月曜日 1

「母さんは?」


 月曜日。ネクタイを締めている父さんの背中に聞く。


「ああ、まだ寝てる。昨日遅かったみたいだ」

「ふうん」


 冷蔵庫を開けて、中をのぞき込む。


 三者面談の予定、そろそろ答えないとまずいかな。ま、いっか。あの担任、忘れてるみたいだし。

 空っぽの冷蔵庫をながめたあと、ドアを強く閉めた。

 なんにも入ってねぇじゃん。買い物くらいしとけよ。


 時計を見てから、窓の外に視線を移す。垣根の向こうを、黒い髪の制服を着た女が駆け抜けていくのが見えた。

 今日は早いんだな、あいつ。完全におれを避けてるな。

 どさっとソファーに沈み込み、リモコンでテレビをつける。


「昨日、中学校の三階の窓から二年生の男子生徒が転落した事故ですが、警察はこの生徒が飛び降り自殺を図ったとみて……」

「永遠? いたの?」


 振り返るとパジャマ姿の母さんが、眠そうな顔でおれの後ろに立っている。


「お父さんは?」

「もう出た」

「そう。あんたも早く学校行きなさい」


 そう言って歩きかけ、ふとテレビに視線を移す。


「いやねぇ、中学生が自殺? またイジメかしらね」


 母さんの声が胸に刺さる。おれはリモコンでテレビを消して立ち上がった。


「行ってくる」

「ああ、行ってらっしゃい」


 リュックを背負ってちらりと振り返ると、寝室に入っていく母さんの背中が見えた。



 学校に着いて靴を履きかえる。ざわつく廊下に一歩足を踏み出すたび、少しずつ教室に近づいていく。


 教室……行きたくねぇ……

 このまま荷物を投げ捨てて、どこまでも逃げ出したい気分だ。


「おっ、永遠じゃん!」


 教室に入る手前で伊藤につかまった。伊藤はおれの肩を抱え込んで、耳元でしゃべりかけてくる。


「金曜の夜さぁ、米倉のやつ、バックれやがってよ」


 伊藤の言葉に、どこかほっとする自分がいた。

 そうか。あいつ、行かなかったのか。


「マジムカつくと思わねぇ? あいつ何様のつもりだよ」


 伊藤に連れられるように教室に入る。


「……そうだな」


 つぶやいたおれの目に、廊下側の席に座る米倉の姿が見えた。

 いつもみたいに、ちっちゃく縮こまるように、背中を丸めてそこにいる。

 あいつ、なんでいるんだよ。学校来るなって言ったのに。伊藤たちのいうこと聞かないで、それで学校なんか来たら、なにされるかわかんねーだろ。


「でもさ」


 そんなおれの耳に、伊藤がささやく。


「もういいんだわ。あんなやついじっても、なんの反応もないからつまんねーし」

「え?」


 思わずつぶやいたおれの前で、伊藤が歪に口元をゆるめる。


「もっとイジメがいのあるやつ見つけたから、そっちのほうがおもしろそうだわ」


 ははっと乾いた笑い声が聞こえたかと思ったら、背中をドンッと突き飛ばされた。


「いって……なにすんだ……」


 床に手と膝をついて顔を上げる。いつの間にか溝渕や他の仲間がおれのことを囲んでいる。


「永遠ぁ。お前いつから米倉の味方になったわけ? 米倉におれたちの悪口言ってただろ?」

「い、言ってねーよ。そんなこと……」

「言ってただろ! 知ってんだよ、こっちは!」


 金曜日の放課後のこと……誰かが見ていたのか?


「いじめられてるやつ、こっそり助けて、ヒーロー気取りか?」


 伊藤が冷たい目で、おれを見下ろしながら言う。


「親が有名人だからって、調子乗ってんじゃねぇよ! 死ねっ!」


 伊藤の足が思いっきり振り上がって、そのままの勢いでおれの腹を蹴った。

 ずしんと体の奥まで抉られて、吐きそうになる。



「瀬戸口くん! いる?」


 遠くで声が聞こえた。担任の女の声だ。なんでかわかんないけど、おれのことを探している。もしかして三者面談のことかな、なんて、ぼうっとした頭で考える。


 周りのみんながさっと散らばっていく。伊藤が制服をつかんで、おれの体を乱暴に引っ張り上げた。


「チクったら殺すからな」


 足をもう一度、蹴飛ばされる。


「もう永遠、オワッタな」


 溝渕がひゃひゃっと笑ってから、手を上げる。


「せんせー、瀬戸口くんならここにいますよー」


 黙って突っ立っているおれを見つけて、担任が青白い顔で駆け寄ってきた。


「瀬戸口くん! あなたは……」


 なにか言いかけた担任が、ぎゅっと唇を結び、おれを廊下に連れていく。


「相談室で北村先生が待ってるから。すぐに行きなさい」

「え?」

「わたしもあとで行くから。早く行きなさい」


 相談室……北村先生……この学校で一番怖い、生徒指導の教師だ。

 背中に嫌な汗が流れてくる。

 担任にせかされ、長い廊下をひとりで歩く。


『もう永遠、オワッタな』


 溝渕の気持ち悪い笑い声が頭をぐるぐる回って、気分がますます悪くなる。

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