第1話:ムラクモ=クサナギ




エクストラエデン。

またの名を『楽園の飛地』。


最も人口が多いヒューマンを筆頭に、人ならざるものの特徴を有したデミヒューマン、自然物や年月を経た人工物に魂が宿った精霊といった、多くの種族が混在する地だ。

魔力を主たるエネルギーに据えて発展しており、貧富の差こそあれど人々は快適な暮らしを送っている。


大陸は広大とは言い難い。

今は大陸の中央にオリュンポス家――通称『王室』が王都を置き、東西南北の各国を統治しているが、その昔は土地を巡る争いなど日常茶飯事であった。


飛地の教会と呼ばれる世界最大の宗教曰く、全ての種族は元々楽園に住んでいたという。

しかし、種族間で醜い争いを続ける人々を見て神が怒り、楽園から追放した。その罪を悔い改め、償った魂だけは、死後楽園へと戻ることができる。

要するに、我々の住まう土地が狭いのは我々の原罪だ、だから争いなんてやめて別種族とも仲良くしましょう、そうすれば楽園へ行けますよという教えだ。


そんな教えを広める『教会』の影響力が強いからか、はたまたその原罪とやらの影響を無意識のうちに受けているのか。

土地を巡る争いは多いが、種族間の争いはさほど起きない。

これは前者に比べてではあるものの、多くの種族が入り乱れている大陸で種族による争いが少ないというのは稀有であり、そして人々にとっては誇らしい業績ではないだろうか。


とはいえ、それは大きな諍いに限った話。

小さな不和や偏見は、当たり前のように散見される。

例えば――


「獣臭いんだよ犬っころ、いいから足を離しな!」


『王室』の城下町として栄えている王都。

人気が少ない路地裏で、ヒューマンの男が獣人の少女を蹴り上げる光景であるとか。


「――ぅぎゃっ!」


犬の耳を生やしたワーウルフの少女は地面に転がり、そのまま蹲ってしまう。

そんな様を連れと共に嘲った後、男はその場を立ち去ろうとする。しかし、それに気づいた少女は慌てたように顔を上げた。


「待てよ!あたしのお金、返して!」


吠えるように言いながら、見据える先にあるのは男が持つ小さな布袋。

何枚かの小銭でこぢんまりと膨れた布袋には、不格好な花の刺繍が一つ。あまり器用ではない彼女の母親が、目印にとつけてくれたものである。

それは間違いなく少女のもので、先ほど懐からすられたものだった。

しかし、当の男は鬱陶しそうな顔を浮かべるばかり。


「だーかーらー。なんべんも言ってんだろうが。これがお前のもんだって証拠がどこにあんだよ?」

「布の刺繍っ、それに袋とあんたの手から、あたしの匂いを感じるものっ」

「これは俺のカノジョがちくちく縫ってくれたものなんですぅ。匂いだって、てめえらにしかわかんねえもんで言われたってヒューマンの俺が知るかっての」

「言いがかりつけるならもっとわかりやすい証拠持ってこいよ、ショーコ」

「ま、無理だろうけどな。鼻が良いだけの犬っころにはよ!」


ギャハハと、二つの下卑た笑いが上がった。


最も人口が多く、同時に最も凡庸と言われるヒューマンの中には、こうして多種族の特徴を悪しざまに言う者が一定数いる。彼らもまた、そんな者の一人だった。

口にする者の性根に問題があるのであって、言われる側には何の非もない。

しかし、多勢に無勢とはまさにこのこと。


「……ぅぅ」


二人の大人から責められ、幼い少女は自分が間違ったことを言っているような錯覚に陥る。臀部から生えた父親譲りの短い尾が、悲しげに萎れた。


そんな姿を見て、また嘲笑。いっそう縮こまる少女に、男達は嗜虐心を満足させる。

特に秀でたものを持たない彼らにとって、生まれながらに長所を持つ種族の子供は、鬱憤晴らしの道具として扱ってもいい存在であった。

もちろん、人気がないからこそのお遊び。

人目につく場所でやるほどの度胸は、こんな遊びを楽しむ小心者には端からない。


だが、彼らは失念していた。

人気がない場所だからと言って、邪魔が入らないとは限らないことを。


「おーおー。みっともないねえ。良い大人二人が揃いも揃って、未来のレディをいたぶっている様は、実にみっともない」

「……!?」


不意に聞こえてきた声に、男達は慌ててそちらに顔を向けた。


「同じヒューマンとして恥ずかしいっての。なあ、トツカ」

『自分はヒューマンではないのでヒューマンの基準はわかりかねますが、そうですね。自分の目から見ても、浅ましい示威行為かと思われます』


そこにいたのは、聞こえてくる声の数に反して男が一人だけ。


「やだこの子ってば。初対面の野郎に「女の子いじめて心のイチモツをシコッてるなんてだっさ」とか言っちゃう?ちょっと口悪くね?」

『力を示す意味での示威を、即座に一人で性的快楽を得る行為の方に変換するお前の脳みそが年中お花畑なんですよこの色ボケ主』

「口悪くね???」


現れた男は、脱力するような会話を虚空と交わしている。不審な様子を別の意味でも警戒しながら、男達は路地裏の奥から現れた闖入者を見つめた。


着流しの下にズボンを穿き、厚手の黒い外套を羽織った長身の男だった。

ぼさぼさの黒い髪に黄白色の肌という、東国の人間に見られる特徴を有したヒューマン。十代というには貫録があり、かといって三十路と呼ぶには若々しい風体をした男が、同人種の男達を呆れた様子で見ている。

伊達男。

そんな言葉が似合う容貌だが、それ以上に目を引くのは彼が背負っている得物だ。


羽織る外套や髪の色と同じく、それよりなお鮮やかな漆黒の鞘に包まれた、長さ二メートルはあろうかという大太刀。


王都では両刃の剣が主流なこともあり、見慣れぬ武器は異質に映る。

だが、圧倒されたのはわずか。見慣れぬ異様な武器だからこそ、すぐにそれを持っている有名人のことに思い至ったからだ。


黒い大太刀を背負い、黒い外套を羽織った東国のヒューマン。

有名人の特徴は、見事目の前の男と一致する。


「お前、ムラクモ=クサナギ……黒の勇者か?」

「あ、俺のこと知ってんのか。そっかあ」


問いかけに返るのは肯定。

困ったように頬を掻く姿に、男達の警戒心は一気に解けた。


「最弱野郎が、こんな路地裏でヒーロー気取りってか?ははは!」


勇者という呼称に反し、口から出るのは露骨な侮り。

ムラクモと呼ばれた男は聞き慣れたとばかりに肩をすくめたが、反論してこない姿はいっそう男達を調子づかせる。嗜虐の余韻が破壊された怒りをぶつけんと、彼らはムラクモの方へと歩み寄った。


「勇者サマよぉ、弱いのに口出してくんじゃねえよ」

「そうそう。だから痛い目を見る羽目になるんだぜ?」


体格は良いが、相手は一人でこちらは二人。加えて相手がわざわざ大太刀ハンデを背負っているとなれば、すぐにリンチになるだろうと彼らは確信していた。

何せ、相手は最弱。

自分達でも勝てるだろうと、武芸の心得もない男達は根拠もなく思い込む。


そんな男達を一瞥し、ムラクモまたは困ったように頬を掻いた後。


「勇み足も結構だが、足元には気をつけろよ?そこらへんぬかるんでるっぽいから、転んじまうぜ」

「はあ?何言って――――うぉっ!?」


ムラクモの言う通り、男の一人がぬかるみに足をとられた。


強く踏み込んだ反動で、体が大きく傾ぐ。無意識のうちに支えを求めた男の手は、ちょうど隣にいた連れの服を掴んだ。

当然のように、もう一人の男の足も滑る。

数秒後、大きな転倒音とともに二人の男が背中をしたたか打ちつけた。


男の一人が持っていた布袋が、宙高く放られる。まっすぐ放られていれば、男達と共にぬかるみへ飛び込んでいただろう。しかし運良く放物線を描くように投げられたそれは、ムラクモによってキャッチされた。


「っ、てぇ…!」

「くっそ、俺まで巻き添えにするんじゃねえよ!」

「仕方ねえだろ!」


ぬかるみの泥で背中や臀部を汚したまま、男達はぎゃあぎゃあと言い合いを始める。そんな男達を見てまた肩をすくめながら、ムラクモは背負った大太刀に手をかけた。


ちゃきっと。鯉口を切る音がして、鞘と同じく漆黒に染め上げられた刀身が顔を見せる。


「そりゃあ、俺は中じゃ最弱さ。そうでなくとも、世の中を探せば俺より強い勇士なんてゴロゴロいるかもな」


そう言いつつ、大太刀の切っ先を転んだままの男達に向けた。

男達は息を呑む。

眼前に迫る凶器――にではなく、一度侮った男が異質な武器を手足のように動かして見せたことに。大仰な動作でなかったことが、却ってそれを扱い慣れていることを証明していた。


「だ・け・ど」


茶目っ気のある声音とともに、ペンを回すような気安さで大太刀の柄を回す。

気安さに似合わぬ風切り音を立てた切っ先が、器用に男達の髪の毛を数本斬った。


「ドシロートが勝てると思うのは、さすがに侮りすぎじゃないかね?」


声音はそのままに、ムラクモは小首を傾げながらウインクをした。

女性がやるなら可愛らしい仕草だろうが、大の男――それも凶器を携えた男がやるとなれば、恐怖以外の何物でもない。荒事に慣れていない男達もさすがに思い上がりを自覚した。


自分達では勝てない。

その事実を前に、湧き上がるのは負の感情。一度貼った悪いレッテルは実力を垣間見ても容易く剥がれず、逆により強く貼りついてしまう。

それでも、ここで蛮勇になれるほどの度胸は彼らにはなく。


「くそっ、覚えてろよ!」


ありきたりな捨て台詞を吐きながら、ほうほうの体でその場を後にした。


「……やれやれ。あっさり引いてくれて運が良かったな」


路地裏の奥に消えていく姿を見つめつつ、ムラクモは小さく息をつく。

大太刀を鞘へと収め、改めて背負い直す。それから、事の顛末を呆気にとられた様子で見ていた獣人の少女へと歩み寄った。

武器を持った男に近づかれ、少女の肩は小さく跳ねたが。


「怪我はないかい?可愛らしいお嬢さん」

「……ふえ」


きざったらしく差し出された手と微笑みに、再び呆けた顔になった。


『主の守備範囲の広さは存じておりますが、さすがにその年頃の少女に手を出すのは』

「お前俺のことなんだと思ってるわけ?」

『女好きの色ボケしたケダモノと認識しておりますが何か?』

「さすがにこんな小さい女の子に手を出さねえっての!」


ぎゃあぎゃあと虚空と言い合いをした後、少女がいっそうぽかんとしているのに気づいたのか、ムラクモは反対側の手で頬を掻く。


「あ、ごめんね?俺の刀は器物の精ツクモなんだ。だから決して何も無いところと会話しているわけじゃなくてね?オッケー?」

『うーん、誘拐犯の前口上……』

「しばらく黙ってろなまくら」


トツカと呼んだ精霊に向けて、低い声を放つ。

その声に応じるように、背中の気配は大人しくなった。小さく安堵の息をついてから、もう一度少女に笑いかける。


「んー、とりあえず怪我はないかい?」

「……う、うん。蹴られたりはしたけど、あたし丈夫だから」

「そっかそっか、さすがワーウルフだなあ。でも、泣かなかったのは種族とか関係なく君が偉いから、お兄さんが褒めてやろうな」


気さくな笑みと共に、差し出していた手で少女の頭を撫でる。

その手つきは、母がしてくれるものに比べれば丁寧さには欠ける。しかし、確かな慈しみを感じさせる男の手は、父に撫でられている時を思い起こさせた。


緊張に強張っていた少女の肩から、ようやく力が抜ける。

それに気づいて笑みを深めたムラクモは手を引っ込めると、先ほどキャッチした布袋を少女に差し出した。


「……あっ」

「君のだろう?今度はとられないように気をつけるんだぞ」

「うんっ!ありがとう、おじちゃん!」

「お、おじ……」

『ふふっ』


無邪気な一言に、ムラクモは顔を引きつらせる。こらえきれないとばかりに、背中の大太刀が笑い声を零した。

少女だけが、意味がわからずきょとんとした顔をしている。

気まずげに咳払いをしてから、ムラクモは改めて口を開いた。


「家まで送ってやりたいところなんだけど、この後用事があってなあ。お嬢さん、一人でおうちまで帰れるかい?」

「あたし、そこまで子供じゃないわ」

「おっと、そいつは失敬。レディに失礼だったな」


頬を膨らませる少女に恭しく頭を下げてから、もう一度手を差し出す。

少女も今度は、迷わずその手をとった。小さな手をしっかりと、それでいて優しく握りしめてから、座り込んだ少女の体をそっと立ち上がらせ。


体格差があるため、一瞬だけ爪先が地面から離れる。それもきちんと見越していたとばかりに、バランスを崩しかけた少女の背中を男の背が支えた。

結果としては普段味わえないような浮遊感の後、足裏に衝撃もなく地面に着地した。

所作の一つ一つがきざったらしい。

だがそれは、この男にはしつらえたようにしっくりきた。


「……」


幼さゆえに女性扱いされたことがほとんどない少女は、少しだけのぼせ上がるような心地を味わう。だが、次の瞬間には我に返り、ムラクモに深々と頭を下げた。


「あ、ありがとうございました!」

「どーいたしまして。小さかろうが大きかろうが、可愛いレディのためならこれくらいお安いもんさ」


そんな言葉の後、路地裏の外まではと少女をエスコートするように歩く。

そうして入り口で別れた後、遠ざかる背中を見つめながらムラクモが呟いた。


「あと五年、かな……」

『節操なしが過ぎますよ主』

「なんだよ。見たところ十歳くらいだし、五年後ならお触りオッケーだろ!?」

『主、目的地に行く前に左手の道に向かって一キロくらい進みませんか?』

「俺の記憶が正しければそこって自警団の詰め所なんだけど?ねえ?」


ツクモと軽口を叩き合いながら、ヒューマンの男は歩き出す。

しばらくは益体もないことばかり交わしていたが、ふと、ムラクモが小さく息をついた。


「いやあ、しかし。寄り道もしてみるもんだ。おかげで人助けができた」

『ええ』


これには、トツカも素直に同意を示した。


『幸運でしたね、主』

「ああ。どうやら今日も変わらず、俺は幸運らしい」


言葉のわりには浮かない声音でそう言うと、また溜息をつく。

そんな使い手をしばらく静観した後。


『ところで主。待ち合わせの時間はとっくに過ぎていますよ』

「もう少し早く言ってくれや!」


悪態をついてから、ムラクモは歩調を徒歩から駆け足に切り替えた。

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