22.彼女との初デート③

 カフェでお茶をした後、俺と四葉はとある場所へと向かっていた。俺達が降りた駅からバスを使って十分程行った先にあるそれはいわゆる水族館と呼ばれる場所である。


「着きましたね、凛君」

「着いたな」


 水族館はなんというか現代的なデザインで遠目から見ただけでは水族館だと分からない見た目をしていた。だがその建物に掲げてあるプレートを見る限り、水族館であることには間違いない。

 そもそも水族館はいつ以来だろうか。最後に行ったのは確か小学校の遠足だった気がする。小学生の記憶など鮮明に覚えているはずがないので、そういう意味で言えば今回が人生初の水族館だといっても過言ではなかった。


「……凛君?」


 声がした方へ顔を向けると、そこには少し心配そうな表情をした四葉がいた。


「えーと、なんだっけ?」

「やっと気づいてくれました。さっきからずっと言っているじゃないですか。早く中に入りましょう」


 くいくいと俺の服の袖を引っ張った四葉はそれから俺の手を掴み、水族館入口へと歩き出す。そんな彼女のあとを俺はただ引き摺られるままについていった。


◆◆◆


 水族館と呼ばれる場所は一見、大きな水槽で泳ぐ水棲生物達を楽しむ人達で溢れているように見える。だが実際デートで水族館に訪れると意外にカップルが多いということに気づく。あちこちどこを見てもカップルだらけ、なんとなく居心地が悪くなってしまう。


「凛君は水族館苦手でしたか?」


 居心地の悪さが表情に出ていたのか四葉に誤解されるが、俺は慌てて否定する。


「いや、意外とカップルが多いなと思ってな」

「確かにそうですね。でも水族館はどこも大体そんなものですよ。暗くて静かですから」


 暗くて静か、カップル達が愛を育むには最高の条件なのだろう。そこまで考えたところで四葉がどうして水族館に行きたいと言ったのかが気になった。そもそも今回のデートは都心に行くとだけ決めていてその先は完全にフリー、実質ノープランであった。そこで彼女が行きたい場所を決めて、決めた場所を回っていたのだ。初めはカフェ、それに続いての水族館である。つまりは水族館に来たのは彼女の希望ということで何か目的があるはずなのだ。先程から水槽の方を見ていないので単純に水棲生物達を楽しみたかったわけではないだろう。とすると何を目的に水族館へ来たのかが分からなかった。


「凛君……」


 一言そう呼ばれて四葉の方へと顔を向ける。顔を向けた先にいた彼女は真剣な表情でこちらを見ていた。


「どうした?」


 四葉のいつになく真剣な表情に俺は何かあったのかと彼女に問いかけるが、言葉は何も返ってこない。代わりに彼女はある方向を指差していた。


「あっちに行けば良いのか?」


 こくりと頷く四葉に俺は彼女が指差した方向へと向かう。そうして向かった先には深海生物を展示している通路があった。そこは当然暗く、水槽の方から漏れる僅かな明かりだけがそのエリアを照らしている。不思議とそこには誰の姿もなく、俺と四葉の二人だけの空間となっていた。


「深海魚が見たかったのか?」


 四葉は何も答えずただ地面一点を見つめている……と思いきや彼女は突然俺の方に倒れるようにして体を預けてきた。


「よ、四葉!?」

「……凛君」


 ようやく口を開いたかと思えば、四葉はただ俺の名前を呼んでいた。それから少しして独り言のようなものを呟き始める。


「私、もう分かりません……」


 四葉の声からはもうどうにでもなれという思いが読み取れる。


「何でこんなに苦しいんですか、何でこんなに嫌な気分になるんですか」


 もしかして俺に言っているのだろうか、それとも自分自身に対して言っているのか。どちらでも一先ずは四葉を落ち着かせる必要があるだろう。


「どうしたんだ? 何か悩み事なら俺が愚痴でも何でも聞くぞ」


 何でも受け止めるつもりでその言葉を口にすると四葉は今まで俺に預けていた体を起こし俺を見る。そんな彼女の目はうるうるとしていて今にも涙が溢れそうだった。


「本当に聞いてくれるんですか?」

「ああ、何でも聞くって言ったからな」


 何でもは流石に言い過ぎだとは思ったが、涙目の女の子を前に訂正することなど出来ない。黙って四葉の目を見続けると四葉が口を開いた。


「だったら教えて下さい。凛君はこんな私をどう思いますか?」

「どうって……今の四葉を見てたら普通に心配になるけど」


 心のまま素直な気持ちを言葉にすると、四葉は少し安心したような表情になる。だが彼女はすぐに首を横に振って表情をリセットする。


「違います、そういうことではないです。今とか関係なく凛君は私のことをどう思いますか?」

「それは……」


 正直分からなかった。嫌いではないし、かといって友人のような感じもしない不思議な感じ。だからこそ今の今まであまり考えないようにしていたのだ。考え始めたらきっと答えを出さなければいけないから。


「答えられませんか……」

「すまん」

「いえ、実は私も答えられないです。凛君をどう思っているのか」


 一度そこで言葉を切ると四葉は再び俺の方へと体を預けてくる。


「でも凛君が月城先輩とか他の女の子と話しているとなんかこう、モヤモヤするんです。苦しいんです、嫌なんです。凛君は鈍感ですし、先輩の話を聞いているうちに今まで凛君が他の女の子と話すのが嫌だって考えていた自分が醜く思えて、このままじゃ駄目だってなって、だから今度は凛君の気を引こうと……本当に私どうかしてますよね」


 そう言って俺のお腹に顔を埋める四葉からはどうして良いのか分からないといった印象を受けた。

 そして正直俺もどうして良いのか分からなかった。しかしこれでここ最近の彼女の変な行動については納得がいった。彼女の行動はどうしてすれば良いのか分からず葛藤した末に導きだした答えなのだろうと。


 彼女の話で今までの疑問が解消される中、俺のお腹に顔を埋めた彼女は一度顔を離すと続けて言葉を発する。


「だからこそもうはっきりさせないといけないと思うんです」


 彼女の口からはっきりさせるという言葉が聞こえてきた瞬間、どうしてか俺は他人事のようにしか思えなかった。それは今まであまり深く考えないようにしてきたせいだろうか。

 いや、きっと違う。怖いのだ、これまでの関係が変わってしまうのが。

 しかしこれ以上はもう誤魔化しは効かない。例えどんな結果になったとしても腹を括るしかない。


「そうだな、それが一番良い」

「そこで私から一つ提案なのですが……」


 四葉は一度俺から離れるとこちらに手を差し出してくる。てっきり話し合うのかと思ったのだが既にどうするかは決まっているらしい。

 一体どんなことを言われるか、緊張と共に相手の出方を窺っていると彼女は笑みを浮かべて言った。


「私のものになってください」

「えっ?」

「私専用の凛君になってください」


 二度聞いても分からなかった。今の俺はきっと困惑した表情をしているだろう。だがそれでも彼女には一切引く気があるようには見えない。


「ちなみに凛君に拒否権はありません。それも既に私のものですから」


 この言葉を聞いたときに思った。この娘やはり相当ヤバイのかもしれないと。何がヤバイって既に俺が彼女のものになっているのもそうだが、それよりなにより彼女が本気でそう思っていそうな目をしていたのが一番ヤバかった。

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