第3話:勇者会合




機関長の部屋は、『機関』本部の奥まった場所にある。

イディスがノックをして扉を開ければ、上品にしつらえられた執務室と、そこに座り、あるいは立っている三人の男女がムラクモ達を出迎えた。


一人は、おかっぱ頭の有翼人フェザーの女性。名はフギン。

機関長の秘書官兼護衛を務めており、その腕は並みの勇士にも引けを取らない。


一人は、銀の髪と褐色の肌、そして露出の多い修道服から零れんばかりの豊満な乳房が目を引くダークエルフ。理知的な面立ちを眼鏡でさらに際立たせており、男の情欲を煽る体つきとは裏腹に近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

『教会』派として六勇者に名を連ねている英雄の一人、銀の勇者イオその人である。


最後の一人。デスクの椅子に腰かけている、眼帯をつけたハーフリングの男性。

一見すると子供が大人の女性を侍らせているようにも見えるシュールな光景だが、それは小柄な体から漂う老獪な雰囲気がすぐに打ち消す。何を隠そう、このハーフリングこそアインヘリヤルの長、機関長オージン=ミーミルだった。


「遅れて申し訳ない、機関長!」

「よお。久しぶりじいさん――へぶっ!」


挨拶とともに頭を下げるイディスとは対照的に、ムラクモは気さくに手を挙げた。

即座に、イディスがその脇を小突く。不意打ちを受けたムラクモはまのぬけた声を上げながら、軽く前のめりになった。


オージンはそれを見て、先ほどの呼称に似合わぬ若々しい顔立ちに笑みを浮かべる。

そうして微笑ましそうに二人を見つめた後、改めて口を開いた。


「いらっしゃい、二人とも。椅子は用意できなかったが、気楽にしてくれたまえ」

「はっ!」

「フギンちゃんも久しぶり~。今日も背中の羽がチャーミングだ。ね、どう?この後俺と一緒にお茶でもしない?」

「仕事がありますので……」


オージンの言葉にイディスは背筋を正し、ムラクモはといえばいつの間に近づいたのか、フギンの手をとって口説き始めていた。


「ムラクモ!こら!」

「イディス、声が大きい。耳が痛いからボリュームを下げろ」


声を上げるイディスを、エルフ特有の尖った耳を揺らしながらイオが制した。


「ムラクモも、ナンパは後でやれ。イディスの奴がうるさくなるだろう」


紡がれる口調は中性的なもの。イディスのそれと似ているが、堅苦しさがなく、代わりに近寄りがたい雰囲気が強調されているのが彼女との差異だろう。

淡々としたイオの言葉に、ムラクモは残念そうに肩をすくめてから手を離した。


「あ、もちろんイオもないがしろになんかしないぜ?フギンちゃんとデートする前に、お前さんのこともしっかり家までエスコートしてやんよ。お代はそのわがままおっぱいをちょっと揉ませてくれるだけでオッケーだ」

「こらっ!」

「……なんだ。さすが女のことになると目敏いな、ムラクモ」


軽薄な言葉に対し、二人の勇者は全く異なる反応を返す。

脈絡がない物言いに、イディスばかりかオージンとフギンも怪訝そうな顔をする。ムラクモだけが、表情も変えずにあっさりと言い放った。


「俺が美女の怪我を見過ごすわけがないだろ?」


ムラクモの視線は、服に隠されたイオの太腿へと向けられている。

普段なら不純な目的かとトツカが呆れた声を出す場面だが、慇懃無礼なツクモは何も言わない。

そして、イディスも声は荒げなかった。嗅覚に意識を集中させれば、そこから薬草の臭いがしてくるのがわかったからだ。


「イオ。貴殿、負傷しているなら言わぬか!」

「治りかけの傷をわざわざ報告する必要もないだろうが」


詰め寄るイディスに眉をひそめながら、イオは咎めるような視線をムラクモに向ける。そんな彼女の視線に対し、ムラクモは小さく舌を出した。


「……まあいい。ばれたことだし、これも加味して『教会』からの経過報告を聞け」


小さく溜息をついた後、改めてオージンの方へと向き直った。


「“月狂いルナティック”――それも満月級相当が出た」

「!」


その一言に、全員が息を呑んだ。


エクストラエデンの月は、独特の魔力を地上に向けて放っている。この地に生きとし生けるものは月の魔力を浴び続けることで、ふとした瞬間に凶暴な一面が表層化し、そのまま狂ったように暴虐を振るうことがあった。

人々はこれを“月狂い”という災厄、あるいは病として昔から恐れている。


一度月に狂ったものを正気に戻すのは非常に難しい。大抵の場合はその死を持って制止させることになる。

しかし、“月狂い”は最も力が弱いとされる三日月級ですら、ただの大人には手が余るほど手強い。そのため、各派閥に所属する勇士達が討伐に当たることになる。

六勇者の仕事もその多くが“月狂い”の討伐であり、彼らが成し遂げた【偉業】もそれに連なるものがほとんどだった。


そんな勇者達であっても、最も強いとされる満月級の相手は容易ではない。

イオの負傷がそれを物語っていた。


「狂ったのは、奴隷商の元で働いていたワーウルフの男だ。どうやら月に魅入られてからは商品を隠れて食っていたらしくてな。在庫の数が合わなくて怪訝に思った商人が調べて、事が発覚したというわけだ」

「今さらっとスルーできない単語言わなかったか?」

「だからこそまず『教会』が動いたわけだ。本音はどうあれ、『教会』は表向き奴隷に反対しているからな。……ああ、安心しろ。奴隷として囚えられていた者達は保護済みだ。だから扉に向かうな現場に行こうとするなイディス」


奴隷という言葉に反応し、部屋の外に出ようとしたイディスの腕を掴む。そのまま引きずられかけたところで、すかさずムラクモが二人の体を引き止めた。


「……はっ!すまない、奴隷と聞いてつい!」

「毎度思うが、こいつの猪のような性質はなんとかならんのか?」

「いやあ無理だと思うわ」

「やれやれ……」


ムラクモの言葉にまた溜息をついてから、イオは気を取り直して話を再開させる。


「さて。結果報告ではない点から各々察していると思うが、件の“月狂い”は仕留め損ねた。今は奴隷商の屋敷に結界を張って逃さんようにしているものの、何せ明日は奴らの力が最も増す満月ときた。このままでは容易く突破されてしまうだろうな」

「あ、結界の方に魔力持っていかれたから魔術で怪我を治してないのな」

「そうだ。つまり奴は、天才の私にそれだけリソースを注ぎ込ませた相手ということになる」

(自分で言ったな!)

(自分で天才って言ったなこいつ……)


堂々たる様に、二人の勇者は声に出さず同じことを思った。

もっとも、本来は黒属性魔術を得意とするダークエルフでありながら『教会』の専売特許だった治癒や結界、いわゆる白属性と呼ばれる魔術を誰よりも巧みに扱い、『教会』からスカウトされるに至ったイオは、紛れもなく天才ではあるのだが。


「なるほど。話はわかったよ、銀の勇者イオ」


イオの話に黙って耳を傾けていたオージンが、心得たとばかりに頷く。


「つまりは、黒の勇者の出番というわけだね?」

「ああ。うちのトップと違って話が早くて助かる、機関長」


六勇者の一人に手傷を負わせ、撤退を余儀なくさせた“月狂い”。

それの相手を、序列最下位の勇者に任せる。


第三者が聞けば目を剥くような采配を、機関の長と銀の勇者は口にする。しかし、それを耳にしているイディスもフギンも、意外そうな顔はしていない。イディスに至っては、それが当然の采配だと言わんばかりの表情を浮かべていた。

そしてそれは、ムラクモも同じく。


「鍛錬中に呼び出された時は何だと思ったが、そういうことなら仕方ねえな」


無理難題を前に、一切気負う様子もなく頷いてみせた。


「聞くたびに思うのだが」


そんなムラクモに視線を向けながら、イオは首を傾げる。


「鍛錬に意味があるのか?お前の性能を向上させるわけではないし、身体能力を鍛えたところでお前にまとわりつく悪評はどうにもならんだろうに」

「男の子には色々あるんだよ」


言われ慣れた言葉に笑いながら肩をすくめ、返し慣れた反応をとる。

そんなムラクモをしばらく見つめた後、同じように肩をすくめてから視線を離した。


「健全な鍛錬は身体のみならず精神も練磨させるもの!己を鍛えることを止めぬその姿勢は、数少ないムラクモの美点であると私は思うがな!」

「あっはっはっ。そう言ってくれるのはお前さんだけだよ、イディス」


横合いからかけられたイディスの言葉に、ムラクモの頬が緩む。


「でもこんな男前を捕まえて、美点が数少ないってのは酷くない?」

「普段の行いを振り返ってから言ってもらおうか!」

「それには概ね同意だが、音量を下げろイディス」


落ち着かないとばかりに再び耳を動かしながら、もう一度肩をすくめる。そして、脱線させたものの役割であるとばかりに、やや強引に話を戻した。


「まあ、そういうわけだ。ムラクモはこちらで借りていくぞ、機関長」

「ええ。構いませんよ」

「あれ?そこは俺に「お願い一緒に来て……」っておねだりするところじゃ?」

「イディスは『王室』に連絡を頼む」

「心得た」

「おーい」


ムラクモの抗議を無視して段取りを進めつつ、はあとイオの口から溜息が落ちる。


「満月級を発見した時は情報を共有する取り決めではあるが、毎度のことながら面倒だな。ムラクモの案件になると『王室』派からはイディスしか呼べんし、『教会』派も私が出張らざるを得なくなる」

「ムラクモくんは特異すぎますからね。仕方ないでしょう」

「だからこそ話が早いのが実にありがたいわけだが……これ以上は愚痴になるな。すまない」


痛みを和らげるようにこめかみを突きながら、イオは謝罪の言葉を口にする。

行動原理に信仰心が根づいている他の教徒に比べて、『教会』にスカウトされただけにすぎないイオの思考はフランクだ。そのため『機関』や『王室』から仲介役として呼ばれることが多く、その分価値観の違いに頭を悩ませることも多い。


「気にすんなって。いつもお疲れさん」

「貴殿には世話をかけるな、イオ」


それを知っているからこそ、ムラクモもイディスも彼女を労わる言葉をかけた。


「でも俺としちゃあ、サイアちゃんとも会いたいんだけどな~。絵に描いたような女騎士は、やっぱ男としてそそられるものがある」

「絵に描いたような女騎士だからこそ、軽薄なお前は蛇蝎の如く嫌われているわけだが?」

「サイアの潔癖も度が過ぎているように思うが、それはそれとしてやはり貴殿に問題があるのは間違いないだろうな!」

「ひっでえなあ、二人揃って。いわゆるツンデレってやつかもしれねえじゃん」

「ありえない」

「ないな!」

「鬼かお前ら」

「私は確かにオーガだがな!」


やいのやいのと、三人の勇者は歓談する。

そんな彼らの様子は、英雄として称えられているとは思えないほど人らしい。


「……ふふっ」


それを見つめるフギンは、思わずといった風に笑みを零す。彼らの実力を良く知るオージンでさえも――否、知っているからこそ余計に、微笑ましそうにせずにはいられなかった。

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