第6話:トゥリアにて




市街地トゥリア。

古い言葉で数字の三を意味するその町は、端的に言うならば王都に属する三番目の町だ。王都――つまりオリュンポス家が統治するにあたり、わかりやすいようにナンバリングしたのが始まりと言われている。


事務的な命名に当時は反発が多く、その時の名残として、ナンバリングの方ではなく特産物にちなんだ名前で呼ばれる町もいくつかある。

しかし、このトゥリアにはそういった別の呼び名はない。

なぜならば、特産物になるようなものがないからだ。


王都に最も近く、一番遅い徒歩でも数時間で着く距離にある。

そのため物流の良さは抜きん出ているが、それはつまり、トゥリアで得られるようなものは王都の方でも入手できるということ。目玉らしい目玉がなく、旅人もここで宿をとるくらいならば王都でもっと快適な宿をとることを選ぶ者が多い。


ただ、治安は抜群に良かった。無法者達もわざわざ王都のお膝元近くで悪事は働かず、王都で仕事を持つ者が多いために極端に貧した者もいない。


永住するにはトップクラス。観光地としては底辺。

市街地トゥリアとは、つまるところそういう町だった。


当然、宿屋の数は他の町に比べて圧倒的に少ない。

普段ならそれでも容易く宿がとれるものなのだが、なぜか今日に限ってどこも満室。ムラクモは町中を駆けずり回り、どうにか一室だけ空いている宿に辿り着いた次第だった。


「今日は満月だからねえ。それで旅人さんも、うちに泊まることにしたのかも」


そんなことを言いながら、宿の女将が部屋まで案内した。


「にしたって、まさかほぼ全滅とは……」

「お兄さん、運が悪かったわねえ」

「あっはっはっ、まさか。貴方のように美しい女性が営む宿に泊まれるんだ。俺はとてもラッキーですよ」

「やだもう、お上手なんだから!」


歯の浮くような口説き文句に、恰幅のいい女将は嬉しそうに笑う。

節操なしという言葉がトツカの脳裏をよぎったが、それを口に出すのは女将に対して失礼に当たるので思うだけに留めた。


案内されたのは、小さめのベッドが二つ並んだ一室。

そのうちの一つに、抱えたままのキリエをそっと下ろす。そしてもう片方のベッドにトツカと荷物を置いていると、キリエが恐縮そうに頭を下げた。


「す、すみません。ずっと抱えてもらっていて……」


道中で水を摂取させたためか、謝る声は幾分か通りが良くなっている。

かすれていない声は鈴の音のように心地よいものだった。可愛い声だなあと緩みそうになる表情筋を押さえつつ、片手を振る。


「なあに、お姫様をエスコートするのは男の特権ってやつさ」

「でも私、その、汚いし……。この外套も、きっと汚してしまいました」

「そんなの、どっちも洗えばなんとかなるさ。気にしない気にしない」


それでも申し訳なさそうに縮こまるキリエの頭を、優しく撫でる。ムラクモの手が触れるとキリエは両肩を震わせたが、そんな自分の反応を抑えるように膝の上拳を握りしめた。

虐待同然の扱いを受けていれば、頭部への接触も怖くなるだろう。そう考え、いつもの調子で手を動かした自分の軽率さに内心舌打ちをする。


無論、それをキリエに気取られるようなドジはやらかさない。

努めて平然とした様子で手を離すと、こちらを見上げる彼女と目が合った。


「……あ、あの」

「なんだい?」

「ムラクモさん、本当になんともないんですか?」


奴隷商の屋敷でもした質問が、もう一度繰り返される。

やはり、その意図はわからない。そして今回も、真意を無理に問いただそうとは思わなかった。不潔を気にしてのことだったら、それを口に出させるのは忍びないからだ。


「大丈夫大丈夫、ピンピンしてるから。それよりも」


話題を変えるべく、備えつけの浴室に視線を向けた。


「キリエちゃん、自分で体洗えそう?手当てをするにしても、やっぱまずは体を洗ってからの方がいいからさ」

「……あ、すみません」

「いいよいいよ。足痛いと難しいしね」

「あ、いえ、そうではなくて」

「ん?」

「その、恥ずかしながら使ったことなくて……」

「……」


世間知らずを恥じ入るように零すキリエを見て、思わず眉間にシワが寄る。

今日び、貧しい村であっても入浴設備はある。王都や市街地との違いはそれが個人のものか公共のものかという点だが、それにしても使用したことがないというのはどういうことか。

キリエがいつ奴隷として囚えられたかはわからない。

わかるのは、その前から彼女の扱いは良くなかったということだ。


「……トツカ」

『はい』


こめかみを押さえながら呼びかけてくる主に、トツカは茶化さず返事をする。


「俺、買い物とかしてくるから。その間にキリエちゃん任せた」

『了解です』

「え、え?」


二人のやりとりを聞いて、キリエの口から困惑の声が上がった。

ムラクモとトツカを交互に見比べる少女に、ムラクモはいやあと頬を掻く。


「キリエちゃんが望むなら俺が体の隅々まで洗ってあげるのはやぶさかじゃない、というかむしろ喜んでやりたいが、市街地の宿屋って風呂そんな広くないからさ。さすがに俺と二人で入ると狭いんだよね」

『彼女が望んでも自分が止めますけどね。主に犯罪行為をさせるわけにはいきませんので』

「犯罪行為って言うのやめてくんない?」

「洗われるのは、その、慣れているからいいんですが……」

「マジ!?」


食いつくムラクモに、こくりと頷いて。


「は、はい。ブラシで服ごと」

「……トツカ、やっぱ奴隷商はこの世から消すべきだと思うんだがどう思う?」

『主、剣呑な顔にならないでください。キリエさんが怯えますよ』

「おっと。失敬失敬」


トツカに諌められ、殺気立ちかけていたムラクモはクールダウンする。脳内には「奴隷商コロス」という文字が大きく刻み込まれたままだったが。

そんな主に小さく溜息をついてから、トツカが話を進める。


『キリエさんの困惑は、ツクモがどうやって世話を焼くのかという点でしょう』

「あー、なるほどな」


その言葉にムラクモは納得し、キリエもこくこくと頷いた。


「一から説明するより見せた方が早いな」

『そうですね。では、失礼して』


そう言うや否や、ベッドに置かれていた大太刀が淡い光を放つ。その光は二人が見守る中で瞬く間に形を変えていき、やがて小さな子供の姿をとった。

東国で着用される祭服を着た中性的な子供は、能面のような顔をキリエに向ける。


「どうも。トツカ人間バージョンです」

「ど、どうも。キリエです」

「長い年月を経たツクモは、自分の魂を一時的に本体から切り離せるんだよな。あ、こいつ基本性別ないからそこは安心してね」


キリエを安心させるように笑いかけてから、ムラクモは荷物を手にとった。


「本音を言うなら、自分がお傍にいない状態で出歩いてほしくないのですが」

「大丈夫だって。お前と外套が黒の勇者のトレードマークみたいなもんだしな。もっとも、このイケメン顔でばれちまう可能性もあるが」

「あ、それはないのでご安心を」

「即答やめてくんない?」


軽口を叩き合いつつ、部屋の扉に手をかける。

そして、もう一度キリエに笑いかけた。


「女将さんに着替えと消化にいいもん頼んどくから、来たら受け取ってな」

「あっ、は、はい」

「いってらっしゃいませ、主」

「おうとも。じゃあキリエちゃん、またね」

「ぁ……」


ばたんと扉を閉める音を立て、ムラクモは部屋を後にした。


残されたのは、扉に向かって恭しく一礼するトツカと、呆けたように扉を見つめるキリエ。ほどなくして、トツカはぐるんっとからくりのようにキリエの方へと向き直る。


「さて。主が戻られる前に、隅々まで綺麗にさせていただきますよ」

「……あ、で、でも、私」

「問答無用」


後ろに身じろぐキリエの腕を掴むと、小さな体からは想像できないほど軽々と彼女の体を持ち上げる。横抱きではあったが、ムラクモのそれとは異なり、トツカの抱え方はほとんど荷物に対するそれだった。


(……しかし)


慌てふためくキリエを浴室に連行しながら、ふとトツカは少し前のことを思い出す。

それは、宿の女将がムラクモに対して言った言葉。


(「運が悪かった」ですか。ムラクモ様がそう言われたのを聞くのは、実に久しぶりですね)




エクストラエデンには、通信器と呼ばれる道具がある。

魔力を動力に、遠くにいる者と会話することができる道具だ。設置式の他に携帯式もあり、前者は端末の番号を入力し、後者は登録してある端末とやりとりをすることができる。


非常に便利なものだが、燃費が悪いという欠点があった。

安定した供給ができる設置式ならば気にならないが、携帯式ともなると四,五回、長話しすぎるとそれ以下の回数で魔力切れになる。


そのデメリットは、エルフを筆頭とする魔術種族のように、十分な魔力を自前で用意できる種族にはあまり関係ない。しかし、そうでない種族には無視できないものだ。何せエネルギーが切れるたびに外付けの魔力機器を入手して、動力を補填する必要があるのだから。

ゆえに携帯式を使うのはもっぱら魔術種族で、ヒューマンのように魔力の精製が不得手な種族は設置式に頼ることが多かった。


ムラクモも、本来なら携帯式の通信器を頼らない側だ。

しかし彼の場合、どこにいても連絡がとれる状態を維持することは義務に近い。そのため、オージンから渡された携帯式を持ち歩いていた。

魔力機器も経費で落ちるが、そうはいっても人様の金。できるだけ発信側には回らないようにしていたのだが、今回はそれが悪い方に転がった。


「まさか魔力切れになってるとは……」


疲れた声で言いながら、買ったばかりの魔力機器を通信器に取りつけた。


キリエに必要そうなものを一通り揃えた後、後回しにしていた連絡を取ろうと通信器を取り出せば、いつの間にか魔力がなくなっていたそれはうんともすんとも言わなかった。

それだけならば、まだいい。

問題は、魔力機器を買おうとしたらどこもかしこも売り切れだったことだ。


結果として荷物を抱えたまま再び町中を駆けずり回ることになり、持久力だけなら他の勇者と肩を並べられる自負があるムラクモでもさすがに疲弊していた。今日やったことを考えると、疲弊ですむだけ大したものではあるが。


(魔力機器なんざ、そうそう品切れになるもんでもないんだが)


首を傾げながら、十分に魔力が行き渡った通信器を起動させる。

登録している端末を呼び出せば、ほどなくしてスピーカーから声が聞こえた。


『もしもし?』

「あ、オレオレ」

『オレオレという知り合いはいないので切ってもいいか?』

「誰から着信きたかわかんだろてめえ」

『ははは。で、どうしたムラクモ』


軽口を叩き合ってから、ムラクモは溜息混じりに話を始めた。


「どうしたじゃねえっての。使い魔も飛ばさず消えるんじゃねえよ」

『ああ、すまない。急用が入ってな。そこについては悪かった』

「悪いと思ってるならそのおっぱいを」

『揉ませないからな』

「はい」


ぴしゃりと言われ、残念そうに肩を落とす。

しかし、すぐにその顔には安堵の表情が浮かんだ。


「まあ、用事が入っただけなら良いんだけどよ」

『私に急用が入ってお前に何のメリットがあるんだ』

「思わぬピンチで危なくなってなくてよかったってことさ」

『……お前は相変わらずだな』

「美女の心配をするのは男の甲斐性だぜ、イオちゃん」


そう言って笑うムラクモに、つられたようにイオの笑い声も聞こえてくる。しばらくおかしそうに笑った後、元のトーンに戻った声が話を戻した。


『“月狂い”は……お前なら問題なく倒せただろうな。生存者はいたか?』

「いたいた。超いた。隠し扉に女の子が閉じ込められててよー」

『隠し扉。なるほど、道理で見つけられなかったわけか』

「こっちで保護してるけど、足の負傷に栄養失調のダブルパンチなんだわ。お前さんに診てもらいたいんだが、来れそうか?今トゥリアなんだけど」

『すまんが王都を離れられそうにない。処遇の相談も兼ねて確認はしておきたいから、こちらに連れてきてもらってもいいか?』

「そういうことなら仕方ないが……怪我どうすっかな。普通の医者にはちと連れて行きづらいし、そっちにつくまで放置したくないし……。薬草でなんとかするしかないか」


後半はほとんど独り言のようなものだったのだが、しっかりイオには聞こえている。

ゆえに彼女も、その独り言に答える回答を口にした。


『イディスがいるだろう。非番だし、奴に頼めばいいじゃないか』

「……あっ」


ぽんと、思い出したとばかりに手を打った。


白属性の魔術は扱いが難しく、使い手の多くはそれに特化する形となる。特に物理戦闘との併用が困難と言われているのだが、その常識を覆す存在がいる。

それが聖騎士パラディン

物理戦闘と白属性魔術を操る稀有な勇士だ。


そしてイディスは、そんな聖騎士の一人である。

得手としているのは結界だが、治癒の魔術もこなす。怪我の治療にはうってつけと言えた。本人は自然治癒をモットーとしているので滅多なことでは使わないものの、今回のような案件ならば迷わず首を縦に振るだろう。


「脳筋のイメージが強いから、ちょくちょく忘れるんだよな」

『気持ちはわかる。私もあいつが聖騎士だと知った時は信じられなかったからな』


本人が聞いたら不服を口にしそうなことを言い合った後、さて、とイオが話を区切る。


『私はいつもの場所にいる。明日には会える時間がとれるから、悪いが頼んだぞ』

「オーケー。仕事がんばってな」


そんなやりとりを経て、通信は切れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る