第12話 夏の風と入道雲と その4

「一日も終わりだね」


 真衣奈がバイクの後部座席に跨りながらポツリと呟いた。どこか名残惜しそうにしているのはきっと見間違えじゃないだろう。


「楽しい時間ほど終わるのってあっという間だよね。終わっちゃったらまたいつもの日常に逆戻りなんだから」

「そのときはまた来ればいいんじゃないか? 別にこれっきりってわけじゃないんだし」

「そうだよね。うん、また来よう」

「ああ。それじゃ準備できたか?」

「うん」


 緋色と藍色が交じり合う時間。マジックアワーを眺めながら俺はバイクを走らせた。バラララという軽快なエンジン音を立ててエストレヤが走る。


 水平線と藍色に変わっていく空をバックに真衣奈がいつものあの歌を口ずさんてでいた。そしてヘルメットを五回ぶつける。俺もいつものようにヘルメットを五回ぶつけ返した。


 コツコツコツ。後頭部に響く振動が真衣奈がちゃんとそこにいるんだと感じさせてくれる。


 静かな時間。穏やかな時間。誰にも邪魔されない二人だけの時間。


 そんなささいな瞬間を打ち破ったのは真衣奈のほうだった。


「ねぇ、先輩」

「なんだ? まだどこか行きたいのか」

「ううん、そうじゃないんだけど、最近、紗季さんと会ったりしてる?」

「紗季と? メールしたりはするけど会ってないかな。あいつもなんだかんだで忙しいみたいだし」


 あの一件以来、紗季とはどこか会いづらい雰囲気になっていた。連絡こそするものの、どちらからも会おうなんて話は出なかった。向こうはどうか知らないが、俺は顔を合わせづらいからというのが本音だった。


 というより、なぜここで紗季の名がでてくるのかのほうが不思議だった。そんなことはお構いなしに真衣奈の言葉は続く。


「そうなんだ。てっきり紗季さんと毎日のように会ってるもんだと思ってた」

「高校生の時ならともかく、今じゃたまに顔を合わせる程度だ」

「ふーん、たまにねぇ」

「なんだよ」

「わたしさ、先輩と紗季さんって付き合ってるって思ってたんだけど、そうじゃなかったんだね」

「はぁ? いつ誰があいつと付き合ったって話になったんだ?」

「見てたらお似合いの二人だと思うけどな」

「そうか? あいつと付き合ったら毎日大変な目に遭いそうだけどな」


 言って想像してみるが、確かに大変な毎日になりそうだ。それもきっと楽しいんだろうけど。


 と、そんなことを考えていると後頭部にガンッ! と強い衝撃が走った。突如走った衝撃に視界が揺らぎそうになる。ヘルメットをかぶっているから痛みこそないものの下手をすればバランスを崩して転倒しそうになるところだ。


「なにすんだ! 危ないだろ!」

「なんかニヤニヤしてたから鉄拳制裁。どうせ変なことでも想像してたんでしょ」


 ……否定できなかった。


「だからって思いっきりぶつけてくることないだろ。危うくハンドルから手を離すところだったぞ」


 肩ごしに真衣奈を睨みつけると、真衣奈はどこ吹く風といった様子であさっての方向を見ていた。


 そんな様子に少しの苛立ちを感じながら運転に集中する。すると再び後頭部に衝撃が走った。ただし、今度のはソフトにだ。


「なんだ?」

「先輩怒ってる?」


 真衣奈がご機嫌伺いに話しかけてきた。正直、もう怒ってなんかいなかったが、少しだけイタズラ心が芽生えた。


「だとしたら?」


 なんて対して怒ってもないのにわざと怒ってますという風を装ってみる。いつもなら「そんなに怒らないでよ。冗談じゃない」なんて大して反省もしていないだろう言葉が返ってくるはずなのに、どういうわけか、


「……ごめん。やりすぎた」


 と、本当に反省しているのか謝る声にも元気がない。むしろ、こちらがやりすぎたか? と思ってしまうくらいだった。


「真衣奈──」


 冗談だから気にするなって。そう声をかけようとして止まる。


「……こんなんじゃダメだよね」


 背後から聞こえてきた声に、真剣さが宿っていた。


 俺は無言のまま肩ごしに真衣奈を伺う。肩ごしなのとうつむいているせいか、真衣奈が今どうしているのかわからない。声をかけようにもなんて声をかけていいかさえわからない。


「うん、わかってる。このままじゃダメだってことぐらい」


 誰かと話しているようにひとり言を繰り返す。しきりに自分をダメだと否定するのがきにかかった。


「お前はダメじゃないと思うぞ」

「え?」

「あ、いや、さっきからダメだダメだって聞こえてたからさ。つい」

「え、あ、もしかして聞こえてた?」

「聞こえてたもなにもそりゃはっきりと」


 そう言い切るとヘルメットにコツンと衝撃。どうやらあまりの恥ずかしさに顔を上げられないようだった。頭一つ分重い……。


「あはは、聞こえてたんだ」

「なにかあったのか。俺でよけりゃ相談に乗るけど」

「先輩が? なんだか頼りないなぁ」

「これでもお前より二年長く生きてるんだぞ。少しは頼りにしてくれてもいいんじゃないか?」

「そだったね。ありがと。でも大丈夫」


 コツっとヘルメットからそれまであった頭一つ分の重さが消えた。それと同じく耳元で聞こえていた真衣奈の息遣いさえも。それを確認するとようやく安心できた。


 真衣奈の言った大丈夫は、決して拒絶の意思じゃないことぐらい俺にだってわかった。そう短くない付き合いだ。この大丈夫は「なにかあれば相談に乗ってもらうから、今は大丈夫」という意味だ。なら俺からはこう言うことにしよう。


「じゃあお腹すいたか? そういやもう遅い時間だしたまにはどこか食べに行くか。今日は俺のおごりだからなんでも好きなの食べていいぞ」

「え? 本当?」

「なんでも好きなの言えよ」

「じゃあねぇ……」


 そして真衣奈のリクエストに従った結果、軽くなったのは心だけじゃなく財布もだということはまぁ考えないようにしよう。


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