第4話:無敗殺し




件の奴隷商の屋敷は、王都の郊外にあった。

魔力で駆動する二輪車を使えば、一時間かけて移動できる場所。

立地はやや悪いが、人里離れたと言うほどでもない。休息する時だけは都会の喧騒から離れたいと願った商人が建てたと言われれば、その言い分をあっさりと飲み込んでしまえるようなところだった。


『機関』本部の会合、その翌日。ムラクモとイオはその屋敷の傍らに立っていた。

ムラクモは魔力耐性が人並みで、魔術の適性もほとんどない。そんな彼であっても、屋敷から感じる禍々しいオーラを不可視の壁が遮断していることくらいは見て取れた。


「相変わらずすごいな、お前さんの魔術の腕は」

「当然のことを褒めても何も出んぞ」

「そこは素直に受け取れって」


苦笑した後、隣に立つイオの姿をまじまじと見つめる。


女性に貴賤はないと豪語するムラクモだが、健全な男のため、美人は特に好きだ。それが肉感的な肢体を持つ美女ともなれば、隙あらばその柔らかさを味わいたいと思っている。

ゆえに、イオが案内すると聞いた時は胸を躍らせたものだが。


「これでなー。分身にもお触りができたら言うことなしなんだけどなー」

「仮にそれができたとしても、お前の前には絶対出さん」

『当然の帰結かと思います』

「くそっ!」


心底悔しそうに舌打ちをしてから、改めてイオを見る。

ここにいるのはイオが魔術で造り出した分身――より正確に言うならば幻影体だ。イオ本人は王都におり、幻影体を通して物事を見聞きし、会話をしている。

実体を持たないために用途は限られるものの、逆に言えばどんな危険地帯であろうと心身ともに安全が約束された状態で情報収集が行えるメリットがあった。

当然、その安全には「セクハラされない」も含まれる。


「支えるのを口実に密着して、あわよくばそのおっぱいにタッチできるかと思っていたのに……まさか分身をよこすとは……」

「歩行に支障がある怪我をしているからこそ、分身を使っているんだが?」

「くっ、ド正論……!お大事にな!」

「言われんでも養生してるさ。――さて」


怪我への気遣いは忘れない姿勢に思わず笑みを零しつつ、空気を切り替えるように真面目な声色を出す。その声を合図に、ムラクモも表情を引き締めた。


「目標は内部にいる。入ればほどなく交戦だろうから、そのつもりで行け」

「ま、今ごろ腹ペコだろうしな。筋肉質の男でもご馳走に見られそうだ」


肩をすくめてから、背負っていた大太刀に手をかける。

居合の心得もあるが、達人の域には達していない。加えて相手が優れた敏捷を持つワーウルフともなれば、武器は抜いておいた方がいいだろうという判断だ。


(……勇士として見るなら、随分と上等だろうに)


戦い慣れていることを示す所作を見て、イオは密かに息をつく。

がんばれば手が届きそうな「上等」程度だからこそ、余計にやっかみを多く買うのだろうとは理解していたが。


なまじムラクモには、ただの勇士では正面から勝てない実力がある。

加えて、女好きという欠点はあるものの、根は悪をくじき弱きを助ける典型的な任侠人だ。

これでどうしようもなく弱かったり目も当てられない傍若無人だったりならば、容易く引きずりおろせただろうにと考える者は一定数いるだろう。思うように晴らせぬ鬱憤が彼らを陰口や嫉妬に駆り立てているのは容易に想像がつく。


ムラクモ自身がそのやっかみをさほど気にしていないのも、拍車をかけていた。

それは間違いなく美徳なのだろうが、周囲がそう認識するとは限らない。むしろその堂々たる様子を、開き直りと見て悪しざまに言う者の方が多かった。


「イオ? どうした、何かあったのか」

「……ん、ああ」


思考に没頭していたイオに、気遣わしげな声がかけられる。普段の好色さを感じさせないそれがまた、彼の性根の良さを表していた。


「使用人も奴隷も全員保護したつもりだが、もしかしたら取りこぼしがあるかもしれん。討伐が終わったら捜索を頼む。幻影体もそろそろ維持が難しいのでな」

「おうとも。任されたぜ」


思考は悟らせず、代わりに務めの話を口にする。


「んじゃま、狼退治としゃれこみますか」


軽い口調で言いながら、ムラクモは屋敷に向かって歩き出した。

実体がないとはいえ、人が視界に映ればそちらに意識が割かれる。イオの幻影体は後を追わず、屋敷の中へと入っていく姿を見送った。


戦闘の経過を見る必要は感じられなかった。からだ。




蹴り開けるようにして入った屋内は、酷いありさまだった。

壁や床はおろか、天井にまで刻まれた爪痕。高価な調度品は無惨に破損し、見る影もない。ところどころに魔術による破壊痕も残っており、それが交戦の激しさを物語っていた。

抜身の大太刀を携えたまま、屋敷の中を歩き出す。


「さーて、狼さんはどーこだっと。黒ずきんちゃんが会いに来たぞー」

『気持ちの悪い口上では出てくるものも出てこないのでは?』

「トツカさん!手心!」


トツカと軽口を叩き合っているものの、その目は油断なく周囲を窺っている。トツカも同様に、使い手をからかいながらも警戒を怠っていなかった。


『主、来ます』


ほどなくして、トツカがそう呟き。


「――――メシィィィィィッ!!」


直後、屋敷中に響き渡るような咆哮が聞こえてきた。

それに伴い、どごんっと何かが崩れるような音が耳に届く。連続して聞こえるそれが壁をぶち抜いている音だと気づいたと同時に、近くの壁が破壊された。


壁の残骸と一緒に飛び出してきたのは、ワーウルフの男。

かぎ爪のように伸びた爪を赤茶に染め上げ、伸びた前髪からはギラつく目玉が二つ覗く。おそらく元々は人の口だったであろう箇所は耳元まで大きく裂け、剥き出しの牙の間からはダラダラと涎が零れていた。

ギラギラした目がムラクモを捉えるや否や、涎はいっそう量が増える。


化け物。もう、誰の目にもそうとしか形容しようがなかった。


「メシィ、メシ!クウ、クウ、クワセロォ……!」


全身で飢餓感を主張しながら、ワーウルフは爪を構える。


「……」


そんなワーウルフを、ムラクモは声も発さず見つめていたが。


『ムラクモ様』

「……わーってるって。完全に手遅れだしな、ありゃ」


相棒の静かな促しを受け、苦笑しながら肩をすくめた。


そして、それは明らかに余分な行為。

脅威を前にとるべきものではなく、ゆえに簡単に接敵を許してしまう。


「ガアアアア!!」


咆哮を上げて飛びかかった獣は、久方ぶりにありつけた獲物を仕留めんとばかりに凶悪な武器がついた腕を振るった。

奴隷の体を引き裂き、『教会』の教徒達を負傷させ、イオを傷つけた爪牙。

今までがそうだったように、その爪はムラクモの体を引き裂くはずだったが――


「あいにく、男に飛びかかられて喜ぶ趣味はないんでね」


ムラクモはそれを、軽口とともに虫でも払うような手つきで弾いた。

魔術の障壁さえも破壊する爪を、ただの素手で。

そして、たったそれだけのことでワーウルフの体は近くの壁に叩きつけられた。


「ガ、ァ……?」


凶暴な破壊衝動と飢えに支配されていた頭の中に、疑問が生じる。

思考というほど上等なものではない。例えるならそれは、目の前にあった餌に齧りつこうとしたら何の手応えもなかったために首を傾げたようなもの。

ゆえにワーウルフの疑問もすぐに消え、今度こそと再び飛びかかった。


しかし、二度目も叶わない。

振り下ろした爪はムラクモに触れる前にわしづかみされ、もう片方の拳がワーウルフの胴体に叩き込まれた。


「――――ッ!!」


拳が打ち込まれる直前に手を離されたため、ワーウルフの体は後ろに大きく吹き飛ぶ。傷だらけの廊下をバウンドするように転がった後、獣人の形をした化け物はしばらく全身を痙攣させた。


序列はⅢ。最高峰の魔術師として称えられる銀の勇者イオ。

そんな彼女が編み上げた雷撃の魔術を受けても攻撃の手を緩めなかったワーウルフが、たった一発の拳で身動きがとれなくなっている。それほどのダメージが彼を襲ったわけだが、比較できるものがいれば目を剥いただろう。

ありえないと。


『主。安易に素手で撃退するのは浅慮かと』

「そうは言っても、さすがに直接ツラを突き合わせれば嫌でもわかっちまうよ。こいつがそうだってことくらいはな」


トツカの言葉にそう返しながら、手から提げたままだった大太刀を構えた。

片手で持っていたそれを、十の指、すなわち両手でしかと握りしめる。そして、ようやく起き上がろうとしているワーウルフを真剣な面立ちで見据えた。


「奴隷商なんかに協力してたお仕置きは、さっきの一発で勘弁してやる。人食いに関しちゃ……許せないけど、許してやるよ。狂う前の肚ん中がどうだったかはわからんが、好きで実行したわけじゃないだろうからな」

「グ、ル、ルゥゥ……!?」

「何が起こったかわかんねえってツラだな。いいぜ。今のお前さんに言って伝わるかはわからねえけど、冥土の土産ってやつだ。教えてやるさ」

「――ガアアアッ!!」


話しかけてくるのを隙と見て、ワーウルフは三度、飛びかかった。

二度の迎撃を経て学習したのか、今度は力任せに腕を振り上げず、十分に間合いを詰めてから横薙ぎにしようとする。

しかしそれは刀の峰で防がれ、弾かれた。柔軟な四肢を操って連撃を叩き込むものの、それらも同様にいなされていく。時折捌き損ねたとばかりに爪が体の一部を掠めるものの、まるで不壊の鉱物オリハルコンでできているかのように傷一つ負わせられない。


「今のお前さんは強いよ」


攻防の中、ムラクモが改めて口を開く。


「イオの魔術を食らっても動けるほどだ。六勇者の中でも、お前さんにまともなダメージを与えられる奴はいないだろう。その上破壊力も疾さもあるとくれば、お前さん一人を倒すのに勇者は二,三人いるだろうな」

「グルゥゥゥ、アアアッ!」

「ひょっとしたら、勝てないかもしれない。そういう意味だと、お前さんは敗け知らずの敵なしってわけだ。ほんと、満月級ってやつは恐ろしいね」


告げるのは賛辞の言葉。

その強さが月光のろいによるものだとしても、それは英雄の力をもってしても容易く打倒できないほどに凄まじいものだと。そう化け物の強さを評価する。


「――――ッッッ」


最大級の賛辞の後、振るった峰でワーウルフの体を思いきり打ち据えた。


「……俺は勇者の中じゃあ最弱だ。どいつもこいつも化け物揃いで、善戦するのがやっとのありさま。最強っていうのはああいうのを言うんだろうな」


声なき悲鳴を上げながら倒れ伏すワーウルフを一瞥しながら、大太刀を持つ手をゆっくりと振り上げる。


「しかし、世の中不思議なもんでな。最強には勝てない俺だが、どういうわけか無敵だとか無敗だとか、そういう言葉でしか表現できないようなやばすぎる奴には楽に勝っちまう。まるでそいつらが俺に勝てないルールでもあるみたいに」


絶対強者に対する、問答無用の特攻能力。

拳一発が魔術の一撃必殺に相当し、防具なしでも攻撃を受けつけない。何者にも敗けないような強者は、無敵無敗という属性があるだけでムラクモには全く歯が立たなくなる。


最弱は最強に勝てず。

最強は無敵に勝てず。

そんな当たり前の摂理に有り得べからず、三すくみの一角。



神様から与えられた反則級の祝福チート

それを知る者は、ムラクモ=クサナギをこう呼ぶ。


無敗殺しジャイアントキリング。それが、俺のもう一つの名前だ」


手向けは済んだとばかりに、大太刀を振り下ろす。

ざんッ、と。漆黒の刃は、ワーウルフの首を呆気ないほど容易く刎ね飛ばした。


胴体から離れた首が重たい音を立てて床に転がり、動かなくなる。それからほどなくして、首は胴体とともに灰へと変じ始めた

十数秒後。完全に灰になった体が、自重によって崩れ落ちる。

静かに歩み寄ったムラクモは、灰の中からあるものを拾い上げた。


それは、禍々しい紫紅色で輝く、球体の石。

名は『魔月石まがついし』。

“月狂い”が死んだ時に造られるもので、強さに合わせて丸みが変わる。禍々しいながらも人を惹きつける美しさを内包しており、これ欲しさに“月狂い”を人工的に造り出そうとして身を滅ぼした好事家は歴史上後を立たない。

これを持ち帰らないと討伐したことにならないため、拾った石を懐にしまった。


「……っと、そうだ。生存者」


血を振い落してから大太刀を鞘に収めた後、イオから言われたことを思い出す。


『しっかりしてください主。ボケるにはまだ早いですよ』

「ちょっと忘れただけでそんな言い方ある?まあいいや。牢屋は地下にあるって話だし、まずはそっから見に行くぞ」

『了解です。こちらでも魂反応がないか注意を払います』

「おう、任せた」


言いながら、ムラクモはその場を立ち去ろうとする。

しかしすぐにその足を止めると、灰だまりの方に体を向けた。


「……」


目を閉じ、静かに黙祷を捧げる。


『ムラクモ様』

「わかってるよ」


トツカの呼びかけに短く返した後、今度こそその場を後にした。

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