水曜日 2

 基本的に学校はつまらない。

 退屈な授業。面倒な行事。くだらない説教。

 その中でみんな、面白いことを探している。面白いターゲットを探している。


「瀬戸口くん」


 部活なんかやってないから、今日もさっさと帰ろうとしたら、担任教師に呼び止められた。今年の担任は新任の女教師だ。


「三者面談の希望表、まだ出してないの、瀬戸口くんだけなんだけど」

「あー……」


 たしかそんなのあったっけ。丸めてゴミ箱に捨てたけど。


「あれ、親来ないとダメなんすか?」

「ええ。親御さんともね、お話させていただきたいから」


 先生が申し訳なさそうな顔をして言う。


「瀬戸口くんのお母さん、忙しいでしょうけど、お願いしておいてね?」


 うちの親がちょっとした有名人だってことは、先生も友だちも知っている。

 それってすっげー、迷惑なんだけど。


「わかりました」


 めんどくさいからそう答えたら、先生は安心したようにうなずいて、おれの前から去っていった。

 大丈夫なのかな、あの先生。頼りなさすぎて、心配になる。


 リュックを肩に掛け直して、また廊下を歩き出したら、階段の上のほうから笑い声が聞こえてきた。

 あの下品な笑い声は溝渕のだ。この上は特別教室しかなくて、放課後は使われていない。どうせまたくだらないことをやっているんだろう。


 あいつらと付き合うのもいい加減面倒になってきたから、さっさと家に帰ろうと足を速めたら、階段の上から転げ落ちるようにして誰かがぶつかってきた。


「いって……」


 よろけて思わず転びそうになる。


「なにすんだ……」


 叫びそうになった声が、ひゅっと止まる。いまにも泣き出しそうな顔で、おれを見上げているのは、米倉宙翔。


「おーい、米倉! 忘れもん!」


 伊藤の声だ。それと同時に、階段の上から制服のズボンが投げられ、おれの足元にぱさりと落ちた。


「あっ、永遠じゃん。いいとこにいた」


 米倉が屈みこんで、おれの足元のズボンをひったくった。そしてそのズボンで前を隠すようにして、そばにあったトイレに駆け込んでいく。


「……なにやってんの?」


 上から降りてきた伊藤に聞く。なんでもないような顔をして。


「米倉くんと遊んでたんだよ、なぁ?」


 伊藤が一緒に降りてきた溝渕に同意を求める。


「そうそう。米倉喜んでたぜ。永遠も遊んでやれよ」

「ああ……」


 トイレを見ながらつぶやいたおれの肩を、伊藤がぽんっと叩く。


「あ、でも無理しなくていいぞ? やっぱこういうのヤバいだろ? お前のかーちゃんにバレたら」

「あー、そういえばこの前、永遠のかーちゃんテレビで観たぞ! すげーな、有名人じゃん! 有名人の息子がイジメとかヤベーか!」


 溝渕がひゃひゃひゃって、いつもの声で笑っている。


「そうそう。お前はもう、おれたちとは違うんだからさ」


 伊藤がもう一度おれの肩を叩いて、意味ありげに笑った。


 わかってる。こいつらの言いたいことはわかってる。

 伊藤と溝渕は中学になってから、おれのことをちょっと違う目で見るようになった。

 小学生のころは、いつも三人一緒にふざけ合っていたのに。


 永遠は仲間なのか。それとも違うのか。

 おれを試すように、いちいち挑発してくる。


 だらんと垂れた腕を持ち上げて、肩に置かれた伊藤の手を振り払った。


「米倉ぁ、逃げんなよ!」


 自分の口からあふれる言葉に、反吐が出そうだ。

 でも言わないと。あんな母親の子どもなんて、好きでやってるんじゃないって、おれはみんなと同じなんだって、そう証明しないと。


 次は絶対、自分がやられる。


「隠れてないで出てこいよ!」


 怒鳴りながら、トイレに向かう。

 伊藤と溝渕が、ゲラゲラ笑いながらついてくる。


 ひとつの個室が閉まっていた。きっとこの中で、ズボンを脱がされた米倉が怯えている。

 誰か助けてって。ヒーローに助けを求めて。でもそんなの来ないってわかってて、きっと泣きながら震えている。


「ここにいるんだろ? 早く出てこいって!」


 ドアを乱暴に蹴飛ばして、しゃべったこともない米倉に話しかける。答えなんか、返ってくるはずない。

 おれはヒーローでもなんでもない。ただの悪役なんだから。


 水道の蛇口を力任せにひねった。そばにあったバケツに水をためる。


「ヤベっ、マジかよ」


 伊藤のひねくれた声と、溝渕のヘラヘラした笑い声が背中に聞こえる。


 水のたまったバケツを持ち上げた。重くて、手が痛くて、このまま自分の頭からぶっかけたくなる。


「早く出てこいって言ってんだろ!」


 トイレに響く自分の声。

 ああ、もううんざりだ。早く終わらせて家に帰りたい。


 おれはバケツを思いっきり持ち上げると、ドアの上の隙間から、勢いよく水をぶっかけた。


「やった!」

「マジか?」


 背中に声を聞きながら、空になったバケツを床に落とした。ガランと大きな音を立てて、バケツが床を転がっていく。


 個室の中はなにも音がしない。かすかにすすり泣く女みたいな声が聞こえてくる。

 泣きたいのは、こっちのほうだ。


「うぜぇんだよ。死ねっ!」


 胸の中のもやもやを、言葉と一緒に吐き捨てる。

 バカじゃねぇの? 死ねばいいのはこっちのほうだ。


「いいね」


 伊藤の声が聞こえて振り返る。


「この動画、上げよう」


 ひやっと背筋が寒くなった。

 いつの間にか伊藤が、スマホをこちらに向けていた。


「大丈夫だって。仲間にしか回さねーから。顔だって映ってねーし」


 顔がなくてもわかるだろ。どう考えたって、おれだって。後ろ姿、ばっちり映ってるし。


「それとも怖い? かーちゃんにバレるの」


 伊藤がにやっと意地悪く笑った。溝渕もその隣で笑っている。

 おれは爪が食い込むくらい強く、右手を握りしめた。


「べつに。好きにすれば?」

「おっし。じゃ、投稿っと」


 こいつらバカだ。だけど一番バカなのは、このおれだ。


 個室の中は静まり返っている。おれは拾ったバケツをそのドアに叩きつけると、伊藤たちを残してトイレを出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る