第5話:白の少女




地下への道は、さほど時間を要さず見つかった。

主の寝室と思われる部屋のすぐ隣。家具もなく閑散とした客室の壁に、開け放たれた扉が鎮座している。かつては隠し扉だったことは、容易に想像がついた。


「……」


鼻を動かせば、臭気が漂ってくる。

昔の、そして今の惨状を想像して眉をひそめてから、ムラクモは扉を抜けた。


急勾配の階段を下りていけば、ほどなくして目的の場所につく。破壊を免れた明かりで辛うじて照らされたそこは、想像通り、否、想像以上に悲惨だった。

カビと埃に混じって、奴隷達の糞尿と垢の臭いが充満している。それだけでも十分悪臭だというのに、そこに血の生臭さも加わって吐き気を誘う。とっさに着流しの袖口で口元を覆ってから、薄暗い空間に視線をさまよわせた。

こびりついた汚れに、それを塗りつぶす赤茶。食い散らかされた骸の残骸を悼ましげに一瞥してから、心の中でトツカに話しかけた。


(トツカ。どうだ?)

(……)


ツクモは、使い手と認めた相手とは声を介さずやりとりすることができる。

取り残されたものを怯えさせないよう、まずは念話で魂反応の有無を聞こうとしたのだが、返ってきたのは沈黙だった。首を傾げながら、もう一度呼びかける。


(トツカ?)

(……ああ。申し訳ありません、主)

(どうしたよ)

(いえ、その……)


はっきりと物事を口にするトツカらしからぬ、歯切れの悪い返事。

それにまた首を傾げていると、困惑したような声が返った。


(魂反応は感じるのですが。ただ、少しおかしいというか)

(おかしい?)

(はい。自分が知るどの種族のものとも一致しないのです。強いて言うならばヒューマンが一番近いとは思うのですが)

(ふーむ?希少種かねえ)

(かもしれませんが……念のために警戒をお願いします。対象は奥です)

(オーケー)


軽く請け負ってから、意識を張り詰めさせる。

そして、ゆっくりと歩を進めた。


一歩、二歩と、牢獄の道を進んでいく。造りとしてはそこまで広いものではないようで、最奥らしき場所の前にはすぐ到着する。

問題は、そこが牢屋ではなく壁ということだった。


(トツカさん、壁なんですが?)

(魂反応は壁の向こうから感じます。隠し扉の類いかと)

(あー、なるほど。そりゃあ救助に来た奴らも見落としちまうか)


トツカの言葉に納得しつつ、壁を観察する。


隠し扉の類いということは、開けるための仕掛けがあるのだろう。しかしムラクモは、ハーフリングのようにその手のものを見つけるのに長けてはいない。

こちらの方が早いだろうと、大太刀に手をかけた。


(壁の近くには感じられません)


主の意図を察し、必要な情報を伝える。

それを合図に、ムラクモは壁めがけて大太刀を振るった。


斬撃、合わせて三回。

石造りの壁は衝撃に耐えきれず砕け、そのまま自重で崩れていく。大太刀が納刀されるころには、不格好な入り口がこしらえられた。


「……だれ、ですか?」


その奥。明かりも入らない暗闇の中から、弱々しい声が聞こえた。


「君の王子様だよ、お嬢さん」

『切り替えが早すぎませんか?』


少女のものと思しき声を聞いた途端、真剣な面立ちが別の意味でキリッとした。

紳士モードに入った主の姿にトツカは思わず呆れた声を零したが、警戒心は緩めない。ただの希少種というには異質な魂が、暗闇の奥にはあるのだから。


「おーじ、さま……?」

「ああ。ナイトと言ってもいい」

「ないと……?」

「簡単に言ってしまえば、君の味方ってことさ」

「……みかた」

「そうとも。俺が来たからには安心するといい」


そう言いながら、近くの壁に取りつけられていた明かりを強引に剥がす。

ちゃちな金具が使われていたのだろう。灯石と呼ばれるものが仕込まれた照明はムラクモの手に移り、明かりが届かなかった壁の奥を照らした。


はたして、どのような境遇だったのか。

他の牢屋よりなお酷い劣悪な環境が、弱い明かりによって曝け出される。

そんな掃き溜めのような場所に、彼女はいた。


「……ぁ」


それは、ヒューマンの少女だった。

十代半ばといったところだろうか。ヒューマンとしては珍しい白い髪をしており、アメジストの目がジッとムラクモを見つめている。


その姿は、一言で言うなら「白」。

ボロ布同然の肌着だけを纏い、髪も肌も泥や垢でみすぼらしく汚れている。荒縄でできた首輪で動物のように繋がれた姿からは、人の尊厳は感じられない。

そんなありさまだというのに、少女には純白の雪のような清廉さがあった。

さながら、聖書や物語の中で語られる楽園の使徒――天使と呼ばれる存在が、目の前に現れたかのようだった。


「――――」


ムラクモ=クサナギは、言葉を失った。

ただ、目の前にあるものに魅入られ、見惚れる。

少女はそれほどまでに美しく、今にも消えそうなほど儚かったゆえに。


『……主』

「――はっ」


トツカの呼びかけで、ようやく我に返った。

放心していたことに気づき、照れ隠しのように小さく咳払いをする。それから、明かりを持ったまま壁の向こうへと入り込み、きざったらしくお辞儀をした。


「俺の名前はムラクモ=クサナギ。お嬢さん、お名前は?」

「……えっと、キリエ、です」

「キリエちゃんか。いい名前だ」

「……」

『鼻の下を伸ばした後に口説くものだから、警戒しているじゃありませんか』

「の、伸ばしてねーし!?」


どもった声で反論してから、改めてキリエと名乗った少女に向き直った。


華奢、というにはあまりにも骨ばった四肢をしている。痩せぎすの体は、最低限の食事だけ与えられてきた証左だろう。ともすれば、水しか与えられなかった時もあったかもしれない。

件のワーウルフの暴走から何日経ったかはわからない。だが、数日遅れていれば飢えで死んでいてもおかしくなかった。


(ったく、女の子は丁重に扱えっての)


無意識のうちに、眉間にシワが寄った。

奴隷商はさぞ痛い目を見ていることだろうが、この手で殴ってやれないのがもどかしい。そんなことを思いつつ、少女を安心させるように眉間のシワをほぐし、笑みを浮かべる。


「キリエちゃん、ちょっと目をつぶってもらってもいいかい?」

「目、ですか?」

「ああ。それから、ちょっとだけ上を向いてね」


不思議そうにしながらも、キリエは言われるがままに目を閉じ、喉を晒す。

初対面の人間に対して素直すぎる姿に不安を感じながら、なるべく音を立てないように大太刀を抜く。そして、繊細な太刀筋で首輪だけを袈裟斬りにした。


重力に引っ張られるように、荒縄の首輪がとれる。肌に残った縄の跡に舌打ちしたい気持ちをグッとこらえて、大太刀を納刀。それからトレードマークたる外套を脱いだ。


「目、開けても大丈夫だよ」


声をかけながら、外套をそっと少女の肩にかける。

そして、きょとんとしているキリエに恭しく手を差し出した。


「ひとまず外へ行こうか。お手をどうぞ、お嬢さん」

「……」


その手を、キリエは反射的に取ろうとして。


「…ぁ」


何かを思い出したように、慌てて手を引っ込めた。

警戒というには今さらな態度だったが、それを怪訝に思う瞬間は短かった。なぜなら、体を動かした拍子にキリエの顔が苦しそうに歪んだからだ。


無論、それを見逃すムラクモではない。

キリエの体を凝視し、右足のふくらはぎが左に比べて肥大していることに気づく。打ち身か骨折か、どちらにせよ負傷していることに変わりはない。


(くそっ)


胸中で舌打ちを零す。

この傷を負わせた者を、そしてこれに気づけなかった自分を心の中で責めながら、細い体に手を伸ばした。


「ちょいと失礼っ、と」

「う、わわわっ」


断りの後、細い体を横向きに抱える。

急な浮遊感に、キリエの口からは上ずった声が上がった。反射的に体をよじらせて離れようとするが、しっかりと回された腕がそれを許さない。


「あの、私……っ」

「そんな足で歩かせるのは忍びない。僭越ながら、直接エスコートさせてくれ」

「で、でも」

『安心してください。我が主は好色ですが、紳士を自称しています。今の貴方に不純な動機で接触することはありませんよ』

「あんまフォローになってない気がするのは気のせいかなあトツカさん!」


一言多い大太刀に抗議しつつ、誤って取り落とさないようにと抱え直す。

柔らかさも良い匂いも感じない体を相手に、劣情も何もない。あるのは早くなんとかしてやりたいという使命感と庇護欲だけだ。


「……」

一方、キリエはそんなムラクモを困惑したように見上げた後。


「あの…っ、……?」

「ん?」


質問の意図を測りかねて、首を傾げる。その反応にキリエはしばらく落ち着かなさそうに視線をさまよわせていたが、やがて顔を伏せてしまった。


(ふーむ?)


今度は胸中で怪訝な呟きを零す。

気にはなったが、キリエ自身、どう言えばいいか考えあぐねている様子だった。これでは無理に問い詰めるのも可哀想だろう。

何より、今は彼女をここから連れ出す方が先決だった。


「なんかあっても大丈夫だよ。俺ってば、人よりラッキーらしいからさ」

「ラッキー……?」

「そう。幸運の男、黒の勇者ムラクモ=クサナギとは何を隠そう俺のことってな!」


軽口を口にしながら足を進め、壁の残骸を乗り越える。

芝居がかった言い回しが功を奏したのか、腕の中で強張っていたキリエの体から少し力が抜ける。それに安心しつつ、なるべく振動を与えないよう階段を上がっていった。


「イオ本人が来てりゃあな」

『ないものねだりをしても仕方ありませんよ。使い魔は残しているでしょうから、それに伝言を任せて二輪車バイクで王都に向かいましょう』

「大丈夫? このまま王都に行ったら俺おまわりさんにしょっぴかれない?」

『誘拐犯に間違えられる可能性は高いでしょうね』

「だよな!」

「……ふふっ」


漫談のようなやりとりに、思わずと言った風にキリエの口から笑みが零れた。


「……」

「ぁ、す、すみません……っ」


つい足を止めて見てしまったムラクモに、キリエは慌てたように口元を覆い隠す。そんな彼女に小さく片手を振って見せた後、安心させるようにニカッと笑った。


「いいっていいって。女の子は笑ってるのが一番可愛いからさ」


そう言ってから小柄な体をまた抱え直し、改めて足を動かす。


(しょっぴかれたら面倒なことになるし、ひとまずトゥリアに寄って色々準備するか)

(そうですね。あまりにも非衛生的な格好ですし)


念話でそんな会話をしながら、屋敷の外を目指した。

この数分後。外に出ると幻影体はおろか使い魔もなく、ムラクモは怒声を上げた。

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