に付与して戦うのが、魔術騎士とも言われるサイアの戦い方だ。六勇者最高の術士たるイオには多彩さで劣るものの、攻撃の赤属性、そして強化魔術に分類される青属性魔術に関しては、サイアはイオの上を行く使い手である。
そんな彼女は聖剣に次の魔術を付与しつつ、振り返らずにムラクモへ言葉を放った。
「邪魔です、ムラクモ=クサナギ。同行者を連れて早く退避してください」
「サイアちゃんじゃ勝てないぜ、そいつは」
「ならば余計に貴方の出る幕ではありませんよ、序列最下位」
冷淡な声で言い放つや否や、サイアは再び亜竜種へと斬りかかっていく。
のたうつことで火を消した亜竜種はそれを迎撃しようと尾を振るうが、今度は体の一部を氷漬けにされる。それから逃れれば、次は紫電を纏った斬撃が振り下ろされた。
傍から見ればサイアが一方的に圧しているように見える。
その証左として、民間人の避難誘導を行っている騎士達の表情には緩みがあった。逃げるように促されつつも、サイアの戦いを見守る民間人達の顔にも安堵が浮かんでいる。
(いや、全然効いてない)
ムラクモだけが、サイアの不利を理解していた。
そしてサイア自身も、魔術を付与した斬撃に見た目ほど効果がないことを理解しているだろう。それでも引かないのは、先ほどのムラクモ同様、後ろに守るべき者がいるためだ。
仕方ないなと肩をすくめてから、後ろにいるキリエを片腕で抱きかかえた。
「む、むらくも、さ」
「しっかり捕まっててくれよ。あと、喋ると舌噛むと思うから」
喋ろうとするキリエをそう制した後、前方の戦場めがけて駆け出した。
サイアが間合いをとった一瞬を狙い、両者の間に体を滑り込ませる。そして、大きく片足を振り上げると、顎の部分を思いきり蹴り上げた。
「黒の勇者!サイア様の邪魔をするんじゃない!」
騎士から非難が上がるのを無視して、振り上げた足で亜竜種の頭部を踏みつける。そのまま足裏に力を込め、頭部を踏み台に目の前にあった建物の屋上めがけてさらに跳んだ。
「グオオオオオ!」
着地と同時に、地上から咆哮が聞こえてくる。下を見れば、亜竜種が建物の壁を這うように追いかけてきているのがわかった。
紫紅に輝く目玉は、攻撃をお見舞いした自身ではなくキリエの方に向いている。
(キリエちゃん狙い確定か)
内心舌打ちをしてから、風上を目指して駆け出した。
(主、どうしますか)
(キリエちゃん隠してから迎え撃つ。視界と匂いが遮られるとこなら安全のはずだ)
(了解です。右方が最も魂の気配が少ないので、そちらを推奨します)
(オーケー)
念話で会話をしてから、腕の中にいるキリエを安心させるように笑った。
「すぐ終わらせる。だから少しだけ一人で待てるかい、キリエちゃん」
「は、はいっ」
「ん。良い子だ」
頷くキリエに笑みを深めてから、亜竜種がついてきているか確認しようとして――
「――ッ!」
同時に聞こえてきた戦闘音に、顔を強張らせた。
剣戟を振るう音に魔術が炸裂する轟音。後方で何が起きているか察するのは容易く、ムラクモの顔に苦々しい笑みが浮かんだ。
サイアはムラクモの【
だからこそ、こちらに引きつける行動をとった。魔術剣が通じないことはわかっているだろうから、彼女がイディス辺りに応援を要請している間に倒そうという算段だったのだが。
「真面目なサイアちゃん的にはそうなっちゃうか……!」
合理的に判断して一時弱者を囮にすることを良しとせず、自らの不利を理解してなお弱者のために立ち向かうことを決めたのだろう。その高潔さを好ましく感じる一方で、事態が悪い方向へと転がることに舌打ちを隠せずにはいられない。
「方針変更!」
『了解です』
声を荒げつつ、体の向きを反転させる。
匂いで追跡されるのを考慮して、相手を引きつけるように移動しなかったのが裏目に出た。助けに行けるまでの時間を逆算し、焦燥感が込み上げてくる。
(あんま無茶しないでくれよ、サイア!)
そんなムラクモの願いは、残念ながら叶わなかった。
「ぐ、ぅ…ッ」
建物の間にある狭い道で、女騎士は呻き声を零す。
脇腹からは血が滲み、緑青のドレスが赤茶に汚れている。体を動かすたびに激痛が走るが、足をふらつかせることはない。六勇者としての序列はⅤであるものの、その耐久力は勇者の肩書に相応しく人並み外れたものだった。
それでも、損耗の事実は覆せない。
零れた呻き声がその証左だった。
ムラクモを追いかける亜竜種の動きを止めるために彼女がとったのは、亜竜種が次の建物に飛び移ろうとした瞬間、全体重をかけて上から突撃すること。魔術がほとんど効かない以上、頼ることができるのは物理的な圧力しかなかった。
その無茶は成功し、亜竜種はサイアごと地面に墜落した。
墜落の衝撃に備えて青属性魔術で強化はしていたので、落下のダメージはない。しかし、とっさにサイアの体を掴んだかぎ爪が、その強化を容易く貫通して彼女の脇腹に傷を残した。
埒外の力をもってして、勇者すらも圧倒しうる存在。
そんなものを、サイアは一つしか知らない。
(この実力、満月級ですか)
じりじりと迫ってくる亜竜種を見て、行儀悪くも舌打ちを零したくなる。
“月狂い”を王都内に運び込んだ者がいる。
そんな報告と協力の要請を『教会』から受けたのが今朝方のこと。
捜索班を結成した時は、よもや相対するのが満月級とは思いもよらなかった。
しかし、事実は覆らない。こうして対峙してしまった以上、成すべきは目の前の脅威を討伐することである。例え、勝てるビジョンが浮かばないとしても。
(……こういう戦闘は二回目ですね)
聖剣を握る手に力を込めながら、思い出すのは何年も前のできごと。
まだ六勇者に名を連ねていなかったころ。会敵した満月級を相手に、サイアは初めて苦戦ではなく勝てないと心から思う戦いを経験した。
その時は――
「っ」
過去に向きかけた意識を、小さく首を振って払いのける。
そして、距離を詰めてくる亜竜種に向けて聖剣を構え直した。
(狙うは、尾)
尾に対する攻撃は敵の打倒に繋がらないため、基本は悪手とされる。
しかし、切り落とした直後は再生するためにわずかな硬直が発生する。その一瞬に勝機を見出したサイアは、刀身に強化の魔術を付与しながら一歩踏み出した。
「シャアッ!」
自分から近づいてきた獲物を迎撃しようと、亜竜種は尾を鞭のようにしならせる。
幸い、動きは目で追えないほどではない。ギリギリまで引きつけてから、相手の勢いをも利用して両断すべく、尾めがけて聖剣を振るった。
そこまでは想定通り。
だが。
――――ガギンッ、と。
断ち切るはずだった尾に刀身を弾かれ、そのまま胴体に殴打を食らった。
「がは…ッ!?」
骨が軋む音を聞いた直後、近くの建物に体を叩きつけられる。硬い壁が直撃した脇腹から気を失いかけるほどの痛みを感じたが、それを上回る混乱がサイアを襲っていた。
(ムラクモ=クサナギには斬れたのに……!?)
ムラクモには尾が斬れていた。
だから自分にも同じことができるのを前提に立てていた勝機が、予想外の事態を前に呆気なく瓦解する。激痛と混乱で四肢を動かせないサイアめがけて、再び尾が振るわれた。
「っ」
とっさに目を閉じ、次の激痛に備えて唇を噛み締める。
しかし、覚悟していた痛みはいつまで経っても訪れない。
「ガアア……!」
代わりに五感が捉えたのは亜竜種の苦悶。そして、すぐ傍らに現れた気配。
「……?」
恐る恐る目を開ければ、その眼には黒い外套が映った。
「――――」
それは、「一回目」のサイアの前にも現れた後ろ姿。
二メートルを超える漆黒の大太刀を構え、自分では歯も立たなかった脅威に気負いなく向かい合っていた男と同じもの。一度は失望させられた背中が、かつてのようにサイアの窮地を救うために亜竜種の前へと立ちはだかる。
――――もう大丈夫だぜ、可愛いお嬢さん。
「もう大丈夫だぜ、サイアちゃん。後は任せてくれ」
黒い外套の男――ムラクモ=クサナギはそう言って、得物を構える。
その姿を認識した瞬間、サイア=アダマスの意識は痛みと安堵で暗転した。
(ギリセーフってとこか)
背後で気を失ったサイアを一瞥しながら、ムラクモは小さく息をつく。なんとか最悪の事態は回避できたことに、安心したように頬が緩んだ。
だが、次の瞬間には鋭利さを帯びた眼光を亜竜種に向けた。
本能でムラクモの【
無論、その一瞬を逃すムラクモではない。一気に距離を詰めると、サイアから引き離す目的も込めて片足を振り抜いた。
『っ、主!そちらはまずいです!』
直後、トツカが珍しく焦った声を上げる。
足を止めるのは間に合わない。どうにか軌道をずらし、本来蹴り飛ばすはずだった方向とは別の場所へと亜竜種の体を叩きつけた。
「ガア…ッ!」
建物にぶつかった衝撃よりも、蹴りがもたらす痛みによってその体躯が痙攣する。
そんな中、亜竜種がいる近くの物陰から、十にも満たない少女が恐る恐るといった風にその姿を覗かせた。怯えた顔の子供が出てきたのは亜竜種が本来突っ込むはずだった場所で、ムラクモは肝が冷えるのを感じた。
(でもやっべえな、これは……っ)
巻き込まなかった安堵は一瞬。
子供と亜竜種の近さに、すぐに焦りが胸中を満たした。
斬りかかるのは容易いが、どちらも動きが読めない。特に恐怖に囚われた子供は、容易くこちらの予想を飛び越えてくるだろう。亜竜種の注意が向くくらいならまだ良い方で、亜竜種やムラクモの方に突っ込まれたら目も当てられない。
「っ」
またしても攻め方を決めかねる。
そしてやはり今回も、第三者が場を動かした。
「――グアッ」
突如、亜竜種が首の向きを変えた。
ムラクモやサイアはおろか、近くにいる子供でもない。それ以上に関心を引かれるものの存在に気づいたと言わんばかりの、急な変化だった。
つられるように亜竜種と同じ方向を見たムラクモの顔が、盛大に引きつった。
(キリエちゃんっ!?)
そこにいたのは、近くの建物に隠れさせていたキリエ。
胸のところで拳を固く握った彼女は、あろうことか亜竜種にじりじりと近づいていく。その顔が努めて子供の方を見ないようにしていることから、キリエの目的が何であるかはすぐに察することができた。
(自分が狙われてるのに気づいてたのか……!)
そうでなければ、ああして自分を囮になど使わないだろう。
舌打ちとともにムラクモが駆け出すのと、標的を見つけた亜竜種がキリエに向かって飛びかかったのはほぼ同時のことだった。
距離は五分。
明暗を分けたのは、俊敏さと移動方法。
「おらぁッッッ!!」
キリエの体を噛み砕かんと大きく開かれた顎は、寸前で間に割り込んだムラクモによって裂くように斬られた。
舞い散った鮮血が辺りを汚すより早く、亜竜の体は灰となって散り散りとなる。球体の『魔月石』が地面にぶつかる音で、ようやくムラクモの肩から力が抜けた。
「何してるかなあキリエちゃん!あんなことしたら危ないでしょうがっ」
大太刀を納刀してから、後ろにいるキリエをできるだけ穏当に叱りつける。
キリエは大きく肩を震わせた後、恐縮しながら顔を伏せた。
「す、すみません…っ。でも、放っておけなくて……」
「その気持ちはまあ、わからなくはないが……」
それにしたって、と複雑な心地が湧き上がる。
言い方は悪いが赤の他人だ。
自分が命を投げ出すことで脅威が滅されるだとか、より大勢の赤の他人が救われるだとかなら、自分とて同じ選択をしたかもとムラクモは思う。しかし、たった一人の赤の他人を助けることと引き換えに命を投げ捨てられるかと言われれば、それを選べる自信はなかった。
(危なっかしすぎる)
思わず眉間にシワを寄せていると、こちらに近づいてくる喧騒が耳についた。
視線を向ければ、『王室』の騎士達が我先にと道の向こうから駆けてくる。彼らは建物に埋もれるようにして気を失っているサイアを見ると、血相を変えた。
「サイア様!」
駆け寄った騎士達が、サイアを助け起こしている。
彼女は彼らに任せていいだろうと、ムラクモは子供の方に視線を向ける。
しかし、そこに人の姿はない。おそらくは亜竜種に恐れて逃げたのだろう。それだけの元気があるなら何よりだと思いつつ、足元に転がる『魔月石』を拾い上げた。
「おーい」
騎士達に呼びかけながら、『魔月石』を放る。慌てふためきながらも騎士の一人が無事キャッチしたのを見届けた後、へらへらとした笑いを浮かべて片腕を上げた。
「それ、さっきの“月狂い”の『魔月石』な。そっちで処理任せた」
「……わかりました」
「じゃあ、お仕事ご苦労さん。行こうか、キリエちゃん」
「あっ、は、はいっ」
そう言うと、キリエの体を外套に隠すように抱き寄せてから歩き出す。
ゆったりとした踏み出しだったため、足がもつれることはない。慌てた声は上げつつも、ムラクモに続く形でキリエも歩を進めた。
騎士達の横を通り過ぎる時、より肩を抱き寄せられる。
しかし、キリエは運悪く見てしまった。
(……え)
先ほどの怪物がどれだけ恐ろしいものかは、少し対峙しただけでもわかった。
遠目から見ただけだが、サイアという名の女騎士も手ひどく傷を負わされていた。ムラクモが倒さなければ、あの怪物によって大勢の人が犠牲になっていただろう。
だというのに、騎士達が彼に向ける視線は冷ややかなものだった。恐ろしい怪物を倒した勇士に対する感謝や尊敬の念はなく、軽蔑さえ感じられる眼差しを黒い外套に向けている。
「……黒の勇者か」
「どうせサイア様の手柄を横取りした形なんだろ」
「最弱が。運が良いだけのくせに」
聞きたくないことほど、耳が拾ってしまう。
外套越しでも聞こえてしまう理不尽な言葉達。それを聞きながら、キリエはムラクモに気取られないようにきつく唇を噛みしめた。
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