月曜日 2

「今朝、ある生徒の親御さんから、うちの子どもがいじめを受けていると学校に連絡があった。いじめた生徒の名前はおっしゃらなかったが、学校で厳しく指導して欲しいとのことだった」


 椅子に座って北村先生の声を聞く。狭い相談室は、テレビドラマでよく見る取調室みたいだった。

 北村がいかつい刑事で、容疑者はもちろんおれ。


「瀬戸口。お前なにか、心当たりはないか?」


 米倉が親に、やられたことをチクってくれたんだ。

 そう思ったら、なんだかすごく気持ちが楽になった。

 これでもうおれは、米倉をいじめなくて済む。


 でもあいつ、普通に学校来てたよな。よく平気な顔して来れるよな。

 チクったことが伊藤たちにバレたら、よけいいじめられるかもしれないのに。

 あいつもしかして、おれなんかよりよっぽど勇気があるんじゃないのか?


「おいっ、瀬戸口! 聞いてるのか?」

「……聞いてます」


 北村はふうっと息をはくと、両手を机の上で組んで、おれを諭すように言った。


「その連絡のあと、お前のクラスの女子生徒から相談があったんだ。クラスの一部で作っているグループトークに、ある動画が流れてきたと」


 ああ、そういうことか。それで北村はおれを特定したのか。


「トイレの個室に水をかける動画と、教科書に落書きをする動画だ」

「それ……おれです」


 先生だって見たんだろ? そんなにおれの口から言わせたいなら、言ってやるよ。


「おれが、やりました。米倉くんに」


 北村は握ったこぶしをダンっと机に叩きつけた。


「お前はっ! なんでそんなことをしたんだ!」


 なんで? なんでだろう……わかんないや。


「動画を撮ったのは誰だ? 他にも周りにいただろう? 笑い声も聞こえていたよな? 全員の名前を言いなさい」


 うつむいて、唇をぎゅっと噛みしめる。


「仲間をかばって言わないつもりか?」


 そんなつもりはない。あんなやつら、仲間でもなんでもない。

 ただ……もう全部がめんどくさいんだ。



 ドアをノックする音が聞こえた。


「北村先生……」


 おどおどした様子で、担任がドアを開ける。


「瀬戸口くんのお母様がいらっしゃいました」

「えっ」


 思わず声を出して、立ち上がってしまった。

 親を呼んだのか。しかもこういうときに限って、母さんうちにいるんだよな。

 担任と一緒に母さんが入ってきて、北村の前で深く頭を下げる。


「この度は息子がご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」


 それからこっちを睨みつけると、早足で近づいてきて、いきなりおれの頬を平手打ちした。


「永遠! あんたって子は! なに考えてんの!」

「お母さん! 落ち着いてください」


 北村が母さんをなだめる。おれはゆっくりと手を動かして、ぶたれたところをいっかいだけなでる。

 ちょっとひりひりするけど、たいしたことはなかった。さっき伊藤に蹴られた腹のほうが痛かった。


「申し訳ありません! 相手の方のお名前を教えていただけませんか? すぐにでもお詫びに伺いたいのですが……」

「いえ、本人も親御さんも、それは拒否されています。あくまでもいままで通りの学校生活を送れるように、学校側から生徒の指導だけはお願いしますと言われまして」

「でもそれでは申し訳なさ過ぎて……どうか相手の方にお詫びをさせてください」


 必死で北村に迫る母さんを見ていたら、なんだかおかしくなってきた。


「瀬戸口くん! なに笑ってるの!」


 担任が信じられないって顔でおれを見る。その声につられて、母さんと北村もこっちを向いた。

 その瞬間、おれの口から、溜め込んでいた言葉が一気にあふれ出した。


「だって、母さん必死すぎでしょ。お詫びとか言ってるけど、米倉の親に口止めしたいだけだろ? テレビであんだけえらそーなこと言っといて、自分の息子はいじめの加害者でしたとか、すっげー笑えるもんな」

「瀬戸口くん! あなたお母さんになんてこと……」

「お母さん? お母さんだったら、息子がしてることくらい気づけよ。自分が楽しんでやってること、息子にとっては迷惑なんだって、そんくらい気づけよ!」

「永遠……あんたなに言って……」

「永遠なんて、クソみたいな名前つけんな! 朝飯も作らねーくせに、こういうときだけ母親面すんな! 父さんと口もきかないのに、夫婦円満とか嘘ばっかりしゃべるな!」


 あー、なに言ってんだ、おれ。もう頭ん中、めちゃくちゃだ。


「永遠っ! いい加減にしなさい!」

「いい加減にするのはそっちだろ! うぜぇんだよ! あんたなんか死……」


 ねばいい。

 その言葉を言いかけて、口元を両手で覆った。


「瀬戸口くん?」


 そのままうずくまるおれに、担任と北村が駆け寄ってくる。


「瀬戸口? どうした?」

「ううっ……」


 呻き声と一緒に、胃液みたいなのが体の中から逆流してくる。

 食べ物なんてずっと口にしてないのに。気持ち悪い。手が震える。


「は、吐きそう……」

「えっ」

「だ、大丈夫! 瀬戸口くん!」


 大丈夫なんかじゃなかった。指導室の中で、先生たちの前で、おれはみっともなくゲロを吐いた。

 母さんは突っ立ったまま、そんなおれのことを黙って見下ろしていた。



 保健室に連れていかれて、無理やり寝かされた。そしたらちょっと気分も良くなって、そのままぐっすり眠ってしまった。


 起きたら保健室の先生に「最近眠れてた? ご飯ちゃんと食べてる?」と聞かれた。


 そういえば最近、全然眠れてなかったな。いろんなことを考えると怖くて、眠れなかったんだ。

 ついでに食欲もなかったから、もう何日もスナック菓子しか口にしていなかった。


「それ、お母さんは知ってるの?」


 母さんが知るはずない。最近あのひとと、まともに話なんかしていないから。


 少しすると母さんが、おれのリュックを持ってきた。憔悴しきった顔つきで。おれが眠っているあいだ、北村先生と話をしていたらしい。


「今日はこのまま帰るわよ」


 言うとおりにベッドから降りて、リュックを背負う。保健室の先生に頭を下げて、校舎を出る。

 いっぱい眠った気がしたけどまだ午前の授業中で、母さんの運転する車のエンジン音だけが、静かな学校にやけに大きく響いた。



 家に着くのと同時に、父さんが慌てて帰ってきた。

 おれは部屋に入って服を着替えて、父さんと母さんはリビングでずっと話し込んでいた。


 ベッドにごろんと横になったらまた眠ってしまって、何度か母さんに声をかけられた気がしたけど起きられなかった。そしてやっと目が覚めたとき、外はもう暗くなっていた。


 おれは病気かな。きっと病気だな。これからどうなるんだろう。明日からどうなるんだろう。もうきっと、あの教室へは行けない。

 真っ暗な部屋の中で、そんなことを考えていたら、いろんなひとの顔が浮かんできた。


 母さんの青ざめた顔。父さんの大慌ての顔。

 北村の怒った顔。担任の不安そうな顔。

 伊藤のおれを見下ろす顔。その隣で笑う溝渕の顔。

 米倉のおれを見上げる顔。

 おれのことをカッコよかったって言ってくれた茜の顔。

 真っ赤になっておれを睨みつける蝶子の顔。


 その全員がおれのことを責めているような気がして、また体が震えてきた。

 やっぱりおれは病気だ。きっと頭がおかしい。


 ベッドから降りて、机の引き出しを開ける。ずっと無視していたスマホを、震える手でつかむ。

 画面を開くと、未読のメッセージが大量に溜まっていた。

 やっぱり怖くて、それは見ることができなくて、また引き出しに入れようとして手を止めた。


 なんとなく思い出したのは、なっちゃんの顔。


『永遠はまだまだ変われるよ。これからまだ、どんなやつにだってなれる』


「なっちゃん……」


 ほんとかな。こんなおれでも、まだ変われるのかな。

 でもなっちゃんに言われたら、少しだけそんな気もしてくる。


 手に持ったスマホを見つめたあと、なっちゃんへのメッセージを入力した。


『明日遊びに行くよ』


 窓を開けてスマホを夜空にかざす。空に少しだけ欠けた明るい月が見える。

 なっちゃんにこのメッセージを届けよう。迷惑がられても絶対行く。もう決めたんだ。

 バイクがなくても、この足があれば行けるから。


『いつでもおいで。待ってるから』


 なっちゃんが、そう言ってくれたから。


 夜空に向かって送信する。

 今日は月曜日。なっちゃんが蝶子の家に来る日。


 夜の空気をすうっと吸い込む。どこか遠くで救急車のサイレンが聞こえる。

 だけどなっちゃんからの返事は、いつまで待ってもくることはなかった。

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