水曜日 2

「お父さーん! 塩持ってきて、塩!」

「もらってきたんじゃなかったのか?」

「出すのが面倒なのよ。台所の塩でいいから!」


 お母さんが玄関の前で騒いでいる。お父さんが台所から料理で使うお塩を持ってくる。


「どうだった? お通夜」

「もう親御さんがかわいそうで……自慢の息子さんだったでしょうに」


 お母さんがわたしの制服に塩をまきながら言う。


「でもやっぱりちょっと責任感じちゃうよね。うちにくる途中だったんだもの」

「運が悪かったんだよ。車同士の衝突に原付が巻き込まれるなんて」

「いい子だったのにねぇ……」


 お父さんとお母さんが家の中へ入っていく。わたしも黙ってそのあとに続く。


「ねぇ、なにか食べるものある? お腹すいちゃったわ」

「カップラーメンくらいしかないよ」

「あら、コンビニでなにか買ってくればよかったかしら。ねぇ蝶子、ちょっとコンビニ行ってきてくれない?」


 わたしはお腹なんてすいていない。お母さんはどうしてご飯なんか、食べる気になれるんだろう。


「わたしは……いらない」


 お父さんとお母さんの前を通り過ぎ、わたしはおばあちゃんの部屋へ入る。


「蝶子、ショックだったんでしょうね」

「当たり前だ。そっとしておいてやろう」


 閉めた襖の向こうから、ふたりのひそひそ声が聞こえて、わたしは小さく息をはく。



「おばあちゃん……」


 おばあちゃんは背中を向けて横になっていた。今日も掛布団が畳の上に落ちている。

 いつもと同じ光景。窓からは、淡い月明かりが差し込んでいた。

 わたしは膝をつき、おばあちゃんのベッドにもたれるようにして目を閉じる。


 きっとこのあと、わたしはお風呂に入って、自分のベッドで眠るんだ。

 明日になればご飯を食べて、学校へ行って授業を受ける。

 永遠はいつものように騒ぐのかな。放課後になれば茜が廊下で待っている。


 いつもと同じ毎日の繰り返し。だけど毎週月曜日に、わたしはきっとなっちゃんのことを思い出す。


『世界は変わらないかもしれないけど、チョコちゃんのお父さんとお母さんの世界は変わるよ。それにおれの世界も……きっと変わる』


 わたしの世界も変わってしまった。なっちゃんが欠けたら、わたしのパズルは一生完成しない。


 ベッドの上で、おばあちゃんが動いた。ゆっくりと首を動かし、わたしの顔を見る。


「おかえり、ハナちゃん」


 おばあちゃんはやっぱり、わたしとお姉ちゃんを間違える。


「ちがうよ、おばあちゃん……わたしは蝶子だよ」


 乾いた唇を動かしてつぶやく。なぜか涙がつうっとこぼれて、おばあちゃんのカサカサな手の甲に落ちる。

 おばあちゃんはわかっているのかいないのか、わたしの顔を見ながらにこにこと笑っている。


 ごめんね、なっちゃん。やっぱりわたし、わかんないや。


『いなくなってもいい人間なんて、この世にはいないんだよ』


 わたしのことを忘れちゃって、ひとりでなにもできないおばあちゃんが、生きていく意味ってあるのかな。

 わたしもこれから歳をとって、おばあちゃんみたいになったとき、わたしの生きていく意味ってあるのかな。


 わかんない。わかんないけど……なっちゃんはもう答えてくれない。

 なっちゃんはもう、この世界のどこにもいない。


 わたしは明日から、なっちゃんのいない世界で生きていく。

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