第9話:第六礼拝堂




エクストラエデン最高峰の宗教「飛地の教会」、通称『教会』。

その本拠地は、『王室』や『機関』と同じく王都にある。


教会を名乗るだけあり、王都の中にいくつも礼拝堂を構えている。銀の勇者イオがその身を置く第六礼拝堂もまた、そんな建物の一つだった。


王都の北東ゲート付近に位置するその礼拝堂は、一般向けには開放されていない。ここを訪れるのは、病や怪我を長く患っているが頻繁に正規の病院に通える余裕はない貧困層だ。

彼らは教徒達の研鑚に協力する代わり、無償の治療を得ている。

要するに、白属性魔術の練習台になっているわけだ。


どんな魔術であれ、実施の経験を積まねば性能は向上しない。しかし、金を払ったのに治すのが見習いの術士では嫌だというのが病人・怪我人側の意見だ。

ならば、金を払う余裕はないが治療はしてもらいたい民間人に協力を仰げばいい。イオが提言したのが十年前のこと。最初は悪評を恐れて首を縦に振らなかった上層部も、イオを始めとする教徒達や、そういう施設があればありがたいという市井の声に動かされ、許可を出した。


王都はエクストラエデンの中では特に栄えた場所だが、全員が全員、その栄華に預かれるわけではない。北東の住宅地には特にそう言った者達が多く、だからこそ第六礼拝堂の存在は広く支持されていた。


無論、用途を公言している以上、やはり危惧すべきは風評被害。

一度門戸を叩いた者を、悪化させた状態で帰すわけにはいかない。そのため、提案者のイオはここを住まいとし、他にも交代制で腕の立つ白属性魔術の使い手が勤務していた。


一部の間では、教皇と折り合いが悪いイオが、そのお膝元たる大聖堂から離れる口実としてこの第六礼拝堂を提案したのではないかという声もある。

それ以上に、貧する者の味方として銀の勇者を褒めそやす声の方が多かったが。


「相変わらず子供がたくさんちょろちょろしてんなあ、ここは」


そんな第六礼拝堂に到着したムラクモは、庭の光景を眺めて肩をすくめた。


一般向けに開放されていないということはすなわち、礼拝に来る者がいないということ。病人もいるので騒がしくしていいわけではないのだが、それでも他の礼拝堂に比べれば、静謐に気を遣わなくてもいい場所である。

つまりは、幼い信徒達の絶好の遊び場だった。


ヒューマン、獣人、精霊人などなど。複数の種族が入り混じり、追いかけっこやボール遊びに興じている様は、騒がしくはあるが微笑ましい。特にイディスは子供好きであるため、相好を崩して子供達の様子を見ていた。


繰り返しになるが、イディスは有名人である。最たるトレードマークである鎧を着ていなくても、赤い髪と精悍な顔立ちは人目を引く。


「あっ、イディスさまだ!」

「騎士様!」

「赤のゆーしゃさま!」

「うむ、いかにも!オリュンポス家に仕える騎士、イディス=アイギスである!」


イディスの存在に気づいた子供達が、黄色い声を上げる。

昼間ということもあってイディスも声をセーブしていないため、よく通る声ではきはきと応じる。結果として、庭にいた子供のほとんどがわらわらと近づいてきた。


「っ」


肩を強張らせたのは、ムラクモの傍らにいるキリエだった。

彼らの目的はイディスとはいえ、自分の方へと近づいてくることに変わりはない。反射的に距離をとろうと後ずさりしかけたところで、その背をムラクモが止めた。そのまま膝裏に手を回し、片腕で担ぐように抱きかかえる。


「わっ、わ」


突然のことに驚き、バランスをとるよう近くにあったムラクモの頭に抱きつく。位置関係と体格差もあって、キリエの胸元がこめかみに当たる形となった。


(柔らかい……)

『顔が変態臭いのでやめてください主』

「辛辣が過ぎない?」


そんなやりとりをしている間に、子供達の大半がイディスを取り囲む。その輪からあぶれたり、イディスではなくムラクモの方に興味を惹かれたりした子供達が距離を詰めてきた。


「おっさん、でけー剣持ってる!」

「おっさんじゃないよ、黒のゆーしゃさまだよ」

「おれ知ってる、さいじゃくのゆーしゃだ!」


彼らもまたムラクモを取り囲み、好き勝手にさえずっている。

蔑称を口にする子供もいたが、意味をわかった上で言っていないのは見ればわかった。その呼び方に別段腹を立てることもなく、代わりに快活な笑みを返す。


「あっはっはっ、元気が良さそうで何より何より。あと、おっさんじゃなくておにーさんな。俺まだピチピチの二十代だから!」

『その言い方がおっさんくさいですよ、主』

「あっ、剣が喋った!」

「ツクモだ!」


ツクモという種族は珍しい。初めて見る子供もいたようで、彼らのテンションはさらに上がった。興奮のあまりムラクモにぶつかる子供も何人かいたが、抱えられたままのキリエと接触した者は一人もいなかった。


「……」


無論、それを偶然で片づけるほどキリエも鈍くはない。

耳に熱が集まるのを感じながら、ムラクモの頭を掴む手に我知らず力が入った。


「いちゃいちゃしてるー」

「そのおねーちゃん、おじさんの彼女?」

「……ふぇ!?」


そして、目敏い子供達はそれを見逃さない。興味津々とばかりに問いかけられ、キリエは顔を赤くしながら素っ頓狂な声を上げた。

助けを求めるようにムラクモを見る。

その横顔が真摯だったことに安心したのも束の間。


「そうそう。俺のお嫁さん」

「およめさん!」

「花嫁さんだ!」

「えっ、ちょ、ム、ムラクモさんっ!?」


彼の口から予想外の言葉が出たのに、キリエはいっそう慌てふためいた。

そんなキリエを見て、ムラクモは残念そうに眉を下げる。


「キリエちゃんは俺のお嫁さんは嫌?なら彼女でもいいんだけど」

「え、あのっ、そのっ」

『主、そういうことは相手を選んで言ってください』

「相手を選んでるからこそ、こうして口説いてるんだけどなー」


トツカの諌める言葉にそう肩をすくめてみせた後、動揺するキリエを撫でる。


「うぶな子にはちょいと悪ふざけが過ぎたか。ごめんね、キリエちゃん」

「だ、大丈夫です……」

「あ、ちなみに本気マジだからそこんとこよろしく」

「ふぇっ」

「ムーラークーモー?」

「げっ」


キリッとしていた顔が、横合いから聞こえてきた声で引きつった。

恐る恐る視線を向ければ、子供達のアスレチックを務めつつもしっかりやりとりを聞いていたイディスが、剣呑な顔つきでムラクモを睨みつけている。さすがに剣は抜いていないものの、拳はしっかりと握りしめられていた。


「そんないたいけな少女まで毒牙にかける気か貴殿!」

「キリエちゃんは年齢的にセーフだろ!?」


詰め寄ってくるイディスに反論しつつ、とっさに後ろへと下がる。

その拍子に、外套を物珍しそうに掴んでいた少年の体がバランスを崩した。外套を掴んで踏ん張ろうとしたが足りず、かえって変な遠心力を得てしまった体はぐるりと回る。

そのまま、小さい後頭部が同じ高さにあったムラクモの股間にぶつかった。


「~~~~~……ッッッ」


声にならない悲鳴が上がる。

抱えたキリエごと崩れ落ちかけたのを、気合いで踏みとどまる。代償として逃がし損ねた衝撃が脳天を貫いたが、男ムラクモ、情けない呻き声は全て飲み込んだ。

目尻に涙が滲むくらいは、どうか許してほしい。


「む、ムラクモさん……!?」

「ははは……へーきへーき……」


本気で案じるキリエを心配させまいと、弱々しくもサムズアップを返す。

急所を攻撃されてなお立ち続けるムラクモに少年達は尊敬の眼差しを向け、少女達は怪訝そうな顔をし、イディスは静かに拳を下ろした。

騎士の情けである。性別が異なるので共感こそできないが、理解はできた。


そうして、若々しい喧騒がいったん鳴りを潜めたところで。


「……外から覚えのある声が聞こえたかと思ったら」


礼拝堂の方から、呆れたような声が聞こえた。

子供達はいっせいに声がした方を向き、少し遅れる形でムラクモ達もそちらを向く。場にいる全員の視線を集める形になった人物は、しかし多くの視線に気圧される様子もなく、悠然とした顔つきで歩いてきた。


「イオ様!」

「ゆーしゃさま!」


第六礼拝堂の主、銀の勇者イオ。

彼女の登場に子供達ははしゃぎ声を上げ、我先へと駆け寄った。

そんな子供達を見て困ったように眉をひそめつつも、無下にするようなふるまいはしない。子供達の言葉に相槌を打った後、連れ立っていた修道女についていくよう指示を出した。

半分が素直に修道女の後に続き、もう半分はぐずるようにイオを取り囲む。それを優しく諭し、先に行った子供達に合流させてから、イオはようやくムラクモ達の方へと足を向けた。


「相変わらず子供に人気者だな、銀の勇者様は」

「懐かれても困るんだがな」


からかうようなムラクモの言葉に、疲れた顔で肩をすくめる。


しかし、その表情はすぐに引き締められた。真面目、というよりは緊迫感を感じさせる面立ちで、ムラクモ――否、キリエの方をジッと見つめる。

視線を固定させたまま、イオは口を開いた。


「お前、触っていてよく平気だな」

「っ」


人ではなく危険物に対して言うような言葉に、キリエはいたたまれなさそうに縮こまった。そんな彼女の反応を見て、ムラクモは盛大に顔を顰める。


「そのツラとおっぱいに免じて、一回目は怒らないでおくけどよ。可愛い女の子に対して、その言い方はちょいと失礼なんじゃねーの?」

「それがただの人に見えるのが羨ましいよ」


眉をひそめて抗議するムラクモに、同じくしかめっ面でそう返す。

それから大きく息をつくと、様子を窺っていたイディスの方に目線を向けた。


「今日は仕事だったと思うんだがな。お前がサボりとは、明日は雪でも降るのか?」

「サボりとは失敬な、殿下に話はつけてある!」

「だから声が大きいと……」


尖った耳を押さえるイオに構わず、イディスは話を続ける。


「キリエ殿の件は、無理を言ってでも専門家の話を聞くべきだと判断した次第だ。あまりにも特殊すぎるし、彼女を狙った襲撃者にも遭遇した。悪いが話に同席させてもらうぞ、イオ」

「構わん。公にすべきではないが、隠すことでもない。それこそ身の安全のためにな」


溜息混じりにそう答えてから、ついてこいとばかりに踵を返して歩き出す。

先行するようにイディスがその後を追う傍ら、ムラクモはキリエを地面に下ろす。そして、戸惑う彼女の手をそっと握ってから、小柄な体の歩調に合わせて足を進めた。


「――」

『……』


そんなムラクモの横顔を、キリエがどんな眼差しで見つめていたか。

それを知るのは、彼に背負われている大太刀のツクモだけだった。

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