第10話:呪いの少女




通されたのは、礼拝堂の奥にある一室だった。

資料が散乱しており、机の上も片づいているとは言い難い。いつ来ても散らかっている部屋だと、何度か足を運んだことがあるムラクモとイディスは同じ感想を抱いた。


「適当にかけてくれ」


そう言いながら、イオは積んである資料の上に腰かける。

さすがに同じようなものに座るつもりにはなれなかったので、椅子らしきものを三つ引っ張り出し、横に並べて腰を下ろした。座れるところを見繕う動作がよどみないのも、付き合いの長さを表している。

そうして全員が腰かけたところで、イオは単刀直入とばかりに口を開いた。


「その娘は呪物だ」

「……呪物ぅ?」

「ああ、それもとびっきりだ。私もまさか二つ目を見ることになるとは思わなかった」


言いながら、縮こまっているキリエを一瞥する。


「ムラクモ。お前の幸運の仕組みはなんだ?」

「あん?なんだよ急に」

「いいから答えろ」


怪訝そうに問い返せば、有無を言わさず促される。

昨晩も似たやりとりをしたなとイディスを横目に思い出しつつ、かつて身元引受人であるオージンが仮説を出し、その後イオによって補足された己の「幸運」について口にする。


「えーっと。本来運の良さってのはみんな大差ないはずなんだが、この世にはそこかしこに悪意っていう呪詛、要は「こいつが幸せになるのは嫌だ」みたいな気持ちが漂っていて、それにまとわりつかれることが表面的な運の善し悪しに繋がってる」

「ああ、それが私の考えるエクストラエデンでの「幸運」の定義だ」

「んで、オージンのじいさん曰く、俺はそういう悪意の呪詛に耐性がある。本来受けるはずの影響がないから、結果的に俺は人より運が良く見える、と」


すなわち、ムラクモの運が良いわけではなく。

周囲の運が悪いから、ムラクモの幸運が目立っているという仮説だ。

さらに言うならば、影響を受けないがゆえに、悪意によって他者が取りこぼしてしまった幸運を拾いやすいという考えもできる。


ムラクモが自身の幸運を敬遠しつつも、富くじを購入するなどして活用自体している理由はそこにあった。

比較によって得られる見せかけの幸運など虚しいばかりだし、かといって他者が取りこぼしたものを拾い上げているのならば無駄にするのも忍びない。その折衷案として、ムラクモは自らの幸運で得たものをなるべく他人に還元することでバランスをとっていた。

もっとも、彼の行動原理は近しい者以外にはなかなか理解されず、それどころか幸運をひけらかしているという認識が大勢を占めているのだが。


それも致し方ないだろうと、とムラクモは冷静に判断している。

理解されなくとも構わないとも思っているが。


「ちゃんと覚えていたようで何より」

「そりゃあ、俺を挟んで何時間も討論されりゃあな……」


当時のことを思い出し、げんなりした顔になる。

オージンもイオも学者肌なので、折に触れては派閥の垣根を越えて意見交換をすることが多々あった。よく題材に使われているムラクモとしては迷惑きわまりない。


「その娘は、だ」


しかしその顔も、イオの言葉で冷水を浴びせられたように固まった。


「悪意という呪詛があるとして、それを弾くお前とは対照的に、これは自らの中に取り込んでしまう。そのことで自分だけが不幸になるなら同情に値するが、問題はこれが取り込んだ悪意を本物の呪いに変換することでな」


運の善し悪しという曖昧なものに影響を及ぼす、想像上の呪詛。

それを現実の呪詛に変えるのが、キリエの性質だと。


忌まわしげな表情を浮かべて、そう説明する。


「私が類似品を見たのは西国の小さな集落なんだが……。時にムラクモ、東国には確か人形ひとがた祓いという風習があったな?」

「ああ。自分の厄を人形に移して、それを川に流すなり焼くなりして禊をするやつだな」

「その集落ではそれを生きた人でやって――だからイディス、駆け出そうとするのはやめろ。集落があったのはもう百年も前の話だから向かったところで何もないぞ!」


反射的に駆け出そうとしたイディスを、声を張り上げて制止する。

猪突猛進の騎士が入り口のところで足を止めたのを見て、はあと盛大に溜息をついた。


「お前も止めんかムラクモ……」

「悪い。俺もかなりイラッとしたからむしろゴーイディスって気持ちだった」

「悪習滅ぶべし!もう滅んでいるようだがな!」

「まったく……」


直情的な任侠人達にもう一度溜息をついた後、話を続ける。


「まあ、そういう集落があったわけだ。もちろんそんなもので完全に厄除けが叶うわけもないんだが、悪意の呪詛が形代に集中する形になるわけだからな。そういう意味では一時的に効果はあったのかもしれない」

「それで最終的に集落が消えたら意味がないんだよなあ」

「全くだな。とはいえ、彼らにも予想外ではあっただろうさ。その存在を狂信的に信じていた者もいただろうが、人間がいるだなんて思ってもいなかった者が大半だろう」


百年前、西国の片隅で起きた呪術災害。

小さな集落を滅ぼしたそれを調べるため、当時のイオは現地を訪れた。そして調査の結果、何が原因で何が起きたのかを理解したのだという。


「当代の形代は、禊の日を迎える前に不慮の事故で死んだ。結果として溜め込んでいた厄が周囲にばらまかれ、それが災厄となって集落を滅ぼしたというわけだな」

「……キリエちゃんは、その形代の子と同じだって?」

「私の見立てではそういうことになる。――さて」


話を区切る接続詞を口にしてから、イオは改めてキリエを見た。


「ここから先は、本人の己の性質を喋らせた方が早いだろう。もっとも、この期に及んでまだ口にしたくないというなら、私が引き続き解説するがな」

「お前、言い方さあ」

「どういう意図であれ、己の性質を口にしないのは不誠実だろうよ」

「いたいけな女の子相手に手厳しいにもほどがあるだろ」

「……い、いえっ」


顔を顰めたムラクモを制するように、キリエが口を開く。


「この人の言うとおりですから」


そう言うと、彼女は申し訳なさそうな顔でムラクモ達を見る。

そこに、真実がつまびらかにされていく諦念の類いは感じられない。あるのは、自身の不誠実や優柔不断さを責めるような色だけだ。

色濃い自罰にムラクモが片眉をひそめる中、キリエはたどたどしく話し始めた。


「……私と触れ合った人は、呪われてしまうんです。どんな呪いが出るかは、触るまではわからなくて。酷い時は石化してしまう人も、その、いました」


倦怠、麻痺、石化、睡魔、沈黙、昏倒、混乱、幻覚、恐慌。

触れただけで、様々な呪いを無作為に付与してしまう。

その呪いは接触を止めればほどなく解除されるが、逆に言えば触れている限りは呪いが永続する。種族的な耐性も、魔術による防護も関係ない。誰に対しても平等に呪いを振りまいてしまうのが、自分という存在だと少女は語る。


「だから、ムラクモさんに触られた時は驚きました。私に触ってなんともならない人は、初めてだったので」


――――あの…っ、なんともないんですか……?


「……」


地下での問いかけを思い出し、知らず眉間にシワが寄った。


「なるほど。予想外のことに混乱し、言うタイミングを逸したというわけか」

「それも、ありますけど……」


イオの補足に肯定を返しつつも、膝の上に置いた拳を握りしめる。


「……気持ち悪がらせたく、なかったので」


その言い方に、イオは引っかかりを覚えたとばかりに眉をひそめ、今までのキリエの言動を知るムラクモ達はそういうことかと得心した。


おそらく、キリエにとって大事なのはいかに他人を損なわないかなのだろう。


ゆえに彼女は、誰かと接触することを拒む。呪いが誰かを傷つけないように。

そして、その損なわないというのには心も範疇に入っている。彼女は自分がどういうものかを伝えることで、ムラクモが不快になることを恐れたのだ。


気持ち悪がらせたくない。

気持ち悪がられたくないと似ているようで、その根本は大きく異なる。


「だけど、私がちゃんと言わなかったから、お二人にご迷惑をかけてしまって……」

『あれは不慮の事故でしたし、知っていてもどうにもなりませんでしたよ』

「うむ。例え呪われるとわかっていても、同じ行動をとっていた自信がある!」


恐縮するキリエに、二人は気にするなとばかりに声をかける。

それでも身を縮こまらせるキリエの頭を、ムラクモが撫でる。反射的にキリエの体がびくつくのは今まで通りだったが、対するムラクモは遠慮しないとばかりに撫でる手に熱を込めた。

その手を払いのけることもできず、あう、とキリエが小さく呻く。

それに頬を緩めつつも、怪訝そうに首を傾げた。


「しっかし、なんで俺は触っても平気なんだろうな」

『主。接触を拒まれていた理由がわかったからといって気安く触りすぎでは?』

「いいだろー。今まで触ってもらえなかった分の穴埋めってやつだよ」

「で、でも、もし何かの弾みに呪いがかかったら……」

「安心しろ。その心配はおそらく不要だ」


キリエの不安そうな声に、イオの言葉がかぶさる。


「さっき本人の口から説明させたように、ムラクモは悪意の呪詛に対して耐性を持っている。おそらくは、その耐性がお前から出る呪詛を相殺しているんだろう。帳尻合わせはあるかもしれないが、無視しても問題ないはずだ」


彼女の説明になるほどと頷きつつ、ムラクモはトツカに念話を飛ばす。


(昨日から妙に運悪い瞬間あるし、それかね帳尻合わせって)

(おそらくは)

(じゃあ黙っとくか。キリエちゃん気にしそうだし)


そんな算段をつけながら、キリエの頭から手を離した。

少しくしゃくしゃになった髪をさっと整えるのも忘れない。キリエは気恥ずかしそうにしていたが、触られるのを厭う原因が生理的恐怖でないのなら遠慮する理由などなかった。

その傍ら、今度はイディスが話を切り出していく。


「入り口のところでも少し話したが、昨夜キリエ殿を狙った襲撃者を撃退した。この襲撃者に心当たりはあるか、イオ」

「さすがにわからん。そういう当事者はどうなんだ」

「わ、私にもそういう心当たりは……。売買される時以外は、狭い部屋にいましたし」

「そうか」


またも申し訳なさそうにするキリエを見て、やれやれと肩をすくめる。


「呪物関係の話となれば、『教会』の案件だ。襲撃者とやらはこちらで調べておこう」

「ん、助かる」

「感謝する!」

「ただし、その危険物はこっちで引き取ることはできん。ムラクモ、お前が面倒を見ろ。どうせ依頼がない時以外は暇だろう」

「どうせ暇とか言うな。お前さん達に比べりゃあ暇人だけどよ」


複雑そうな顔で頬を掻き、反論する。

勇者としての責務以外にも属している派閥の仕事がある二人と違い、責務以外の束縛がない『機関』派の勇者はこういうところで肩身が狭い。


「あ、あの、これ以上ご面倒をかけるわけには……っ」

「私としても軟禁するのが一番安全だと思うんだがな。だがこいつらが許さんのは目に見えてる以上、身一つで放り出すわけにもいかん。それに、どうせ行くあてもないんだろう?」

「……」


またも、申し訳なさそうに俯く。

何度目かの溜息を零した後、イオはムラクモを一瞥しながら口を開いた。


「この男はかなりの女好きだ。女の頼みなら基本断らないし、女としっぽりするためなら大抵の労苦は厭わん。どうせこいつなら触っても呪いは移らんのだし、気になるなら胸や尻でも触らせておけ。報酬としてはそれで十分だろう」

「俺の品性を貶める発言やめてくんない?」

『事実では?』

「日頃の行いだぞ!」


反論の言葉を口にすれば、横から援護射撃が入った。


「いや違うんだキリエちゃん。いや確かにレディの頼みは断らないし、レディと仲良くできるならどんな苦労でも背負おう。だがしかし、困っているのを盾にセクハラを迫るような狼では断じてない!」


確かにそれらの部位に接触できれば、色々な意味でやる気は出る。

しかし、この場でそれを肯定するわけにはいかない。必死になって弁解の言葉を口にするムラクモだったが、残念なことにキリエの耳には届いていなかった。


少女は落ち着かなさそうに視線をさまよわせながら、白い頬を色づかせる。

そして、おずおずとした様子で唇を動かした。


「は、恥ずかしいですけど、それでお詫びになるのなら……っ」

「――――自分を!大事に!」


思わず頷きたくなったのをぐっと堪えて、紳士の台詞を叫んだ。




「つまり、巫女はまだ覚醒していないということですね」


荘厳と静謐に支配された空間に、そんな声が響いた。

人間味というものに欠ける、淡々とした声。

声は事実を口にしたのみで、そこに何かを責めるような響きは存在しない。だというのに、感情的に叱責される以上のプレッシャーを聞く者に感じさせた。


「……申し訳ありません。どうやらそのようで」


声の主の前に跪く女は、努めて同じ声色の言葉を返す。

そうすることで、プレッシャーに押し潰されそうなのを堪える。そんな女の心情を知ってか知らずか、声の主は話を続けた。


「あれくらいの歳になれば器は十分に拡張されているはずですが、不思議なものですね」

「観察してみたところ、どうやら当代の巫女は奇特な精神性を有しているようで。器を拡げるための素養に乏しいようなのです」

「なるほど。それならば、説明もつきますか」


女の言葉に、声の主は納得したように頷いてから顎を撫でさする。


「しかし、困りましたね。月が移ろえば巫女は十全に権能を発揮できなくなります。猶予も少ない以上、次のぼうには羽化していただきたいものですが」


変わらず、その声音に感情の色は感じられない。

だが、女は知っている。声の主の言葉は拒否権のない命令に等しく、意に添わなければ淡々とした声からは想像もつかない苛烈な折檻があることを。

ゆえに、返す言葉は一つ。


「次の手はずは打っております。ご安心を」

「さすがですね。助かりますよ」

(……心にもないことを)


気取られないよう胸中で毒づいてから、一礼をする。

それを見て満足げに頷くと、声の主は天井近くに取りつけられている窓を仰ぎ見た。


そこに映るのは、薄い紫紅に輝く月。

満月から新月へと向かわんとしている輝きを見て、声の主は初めて、恍惚とした感情の色をその声音に浮かべた。


「ああ、楽しみですね。神の裁きと慈悲が降臨される日が」

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