俺と後輩の眼鏡

フクロウ

no title

「先輩眼鏡に変えたんですか⁉」


 とある高校でのこと。

 帰りのSTが終わり、俺がパソコン部の部室へ行くと、既に到着してた後輩、稲垣がそう言った。

 稲垣は一つ下の二年生で、黒髪のショートヘアが良く似合う女子生徒だ。

 大柄で目つきも悪く、強面で昔から人から避けられていた俺をなぜか慕ってくれている。


「そうだよ。目が悪くなったんだ」


「いつもパソコンばかり見てるからですよ?」


「って言われてもここはパソコン部だからなぁ……」


 俺は部室に置きっぱなしになっている自分のノートパソコンの電源をつけながらそう言った。

 パソコン部でパソコンを使わなくてどうする。


「先輩いつもネットサーフィンしてるだけじゃないですか」


「そう言うお前はいつもアニメ見てばっかりじゃねぇか」


「お互いさまってやつですね、へへ」


 鼻をこすって笑いながらそう言う稲垣。

 パソコン部は、今では部員は俺と稲垣の二人だけになっており、新入部員の勧誘は行っていない。

 来年、稲垣の引退と同時に廃部になるらしい。

 かく言うこの俺は、今日限りでこの部活を引退したりする。

 これからは稲垣たった一人の部活になるのだ。

 他の部活への転部も提案してみたのだが、どういう訳か頑なにこの部活にいたがるのだ。


「先輩いなくなっちゃうんですねー。寂しくなりますね」


「とか何とか言って、部室が広くなるから嬉しかったりするんじゃないのか?」


「まぁ、それはもちろんあるんですけど」


「あるのかよ」


「やっぱり寂しいですよ。先輩といつもみたいにバカな話することもできなくなりますし、それに一人狭い部屋でパソコンずっと見つめてるだけなんて、ただの引きこもりじゃないですか」


「だから俺は転部を勧めたのに」


「やですよ。先輩がせっかく守ってくれたパソコン部、私が最後までしっかりとやり遂げて終わりにしてあげたいんです」


「まったく、どうしてこう変なところで強情かな……ってあれ?」


 俺はパソコンの画面に目を向けて、頭をひねらせる。


「どうかしましたか先輩」


「いや……開かん」


「というと?」


「デスクトップに行かないんだ。いつもはほっとけば行くのに。ずっとポインターがぐるぐるしてる」


「あー、それはまぁ、当然ですよね」


 悪戯っぽい笑みを浮かべる稲垣。

 こいつ、俺のパソコンに何かしたのか?


「先輩のパソコン、五時間後にしか開けないようにロックかけちゃったので」


「何てことしやがる!?」


「だって!」


 急に顔を真っ赤にする稲垣。


「先輩、パソコンがあると自分のことばっかりじゃないですか……」


「……は?」


「同じ部員なんですから、たまには同じことしましょうよ。ね?」


「……はぁ……いつかなんかやらかすだろうと思っちゃいたが……しゃあねえな。最後だし、別にいいか」


 その後俺たちは、稲垣のおすすめのアニメを一緒に見たり、パソコンゲームをしたり、とにかく二人で一緒にできることを第一に考えてパソコンをいじりまくった。

 そして部活の終了時刻……。


「先輩、最後に写真撮りませんか?」


「写真?いや、俺はちょっと……」


 元々顔が怖くて、撮るとヤンキーみたいになってしまう俺は、写真を大の苦手としていた。


「いいじゃないですか最後くらい!」


「ったく、本当にこれだけだぞ?」


 稲垣の構えるスマホに写り込む俺。

 おぉ、これぞまさに美女と野獣。

 てか、なにもないのに稲垣は良く笑えるな。


「先輩、スマイルスマイル!」


「こ、こうか?」


 シャッター音が鳴り響き、出来上がった写真には、無理矢理笑ったせいでますます野獣化した俺と、その顔に笑顔を零してますます美女化した稲垣がいた。


「いい写真が撮れましたね」


「そ、そうか?」


「私、この写真一生大事にします」


「バカ、そんなに重要なものじゃないだろ」


「そんなことないですよ!先輩と私の唯一のツーショットなんですから!」


 顔を真っ赤に染め上げ、夕焼けにその顔を照らされながら必死にそう言う稲垣。


「まぁ……お前がそれならいいけどさ」


 少しばかり照れ臭い。

 さっさと退室したい。


「そ、それじゃ、俺行くから。明日からまた頑張れよ!」


「はい、先輩も、受験頑張ってください」


「あぁ」


 こうして俺は、パソコン部を引退した。


          ☆


 その日の夜、俺は部活の時に開かなかったパソコンを開こうとしていた。

 時間は既に五時間を経過しているので、今度は問題なく開いた。

 が、しかし、


「な、なんだこれ!」


 そこに広がっているのは、俺の知るデスクトップ画面ではなかった。

 いや、内容的には同じなのだが、壁紙が違っていたのだ。

 俺は購入した時からずっとデフォルトのものを使ってきたのだが、今は白地に大きな文字で『I love you!』とピンクで書かれているものに変化していた。


「ど、どーゆーことだこれは」


 見ると、電子メールに通知が一件届いており、俺はそこにポインターを合わせ、クリックする。

 すると、見覚えのあるアドレスからのメールが画面いっぱいに広げられた。


「これは……稲垣?」


『私からのメッセージ、見ていただきましたか? 先輩。直接言うのが恥ずかしかったので、こういった方法を取らせていただきました』


 I love youって……まさか……!

 だとするなら男としては飛び跳ねるくらいに嬉しいぞ。

 特に俺なんか彼女ができたことが無いから、嬉しさは普通の人の倍以上である。

 俺はドキドキした心臓を抑えながら文章の続きに目を通す。


『でも、残念ながら、私は先輩とお付き合いすることはできません。父の転勤で、今日の午後九時の電車で、私は少し遠くに行かなければならないのです』


「なんだと⁉」


『部活を守るなんて嘘言ってすみませんでした。本当はずっと前から決まっていたことなんですけど、先輩と離れるのが嫌で、ずっと言えずに今日に至ってしまいました』


 そんな……。


『これ以上書くとどんどん暗い話になる気がするのでこのくらいにしておきます!とにかく、私は遠くに行きます! 今までありがとうございました! またいつか、お会い出来たらその時はご飯でも行きましょう!』


 そこでメールは終わっている……かのように思えた。

 しかし、よく見るとまだ先はあるようで、俺は一番下までメールをスクロールする。

 すると、最後の行に一文だけ、こう書かれていた。


『最後に……大好きでしたよ!先輩!』


 そこまで読むと、俺は家を飛び出した。

 考えなんかない。

 ただ、稲垣に会いたいという思いが俺を突き動かしていた。

 九時まであと十分はある!


          ☆


 この辺りの人間が使う最寄り駅、T駅に着くころには時刻は既に九時一分前だった。

 俺は走って改札を通り、ホームへ向かうと、たった今電車に乗り込もうとする稲垣がそこにはいた。


「稲垣ぃぃい‼」


「せ、先輩!」


「この大馬鹿野郎‼」


 俺はそう叫び、何を思うでもなく自分の付けていた眼鏡を外して稲垣に放り投げた。

 稲垣は両手で眼鏡をキャッチし、電車に乗り込む。


「その眼鏡! 絶対に返せ! 何があっても、いつか必ず返せ!」


「先輩……! 分かりました! 絶対、必ず返します! だから……!」


 稲垣の声はそこまでしか聞き取れなかった。

 電車の扉が閉まったのだ。

 でも、俺はこの時、稲垣が何を言いたかったのか分かる気がする。

 きっと俺も、同じ思いだから。


          ☆


【十五年後】


「と、言うのが、パパの眼鏡の秘密さ」


 俺は自分の娘に向かって、自分の眼鏡に関するロマンチックな武勇を聞かせていた。


「嘘みたいな話だね。パパがそんな甘い恋できるわけないもん」


「酷いな」


「でも、その話が本当なら、その眼鏡ってどうなってるの?今でもその稲垣って人が持ってるの?」


「いや、その時投げた眼鏡が、正真正銘、今俺が付けてる眼鏡さ」


 俺は眼鏡を取って娘に見せる。

 あの時から十五年、俺は一切視力を落とすことなく成長し、この眼鏡が戻ってきた時もぴったり俺の視力とマッチしていた。


「それってつまり……」


「あぁ、そういうことだ。そういえばお前、あの時なんて言ったんだ?電車が閉まるとき、何か言いかけただろ?」


 俺がそう声をかけるのは、昔と変わらずパソコンでアニメを見ることが日課の妻、後藤夏美。


 旧姓、稲垣夏美。


 夏美は俺の質問を聞こえないフリをしてずっとパソコンを見ているだけだったが、その顔は確かに、あの時部室で見せた顔と同じ赤みを帯びていた。

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