第13話 夏の空と入道雲と その5
「んで、結局どうなったんだよ」
「どうもこうも飯食って終わりだけど」
俺がありのままを話すと、大樹はなんだよそれ、と呆れていた。
「普通そこまで行ったらもうちょっとなにかあるだろ」
「なにかってなんだよ」
「なにかっていったらなにかに決まってんだろ。そんなこともわかんねーのか?」
大樹が再び呆れ顔でジョッキに残っていたビールを飲み干すと、千枝さんに二杯目のおかわりを頼んでいた。
「男だったらガツンと行くべきだろそこは」
「なんで真衣奈相手にガツンと行かなきゃいけないんだよ」
「そりゃ、相手が真衣奈ちゃんだからに決まってんだろ。お前知ってるか? 真衣奈ちゃんってウチの大学の連中にも人気あるって話」
「そうなのか?」
そんな話聞いたこともなかったから、不思議そうにしていると、三度呆れ顔の大樹。と、そこへ頼んだビールがやってきた。
「あんたらなにくだらない話で盛り上がってんのさ。こっちまで筒抜けだよ」
「俺じゃなくてこいつが──」
「くだらない話じゃないって。俺は翔吾がどれだけ恵まれた環境にいるのかってことを説明してやってるだけなんだって」
「ありゃ、そうなのかい?」
「俺が聞きたいくらいだ」
俺もジョッキに残ったビールを空けると大樹にならって二杯目のビールを注文した。その間にも俺の左隣から戯言のような恨み節が延々と続いていた。
「お前みたいなやつがいるから俺たちみたいな弱者が虐げられるんだよ! わかってんのか!?」
大樹が今にも掴みかかってきそうな勢いで詰め寄ってくる。わかるもなにも、まずお前がなに言ってんのかわからん。
「くそっ……俺だって……俺だってこんなところで終わるようなタマじゃないはずなんだよ……」
大分酔っているのか、怒ったり悲しんだり感情の起伏が激しい。よっぽど嫌なことでもあったんだろう。千枝さんを見ると、なにがあったのか知ってるらしく、苦笑いを浮かべていた。察するに今はそっとしておくのが正しい判断だろう。
「でもまぁ、その点に関してはあたしも同感かな。あんた、紗季ちゃんだけじゃなくて真衣奈ちゃんにも手出してるんだろ? ほい、生中お待たせ」
「人聞きの悪い……。俺は誰にも手なんか出してねーよ」
俺は千枝さんから中ジョッキを受け取るなり、口をつけた。……苦い。
「大体の男はそう言うんだよね。そしていつも泣きを見るのは女のほう」
とうとう千枝さんまで俺のことを女たらしかなにかを見るような目で見てくる。
「だから俺たちはそんなんじゃ──」
「わかってるよそんなこと。冗談じゃないか。それよりも──」
と、千枝さんが俺と同じくジョッキを掲げた。
「いいのか? 仕事中だろ」
「いいさ。もう客なんてあんたらだけなんだし、それにあんた一人だけで飲んでても楽しくなんてないだろ?」
言われた言葉の意味がわからず、横に目を向けるとさっきまで騒いでいた大樹が寝息をたてていた。
「静かだと思ったら寝てたのか」
「この子もいろいろあったみたいだからねぇ。今は寝かせてあげなよ」
「失恋でもしたのか?」
「それはあたしの口からは話せないけど、落ち着いたら慰めの言葉でもかけてやりな」
そう優しく言うと、掲げたままのジョッキをぶつけた。乾杯。
「しっかし、ガキだガキだと思ってたあんたもいつの間にか色恋沙汰に花を咲かせるような年になったんだねぇ。あたしはうれしいよ」
「親戚のおばさんみたいな言い草だな」
「おばさんとは心外だね。あたしとしては親戚の綺麗で優しいお姉さんのつもりなんだけど」
「じゃあそれでいいよ」
「それでとはなんだいそれでとは」
千枝さんの軽口に俺も調子を合わせる。俺はこういったくだらないやりとりが案外好きだった。
それからしばらく他愛もない話をしていると、ふと千枝さんが声のトーンを抑えた。
「それで、あんたどうするつもり?」
「どうするってなにを」
「紗季ちゃんか真衣奈ちゃん、どっちを選ぶかって話」
「だから俺たちは……」
「はぐらかすんじゃないよ。紗季ちゃん言ってたよ。あんたに告白したって」
「紗季が──?」
「ああ。あんたに告白した次の日にここに来たとき言ってた。昨日あんたに告白したって。あたしがどうだった? って尋ねたら答えも聞かずに逃げてきちゃったって言ってた。それからあんたあの子とちゃんと話したかい?」
「……まだだけど」
「意気地なしだねぇ。それでもついてるのかい?」
「……」
なにを、とは聞かなかった。ナニがついてるのかついていないのかの問題じゃないのだろうし。
「ごちそうさま」
「もう行くのかい?」
「ああ。ちょっと飲みすぎたみたいだし」
と、席を立ちかけて一足先に夢の世界へ旅立っていた相方のことを思いだした。
「その子なら寝かせておいてあげなよ。どうせ朝まで起きないんだろうし」
「じゃあ頼んでいいか?」
千枝さんはわかってると首を縦に振った。それを確認すると店を出ようとする。
「翔吾」
「代金足りなかった?」
「あのさ、あの子のためにも早く返事してやっておくれよ。きっとあんたがどんな答えを出してもあの子はそれを受け入れてくれるから」
「また来るよ」
俺はそれだけ言い残して店をあとにした。
生暖かい夏の暑さを含んだ風を受けながら、ポケットに突っ込んだままにしたタバコに火をつける。バイクに乗り始めてからどこへ行くにもバイクで移動していたせいか、久しぶりに町の中を歩くと、何気なく見ていたはずの風景が少しずつ変わってることに気づいた。
タバコをふかしながら片方のポケットに手を突っ込んでフラフラと歩く。フラフラしているのは酒のせいもあるが、懐かしい気分に浸っていて浮かれているからかもしれない。そんな横を、同じく俺と同じように顔を赤らめた酔っぱらいが、鼻歌混じりに過ぎていった。
ここしばらく天気がいいせいか、今日も夜空には満天の星が広がっていた。
こうやって何気ない日常を過ごしていられるのも、あとどれだけ続くんだろうか。
そういや、もうすぐ花火大会だったな。
毎年この時期になると神通川の土手沿いで花火が打ち上げられる。俺はいつもその花火を見ると、夏もあとわずかなんだと思わされた。
ここ数年は真衣奈と一緒に見に行っていた。じゃあ今年は──?
「どっちでもいいだろ、そんなの」
思わず口に出していた。酔ってるせいか、それとも千枝さんに変なことを言われたせいか。
家まであと少しというところで、酔い覚ましがてら缶コーヒーを買おうと自販機に寄ると、思わぬ奴に出くわした。
「お、ハカセだ」
「…………」
俺のことをこんな風に呼ぶ奴なんて後にも先にも一人しかいない。紗季がTシャツに短パンといった、普段、あんまり見たことのない格好で立っていた。
「なにやってんのこんなところで? うわ、お酒臭い……。もしかして千枝さんのところいたの?」
俺は素っ頓狂な顔で立っている紗季を無視して、適当にボタンを押した。
「ブラックかぁ。酔い覚ましならスポーツドリンクのほうがよくない?」
いちゃもんをつけてくる紗季。俺はそれに答えずその場を去ろうとする。もちろん紗季の言ってることは全部聞こえているが、なんとなく関わるのが面倒だったから聞こえないふりをしていた。
「待ってよ。ハカセ」
さっさと行こうとする俺に紗季がまとわりついてくる。俺はずっと見えないフリ、聞こえないフリをしながらスタスタ歩く。
「おーい! 聞こえてるんでしょ! ちょっと、ハカセってば!」
見えない見えない。
聞こえない聞こえない。
スタスタ歩く。
と、数十メートル歩いたところでまとわりついていた紗季の気配が消えた。
思わず立ち止まって周りを見渡してみるが、どこにもいない。
やっと解放してくれた。そう思ったのも束の間──、
「スキありぃ!」
「おぉう!」
首元に走った冷気に体中に鳥肌が走った。
「な、なにすんだ!」
「やっと反応してくれた。ほら、これ飲んだほうがいいよ」
そう言って紗季が差し出してきたのはスポーツドリンクだった。もしかしてあいつ、これを買うためだけにさっきの自販機まで走って帰ってきたのか……?
バカだ……。こいつ、正真正銘のバカだ。
そう思うとなんだかおかしさがこみ上げてきた。
「お前、バカだろ」
「え、なに? バカって? なに?」
「ほんっとバカだよな」
頭をわしわし撫でてやると、紗季はスポーツドリンクを抱えたままなにがなんだかわからない顔をしていた。
「で、なにやってんだお前」
「え、あ、これ。ハカセさっきブラックコーヒー買ってたから、酔い覚ましならこっちがいいかと思って買ってきた」
「だからってお前が汗だくになってどうすんだよ。ほら、お前が飲めよ。喉渇いてるだろ」
「ああ、うん。ありがと……って、これわたし買ってきたやつじゃん!」
一人でノリツッコミしている紗季を尻目に、俺は自分が買ったブラックコーヒーを飲んだ。コーヒーの苦味が少しだけ酔いを覚ましてくれた。
「それで?」
「うん?」
「うん? じゃなくて、お前こんなことしてまで俺になにか用か?」
「別に用なんてないけど」
「……」
聞くまでもなかった。
「あのなぁ、用もないのにまとわりつくだけまとわりついて、あげく人の首元にペットボトル押し付けたのか?」
「それは……まぁ……ごめんなさい……」
ようやく自分自身がやったことのバカバカしさ加減に気づいたのか、謝ってきた。というより、いい年した大人二人が、日付もあと少しで変わろうかという時間にくだらないことで騒いでるほうがどうかと思う。これも全て紗季のせいだ。
けれど、紗季に告白されたあの一件以来、微妙な距離感を感じていた俺にすれば、こういったなにも考えずに行動してくれる紗季の存在はとてもありがたかった。
「別にいいけどさ」
「ありゃ、今日はやけにあっさりだね。いつもだったらもう少しお小言言いそうなのに」
「言われたいのか?」
「……ごめんなさい」
「だよな。俺も言う気分じゃないし」
「うん」
それからどちらからともなく歩き出した。もちろん話す内容に大した価値なんてない。たわいもない世間話だ。なのに紗季と久しぶりに話せたことが嬉しかった。
「そういや、お前ってこのあたりに住んでるのか?」
「んーん、違うよ」
「じゃあなんでこんなところにいるんだよ」
「なんでだろうね。なんか風が気持ちよかったからぶらぶらしてた」
「気持ちはわかるけど、そんな格好で夜歩くと危ないぞ」
「出た。お小言。さっき言わないって言ったのに」
紗季が口を尖らせて反抗してくる。
「悪かったよ。だからって言わないわけにはいかないだろ」
「心配してくれてるんだねー。ありがとー」
「ずいぶんと感情のこもってないありがとうだな」
「どういたしまして」
「褒めてねーよ」
「あはは、そうだね」
紗季が踊るように手を振りながら歩く。小学生じゃあるまいし、なにが楽しんだか。
「そうだ。ハカセは今度の花火大会行く?」
「花火大会? どうだろうな。暇だったら行く」
「ならわたしと行かない?」
「お前と? なんで」
「なんでって、せっかくだしさどうかなって」
「せっかくじゃなかったら行かなくてもいいのか?」
「せっかくじゃなくてもだよ。ハカセってば結構意地悪だよね」
「意地悪で結構。じゃあ俺が行かないって言ったらどうするんだ」
「そのときはハカセが行くって言うまで誘うことにするよ」
「なんだよそれ。俺の選択肢は一つか?」
「わたしから逃れられると思ったら大間違いだよ」
紗季がバーンと人差し指で俺を撃った。俺は肩をすくめて「そりゃ怖いな」と笑った。
「それでどうするの。わたしと行く? それとも他の誰か?」
「まだ行くかどうかも決めてないのに答えれるか。たぶん、誰の誘いもなけりゃ真衣奈と行くんだろうけど」
「じゃあ、わたしが先に誘ったらわたしと行く?」
「お前とか? まぁ……別にいいけど」
「なんでちょっと嫌そうなのよ! もう少し喜んでもいいんじゃない」
「だってお前と一緒に行ったらいろいろ奢らされそうだし」
「……」
「否定しろよ!」
「あー、まぁ、ほどほどにしておくよ」
「……ほどほどって奢らせる気まんまんじゃねーか。ったく、仕方ないな」
「仕方ない? ってことは……」
「今年はお前と行くよ。それに今まで一緒に行ったことないしな」
出来るだけ悟られないようにそっけなく言う。もしかしたら気づかれたかもしれない。いっそそれでもいい。
「なに食べよっかなー。いか焼きでしょー、かき氷でしょー、それからー……」
「先に言っておくけどほどほどにしておけよー」
「わかってるって。楽しみだなー」
今からなにを食べるか考えてる紗季を見る限り、どうやら俺の思いは杞憂なんだと感じさせられた。
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