金曜日
「おはよう」
「おはよ、蝶子。早く食べないと遅刻するよ」
翌朝、制服を着て台所に入ったわたしにお母さんが言う。
お母さんはガチャガチャと大きな音を立てながら、食器を洗っている。
もっと静かに洗えないのかな。お皿割れるよ。
そんなことを考えながら、居間を見る。
昨日のごちゃごちゃは嘘のようにスッキリ片付いていて、お父さんがネクタイを締めながらテレビを観ていた。
「おっ?」
なにかに気づいたお父さんが、お母さんを呼ぶ。
「おい、ちょっと観てみろよ。これ、瀬戸口さんちの奥さんじゃないか?」
お母さんが水道をキュッと止めて、「なになに?」と居間に行く。
それより昨日のことはどうなったんだろう。
夜遅くまで、お父さんとお母さんが話していたのを知っている。たぶんきっと、おばあちゃんの話。
お父さんもお母さんも、それについてなにも言わない。
わたしには関係ないって思っているの? わたしが子どもだから?
「あら、ほんとだ。ちょっと蝶子! 永遠くんのお母さんがテレビに出てるよ!」
わたしは椅子に座ったまま首だけ動かし、居間のテレビを観たけど、正直そんなことどうでもよかった。
お母さんがリモコンでボリュームを上げる。
永遠のお母さんは「夫婦円満と子育ての関係」とかいう話を、テレビの中ではきはきとしゃべっていた。
「いいよねぇ……好きなことができるひとは。キラキラしてて」
お母さんがうらやましそうにそう言って、お父さんは「いってくるよ」と逃げるように家を出て行く。
わたしはひとりでご飯を食べる。なんだか全然味がしない。お母さんはまだテレビを観ている。
「ごちそうさま」
箸を置くと立ち上がって、わたしは台所を出た。
今日も茜を誘って学校に行き、ただじいっと授業を受ける。
あと五時間、あと四時間、あと三時間……心の中でカウントダウンしながらノートをとる。
騒がしい教室でお弁当を食べて、持ってきた文庫本を読むふりをしながら、長い昼休みをやり過ごす。
もうすぐ午後の授業がはじまる。はやく、学校終わらないかな。もう帰りたい。
「キモいんだよ、お前! さっさと死ねよ!」
ちくんと背中に棘が刺さった。
文庫本を持つ手が止まる。
また永遠だ。誰かに向かって言っている。
なんでだろう。なんであいつの声だけ、こんなに反応してしまうんだろう。
そっと斜め後ろを振り返る。机の上に腰かけて、数人の男子と一緒にいる永遠と目が合った。
「こっち見んなって言っただろ?」
あんただって見てるじゃん。
「うぜぇんだよ、蝶子。死ねっ」
ガタンっと椅子と机がぶつかる音がした。それはわたしが立ち上がった音だった。
周りの視線がわたしに集まる。だけどわたしは背中を丸めず、そのまま永遠のいるところへ歩く。
「な、なんだよ?」
一瞬ひるんだ永遠の、白いシャツの襟元をぐっとつかみ上げた。
「なんでそんなこと言うのよ!」
あまりにも大きなわたしの声に、そばにいた男子たちが驚いた顔をする。だけど一番驚いたのはわたしだ。
でも永遠の襟元をつかんだまま、わたしの言葉は止まらない。
「そんなこと言ったら、相手が傷つくってわかんないの!」
永遠はわたしの顔を見つめて、固まっている。
「あんたには心がないんだ!」
握った手に力を込め、永遠の体を思いっきり突き飛ばす。永遠はバランスを崩して、机の上から転げ落ちた。
教室の中が凍りついたように静まり返る。周りの男子も、床にしりもちをついた永遠も、たぶんクラスにいるみんなも、わたしのことを見ている。
わたしはぎゅっと唇を結ぶと、そのまま教室を飛び出した。
次の授業が始まるチャイムが聞こえたけれど、廊下を走って靴を履いて、荷物も持たずに家まで駆け抜けた。
アンタニハココロガナインダ。
我ながら、ものすごい名ゼリフ。
あのときの永遠の、口をぽかんと開けたマヌケな顔。思い出すだけで笑える。
「蝶子? 入るよ?」
お母さんが部屋に入ってきた。そして制服のままベッドの上に転がっているわたしを見て、大きなため息をつく。
「いま、先生から電話があったよ。あんた昼休みに、無断で飛び出してきちゃったんだって?」
わたしはくるんと、お母さんに背中を向けた。
「男の子ともめたって先生言ってたけど……あんた教室で喧嘩したの?」
いまはなにも言いたくない。聞きたいなら永遠に聞いてよ。
わたしが黙っていたら、お母さんはまたため息をついて、「お父さんに相談しなきゃ」なんて言いながら部屋を出て行った。
お父さんと相談って……なんの相談をするのよ。わたしがなにをしたって言うのよ。
クラスの男子の胸ぐらをつかんで、突き飛ばした問題児――認定。
あほらし。悪いのは、あいつのほうじゃん。
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