水曜日 1
「ちょっと聞いてよ、茜ー」
教室に入ると、同じクラスの
「わたし……西沢先輩にフラれちゃったよぉ」
「え?」
立ち止まったわたしに、愛美がぎゅっと抱きついた。ピンクのシュシュのついたポニーテールが、ぴょこんっと揺れる。
西沢先輩というのは、バスケ部の三年生で愛美の好きなひと。ずっと相談に乗っていて、「告白してみたら?」と背中を押したのはわたしだった。
「先輩、好きな子がいるんだって」
「そうだったの……ごめんね?」
わたしの言葉に、愛美がきょとんとした顔をする。
「なんで茜が謝るの?」
「だってわたしが『告白してみたら?』なんて言っちゃったから」
好きな子がいるかどうか、愛美が告白する前にちゃんと調べておくべきだった。きっと愛美は傷ついただろう。
すると愛美がぶるぶると首を横に振る。
「そんなことないよ! わたし告白してよかったと思ってる。結果フラれちゃったけど、想いは伝えられたもん」
わたしは愛美の顔を見る。愛美はにこっとわたしに笑いかける。
「ありがとう。茜のおかげでスッキリしたよ」
そんなふうにお礼を言われるようなことはしていないけど。
「ねぇ、茜は好きなひといないの?」
「え?」
「お礼にわたしも茜の力になりたいよ」
愛美の言葉に首を振る。
「わたしはそんなひと、いないから」
「なんでー、もったいない。茜みたいな美人が告白したら、誰だってオッケーだと思うのに」
「そんなことないよ」
「ねっ、好きなひとできたらすぐわたしに教えてね? なんでもわたしに話してね?」
わたしは苦笑いしながら、うんうんとうなずいて自分の席に向かう。
周りの女の子たちが「おはよー。茜」と声をかけてくれる。
「ねぇねぇ、茜、聞いてくれるー?」
また別の子がわたしに声をかけてきた。今日もわたしの周りには、悩み多き女の子たちが集まってくる。
わたしは小学生のころから、こんなふうにみんなから頼られていた。わたしもみんなの悩みを聞いたり、アドバイスをしてあげたりするのが好きだったから、それは全然苦ではなかった。
だけどわたしは自分のことになると、さっぱりダメなんだ。
なにも自分で決められない。いままでずっと、お母さんの言うとおりに生きてきたから。
「茜、塾に行ってみたら?」
「茜、中学受験してみない?」
「茜、第一志望はこの学校にしましょう」
なんでもお母さんの言うとおりに。
ただひとつ、スイミングスクールだけは、自分からやりたいと言ってはじめた。小さいころから、泳ぐことが好きだったから。
お母さんも、「体力がつくから」と大賛成で習わせてくれて、わたしはどんどん上達した。大会で良い成績を残すこともでき、それがとても嬉しくて、ますます泳ぐことが好きになった。
でも五年生になると、お母さんに言われてしまった。
「茜、そろそろスイミングはやめましょう。塾が忙しくなるからね」
そのあとお母さんは続けて言った。
「大丈夫。第一志望の学校に合格したら、水泳部に入ればいいのよ。屋内プールもあるんですって」
だったらいいかなと思った。わたしは中学校のプールで泳ぐ夢を見た。
だけど受験当日、わたしは熱を出してしまい、試験会場で頭が真っ白になった。いままで解けていた問題がまるでわからなくなり、お母さんの顔ばかりが浮かんできた。
塾の先生からも、お母さんからも、茜の成績なら絶対受かると言われていた学校だったのに。
そのショックを引きずったまま受けた第二志望の学校の試験も、わたしは実力を出すことができず……結局両方とも、不合格。
わたしは水泳部のない、この公立中学校に入学した。
授業が終わると、わたしは素早く荷物をまとめて教室を出る。
「茜ー、帰っちゃうの?」
「ねぇ、わたしたち図書室に寄っていくんだけど、茜もどう?」
「あ、ごめんね。チョコを迎えにいかないと」
蝶子――わたしは親しみを込めて「チョコ」と呼んでいる――は小学校からの親友だ。小学四年生でわたしが転校してきたとき、最初に話しかけてくれた子。
本当は人見知りなくせに、わたしがずっとひとりでいるのを心配して、思い切って声をかけてくれたそうだ。
蝶子は教室の中でいつもじっとしているけれど、周りのことをすごくよく見ていて、ひとの気持ちを考えてあげられるやさしい子なんだ。
わたしは毎日必ず、そんな蝶子と一緒に帰る。蝶子といると、なんだかすごく安心できるから。
「茜、三者面談の希望日、いつにした?」
靴を履きかえているとき、蝶子が聞いてきた。
「進路のこととか聞かれるんだって。親と一緒に」
進路か……わたしはきっと、お母さんの言うとおりの高校へ進学するんだろうな。大学も就職先も、お母さんの言うとおり。きっと結婚相手も、お母さんに決めてもらうのかもしれない。
「わたしさ、なりたいものも、やりたいことも、なんにもないんだよね」
わたしは小さく息をはく。
「将来の夢も希望もなくてさ。わたしってなんのために生きてるんだろうね」
「そんなの……わたしだってないよ」
蝶子はそう言うけれど。
「だったらさ、生きてる意味なくない? わたしなんかもう、明日死んじゃってもよくない?」
なんだか最近そう思うんだ。
「死にたい……」
夢でいつも見る青い空。水の中にぶくぶく沈みながら、わたしは水面の向こうの空を見上げる。
この場所からは、決して見ることのできない美しい景色。
「わたしは嫌だな。死ぬのってきっと痛いか苦しいよ。わたしそんなの嫌だもん」
蝶子が言った。たしかに水の中は苦しいだろう。窒息して死ぬまで、どのくらいの時間がかかるんだろう。
「そうだね。わたしも痛いのも苦しいのも嫌。苦しまないで死ぬ方法ってあるのかな? 今度ネットで調べてみよ」
わたしが言うと、蝶子はあきれたように顔をしかめていた。
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