23.彼女が魔王様になった日

 女の子のものになるというのは男としては果たして幸せなことなのだろうか。一概には言えないが、大抵の人は幸せに違いないと答えるだろう。だがそれは実際にそういう状況に陥っていない人だけが言えること。実際にそういう状況に陥った人ならきっとこう思うはずだ。

 怖いと……。


 土曜日に四葉とデートをした俺は月曜日の朝、自宅のドアを開けて戦慄していた。


「凛君、おはようございます。はいこれ、昨日頑張って選びました。きっと似合うと思います」


 ドアを開けた瞬間、視界に飛び込んで来たのは笑みを浮かべた四葉。これはいい、いつも通りだ。だが視界の中に一つだけ妙なものが映り込んでいた。簡単に説明すると人間が使うにしては明らかに半径が小さい赤色のベルトのようなもの。素材は革だろうか、中々に良いものを使っている。これらの情報から考えるとそれは首輪だった。そう首輪、よく飼い犬や飼い猫が首に付けているあれだ。


「あの、その手に持っているのは一体どういう意味なのでしょうか?」


 首輪の用途などある程度決まっているものだが、信じたくないという思いから聞き返す。だが現実というものは得てして残酷だった。


「それはもちろん凛君を私のものだと証明するための首輪ですけど……」


 さも当然のことを言いましたという風に首を傾げる四葉に俺はただただ恐怖を覚えることしか出来ない。一体どこで彼女との関係を間違えた? どう考えてもこれはおかしかった。


「でも四葉、普通に考えて人に首輪はおかしいよな?」


 流石に受け入れられないとなんとか四葉に常識で説得しようとするが……。


「そうですか? お父さんの部屋にはそういうDVDが沢山ありましたよ。男の人は女の人に首輪を付けてもらうのが一番落ち着くんですよね?」


 四葉には全く効果がなかった。

 それより四葉の父親よ、特殊な趣味を持つのは勝手だがそういうのは娘の手が届かないところに隠して欲しい。おかげで今俺ピンチだから。


「言っておくがそれは一部の特殊な趣味を持つごくごく少数の人達だけだからな。俺は断じて違う」

「……そうだったんですね。てっきり私は凛君が喜んでくれるものだとばかり……」


 四葉は何かを期待するような明るい表情から一転、どこか寂しそうな表情になる。理由はどうあれ、俺は彼女が頑張って選んだプレゼントの受け取りを拒否したのだ。彼女からしてみれば、それはきっと悲しいことなのだろう。


 そう考えると段々申し訳なく思えてきた。どうやら俺は彼女に相当甘いらしい。


「分かった。首には無理だが腕とかならまだ考える」

「それってつまりこの首輪を付けてくれるってことですか?」

「そうなるな」


 彼女からの初めてのプレゼントが首輪だとは思わなかったが、わざわざ俺のために選んでくれたというのを考えると悪い気はしない。

 『どうぞ!』と元気よく首輪を差し出してくる四葉に俺は自らの手を差し出す。


「ああ、ありがとう」


 だがまぁ実際のものが首輪なわけで、俺はどういう表情でそのプレゼントを受け取れば良いのか分からなかった。笑えばいいのだろうか。


◆◆◆


 昼休み、俺は教室でいつものように孝太と……ではなく四葉と昼食を取っていた。


「凛君、卵焼きですよ。あーん」


 俺は今、傍から見れば美少女にあーんをされているという羨ましい状況に見えるだろう。だがそれはまやかし、実際は卵焼きから卵焼きに次ぐ卵焼き、卵焼きエンドレスループだった。これでもう十五個目、一体彼女がいくつの卵焼きを隠し持っているのか、俺には既に見当もつかなかった。


「そんなに沢山食べて、凛君は相当卵焼きが好きなんですね。でもまだまだありますので安心して良いですよ」


 一体いつになったらこの卵焼きのループから抜け出せるのか。口の中は既に卵焼きで一杯だが、それを気にせず口の中に卵焼きを突っ込んでくる四葉は一体どういう神経の持ち主なのか。様々なことを考えるが結果的に押し寄せてくる卵焼きで全てを流される。


「……ふぉっと、まっふぇふれ!」


 流石にこれ以上はまずいと卵焼きが入っている弁当箱の交換弾丸のリロード時に慌てて声を上げると、意外なことにピタリと四葉の手が止まった。


「どうしたんですか? 卵焼きの催促ですか?」


 その間に口の中にある卵焼きを全て飲み込み、息を整える。


「違うわ!」


 息を整えた直後に出てきた言葉はこれだった。特に意識はしていないが自然とこの言葉が口から出てきていた。きっと卵焼きをこれ以上口に入れたくないという拒否反応からだろう。


「違うんですか?」

「ああ、違う。寧ろ逆だ」


 言ってしまえ。いい加減、卵焼きを無理矢理口に詰め込むのは止めろと。だが口を開きかけた瞬間、四葉の方から寂しげな声が聞こえてきた。


「もしかして私の卵焼きは美味しくなかったですか?」


 俺の顔色を窺っているようでいて少し悲しげな四葉の表情に俺は何も言うことが出来なかった。そんな顔をされては言えるものも言えない。しかしそれでもなんとか言葉を喉の奥から引っ張り出した。


「いや、美味しいんだけどな。あまり口の中に詰められると味わえないというか、味を感じなくなるというか……」

「そういうことでしたか安心しました。ではもう少しあーんの速度を遅らせますね」


 そうそう、あーんの速度を遅らせれば俺もゆっくり食べられる……って違う! そういうことではない! そもそも卵焼きエンドレスループから抜け出すことが俺の目的だったはずだ。


「えーと四葉、そのあーんとかはどうにもならないのか? 出来れば一人で食べたいというか、もう卵焼きは当分の間見たくないというか」


 俺が四葉に対してあーんを止めるように懇願するという謎の展開だが、気にせず四葉をじっと見つめる。そうしていると彼女は軽く微笑んで言った。


「どうにもならないです。だって凛君はもう私のものですから」


 微笑んでいるはずの四葉だが俺にはそう見えなかった。例えるならば俺という世界を征服しようと企む魔王、それにしか見えなかった。

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