第2話:最弱
勇士公助機関アインヘリヤル、通称『機関』。
どこにも――『王室』や『教会』を始めとする国や組織などが挙げられる――属していない戦士や術士の身分を保証し、彼らに仕事を与える組織である。
勇士の公助とは聞こえがいいが、要は正式雇用からあぶれたり、正式に雇用されるには色々と問題を抱えたりしている者達が問題を起こさないように手綱を握っているわけだ。
その証左とでも言うように、所属している戦士や術士は『王室』や『教会』と比べると質も素行も悪い。しかし、こと数に関しては圧倒的なアドバンテージがあった。
加えて一所に縛られていないため、フットワークも軽い。『王室』や『教会』ではおいそれと人を動かせないような案件で簡単に人を投じることができるのも、『機関』ならではの強みであった。
さらにもう一つ。
『機関』は、所属する戦士や術士の力量を可視化できるよう、ステイタスと呼ばれる物差しを作った。
筋力、持久力、敏捷、器用、魔力、抗力、技術、威力。
これら八つの項目から五つを選んで測定し――例えば戦士なら、筋力、持久力、敏捷、器用の身体能力に加え、魔術耐性を表す抗力を足すといった風に――、寄せられた依頼にはどんな戦士ないし術士が適しているかをわかりやすくしたのだ。
薬や魔術によるドーピング対策は徹底しているため、『機関』が提示するステイタスの信用度はかなり高い。
これにより作業が効率化した上、ピンからキリではあるものの『機関』に舞い込む依頼は圧倒的に増えた。今では『王室』の騎士や『教会』の教徒にも適応されるほど、ステイタスは一般化した概念となっている。
そんな『機関』の本部ロビーに、ムラクモは約束の時間からきっかり十分遅れて到着した。
なぜ正確に時間がわかったかと言えば。
「十分の遅刻だぞムラクモ。相も変わらずだらしがないな貴殿は!」
ロビーに立つ赤髪の騎士が、ムラクモが入ってくるなりそう声を荒げたからだった。
よく通る声は、広々としたロビーの隅々まで響き渡る。
当然のように視線を集めたが、声を上げた本人は意に介することもない。軽量の鎧が奏でる金属音を引き連れ、ムラクモの元へと歩み寄った。
一方、名指しされたために余計視線が集中したムラクモは、それらを無視できないとばかりに頬を掻き、呆れた表情を騎士の方に向ける。大勢の注目を浴びているにしては、彼の態度もまた気軽なものではあったが。
傍らまで歩み寄ってきた騎士に、ムラクモは気さくに手を上げる。
「よお、イディス。ひと月ぶり。遅刻したのは悪かったけどよ、十分くらいでそんな大声出すことないだろ。みんなびっくりしてるじゃねえか」
「むっ」
その指摘に、イディスと呼ばれた騎士はぐるっと周囲を見渡す。
反射神経の良い者はイディスと目が合う前に顔を逸らすことができたが、何人かはまっすぐした目に直接射抜かれ、気まずそうな表情を浮かべることになる。そんな反応を見て、自身の声が注目を集めたことを遅ればせながらに自覚した。
最初の第一声からわかるように、この騎士は生真面目である。
ゆえに体の向きを変えると、深々とロビーの野次馬達に向けて頭を下げた。
「驚かせて相済まなかった!雑音程度に聞き流していただけると幸いだ!」
「だから声がでかいって……」
雑音どころか騒音ではないだろうか、とムラクモは眉をひそめる。
もっとも、性別に反してやや太めの首から出る凛としたアルトは、多少音量が大きいくらいではその耳触りの良さを損なうことはなかったが。
そう、イディス=アイギスは女性である。
中性的というよりは精悍という言い回しが似合う顔つきに、肩に触れるか触れないかのラインでばっさり切られた短い髪。何より外を歩く時には常に装備している鎧のせいで男と間違われることは多々あるが。
声質がテノールに寄っているため、『王室』に仕える騎士にはよく見られる堅苦しい口調も相俟って、喋っても性別を看破されない場面は非常に多いが。
屈強かつその巨体で知られる
それでも、れっきとした女性である。
なお、自他ともに認める女好きであり、女の子のためなら死んでもいいと豪語するムラクモが、女性として扱わない唯一の相手でもあった。
性別に気づいていないわけではない。
ただ。
「お前さんも、相も変わらずレディらしさも色気もないことで。つーか下手な野郎より男らしいんだよなあ」
女性として接するには、イディスは男らしさが強かった。
より端的に言うなら、女として認識できないのである。
「貴殿はまたそれか。口を開けば女色気女色気と嘆かわしい」
「だって女の子は可愛いし柔らかいし良い匂いもするしで世界の至宝だろ。口にするのは男として当然、否、自然の摂理と言っても過言ではない!」
「胸を張って言うな」
「張れる胸もないからって僻むなよ」
「はっはっはっ!よかろう、その喧嘩買ってやる」
『申し訳ありません。主の病気は寛大な心で聞き流してください、イディスさん』
背負っていた
しばらく黙った後、溜息と共にイディスは柄から手を離す。
「そうしておこう。こやつが遅刻の言い訳を口にしない時は、決まって人助けをしている時だからな。その義に免じて手袋を投げつけるのは勘弁してやる」
『ありがとうございます』
ツクモからの謝意に、ハーフオーガの騎士は清々しい笑みを浮かべた。
「それはそうとひと月ぶりだな、トツカ。息災だったか?」
『ええ。頭痛の種に背負われていますが、概ね平穏無事です』
「あれ?なんでトツカにはちゃんと挨拶すんの?おかしくない?」
「さて、機関長が待っている!早く行くぞ、ムラクモ」
「聞いて???」
さっさと歩き出してしまったイディスの背に抗議の呼びかけをしながらも、彼女の後を追うようにムラクモも歩を進める。
「あ、クサナギさん」
そんなムラクモを、受付嬢の一人が呼び止めた。
「どうしたんだい、今日も可愛いヒルドちゃん。デートのお誘いかな?」
「今は仕事中なので、今度お願いしたいですね」
「言ってくれればいつでもスケジュールを開けるぜ!」
「ふふふ」
ヒルドと呼ばれた受付嬢は思わずといった風に笑った後、一枚の書類を見せる。
それを受け取って一瞥した後、ああ、と思い出したように短い呟きを零した。
「この前買った富くじか」
「いつもどおり当たっていましたよ。ちゃんとご自分で確認してくださいな」
「見なくても何かしら当たってるからなあ」
「だからって受付に丸投げしないでほしいものですが」
頬を掻くムラクモに呆れたように肩をすくめながら、返される書類を受け取る。
「いつもどおりでよろしいので?」
「ああ、君にプレゼントしよう。大事に
「どうもありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる受付嬢に屈託なく笑い返してから、今度こそイディスの後に続いた。
そうして騒がしい二人が奥の方に引っ込んだところで、ロビーにいた者達はようやく一心地つけるとばかりに溜息を零した。
「……あの二人、あれだよな。六勇者の」
「赤の勇者イディス=アイギスと、黒の勇者ムラクモ=クサナギ」
ほどなくして、囁き合いがあちらこちらから聞こえだす。
――――六勇者。
それは、【偉業】を成し遂げた英雄に与えられる、エクストラエデン最高峰の勇士の称号。
その名の通り六人の英雄で構成されており、各々世界のために力を振るう。
『王室』、『教会』、『機関』という三すくみで回るエクストラエデンにおいて、唯一彼らに縛られることない――もっとも、三すくみのバランスを崩さないためにそれぞれの派閥から二人ずつ選出されてはいるが――英雄の証だ。
稀有な
『王室』騎士団の団長を務めるハーフオーガ、赤の勇者イディス=アイギス。
飛地の教会にスカウトされた大魔術師のダークエルフ、銀の勇者イオ。
槍の名手として知られる
騎士団に所属する魔術使いのハーフ
そして、漆黒の大太刀を操るヒューマンの勇士、黒の勇者ムラクモ=クサナギ。
全ての勇士の目標であると同時に、憧れの的でもある。
その証左として、イディスの名を声に出し、彼女のことを口にした者達の声音には大なり小なり憧憬が混じっていた。
しかし、ムラクモの名を声に出し、彼のことを口にした時、反応は逆転する。
彼の話をする時に込められるものは、羨望、嫉妬――そして侮蔑。そこに英雄に対する良い意味での憧れはなく、嘲弄の色さえ感じられる。
彼の序列は最下位のⅥ。
つまり、現在の六勇者の中では最も弱いとされる。
もちろん。
それだけの理由では、彼に負の感情は向けられなかっただろう。
「最弱の勇者が、アイギスさん相手に偉そうに」
誰かがそう吐き捨てながら、ロビーの壁に貼りだされた紙を見た。
ステイタスは基本秘匿とされる。長所が可視化されているということは短所、すなわち弱点も簡単にわかってしまうからだ。
だが、六勇者は別。
多くの勇士の目標であり憧れである彼らのステイタスは、指針ないし現実を教えるためのものとして、公開が義務づけられている。そのため、『機関』本部のロビーには似顔絵と共に六勇者のステイタスが貼りつけられていた。
序列Ⅱ――すなわち、勇者の中では二番目に強いとされるイディス=アイギスのステイタスは、以下の通りになっている。
筋力:S、持久力:EX、敏捷:B、器用:B、抗力:S、防衛力:EX
他の勇者も同様に、最高等級のSやそれに次ぐAが多く記載されている。
そんな中、ムラクモ=クサナギのステイタスは異彩を放っていた。
筋力:B、持久力:S、敏捷:B、器用:B、抗力:C、幸運:EX
ただの勇士のものとして見るなら、Sが一つあるだけで破格と言える。
だが、勇者のものとしては、この数値は歴代の中でも類を見ないほど低かった。今代どころか、歴代最弱と言っても過言ではないだろう。
極めつけは六つ目の能力値。
これは八つの能力値のどれにも当てはまらず、しかしその勇士を説明するには欠かせないファクターを可視化するために用意された特別枠だ。特別枠ゆえに、ここに記載される等級は最高級のSか、計測不能のEXの二つのみ。
そんな特別枠が伝えるのは、ムラクモ=クサナギは異様に運が良いということ。
運を測る測定器が存在しない以上、正確な数値を測る術はない。そんな曖昧なものにも関わらず評価対象に加算されるほどには、ムラクモという男のラック値の高さはわかりやすいものだった。
そしてこれこそが、ムラクモに侮蔑の眼差しが向けられる最大の理由だ
「運だけで【偉業】を成し遂げたようなインチキ野郎のくせに」
毒づく者達の脳裏によぎるのは、五年前のこと。
推薦あるいは欠員によって新たな勇者が加入した際、序列を決め直すために六勇者による模擬戦が行われる。『機関』派の勇者が引退した時、機関長が推薦したのがムラクモ=クサナギだった。
成した【偉業】は【竜殺し】。
十五年前に東国で起きた大量虐殺。それを引き起こした
結果は、惨憺たるものだった。
全戦全敗。
多少善戦はしたものの、ムラクモは明らかに他の勇者より弱かった。
勇者を相手に一方的な戦いを演じなかっただけでも大したものなのだが、人々はそう思わなかった。期待していた反面、望むものが見られなかった失望は大きい。
公開されたステイタスが、その失望ムードに拍車をかける。
ムラクモ=クサナギは運だけで【偉業】を成し遂げた。いや、本当は【偉業】を成し遂げてすらおらず、誰かのおこぼれを運良くかっさらっただけなのではないか。
そんな考えが蔓延するまで、さほど時間はかからなかった。
ゆえに、最弱。
幸運だけで英雄の末席を汚す男を、人々はそう馬鹿にしている。
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