木曜日 2

 今日は茜に「委員会活動があるから先に帰ってて」と言われて、ひとりで家に帰った。


「ただいまぁ」


 居間をのぞくと、そこは大変なことになっていた。


「……なに、これ」


 ちらばった服。落ちている置物。割れた湯呑み。

 そこは泥棒にでも入られた……いや、きっとそれ以上にぐちゃぐちゃに荒れた部屋になっていた。


「すごいでしょ? さっきお母さんがキレたんだよ」


 その声に後ろを振り返る。めずらしく家にいたお姉ちゃんが、うんざりした顔で腕を組んで立っている。


「お母さんがキレた?」

「そ。おばあちゃんがまたデイサービス行くの嫌がって、お母さんが怒ったの。そしたらおばあちゃんが大声で騒ぎ出してさ、近所のひとたちが何事かと集まって来ちゃって」

「じゃあこれ、おばあちゃんが?」

「違う違う」


 お姉ちゃんが足元に落ちている服を、つま先で払いながら言う。


「そのあとお母さんが、『わたしが虐待でもしてるみたいに思われたじゃない!』って逆ギレしてさ、ひとりで大暴れしたんだよ」

「じゃあこれ……お母さんがやったの?」

「そういうこと。『もう死ねばいい!』なんて恐ろしいこと口走りながらさ。ヤバいよね、お母さんも。頭冷やしてくるって言って、出て行っちゃったけど」


 ふうっとお姉ちゃんがため息をつく。

 モウシネバイイ。

 その言葉に、背筋がひんやりと寒くなる。


「そんなに大変なら、おばあちゃん施設にでも入れちゃえばいいのに。まぁ、そんなお金、うちにはないから仕方ないのかな」


 わたしがお姉ちゃんをちらっと見ると、お姉ちゃんはわたしの肩をぽんっと叩いて言った。


「ま、そういうわけで。わたしは出かけてくるから、おばあちゃんよろしく」

「えっ、なにそれ」

「わたしバイトなの。あんたはヒマでしょ」


 ニッと笑ったお姉ちゃんがさっさと家を出て行く。


「ちょっとぉ!」


 バタンとドアが閉まる音。

 ずるい。いっつもなんにもやらないで、偉そうに。


 わたしはぐちゃぐちゃの部屋の中にリュックをぼんっと投げ捨てると、奥にあるおばあちゃんの部屋へ行った。



「おばあちゃん」


 おばあちゃんはわたしに背中を向けて、ベッドに横になっている。掛布団がずるりと畳に落ちて、はだけたパジャマから背中が丸見えだ。


「おばあちゃん、お母さんと喧嘩したんだって?」


 おばあちゃんはわたしの言葉に答えない。

 わたしの声、聞こえているのかな? またお姉ちゃんと、思っているのかな?

 そんなことを考えていたら、おばあちゃんの声がぽつりと聞こえた。


「情けないねぇ……」


 おばあちゃんの声は、しわしわに枯れていた。


「もう死んじゃいたいよ……」


 わたしは黙って、だらしないおばあちゃんの背中を見つめる。


 歳をとっても、いつも綺麗にしていたおばあちゃん。

 小学校低学年のころ、お母さんの代わりにおばあちゃんが授業参観に来てくれたことがあったけど、全然恥ずかしくなかった。むしろおしゃれなおばあちゃんが、わたしの自慢だった。


 それなのにいまは……


 カチャっと玄関のドアを開く音がした。お母さんが帰って来たんだ。

 わたしは畳の上に落ちている掛布団を拾って、おばあちゃんの背中に掛ける。


「またあとで来るよ、おばあちゃん」


 それしか言葉は出なかった。ただ喉の奥がひりひりと痛かった。


 わたしも歳をとったら、こんなふうになるのかな。

 自分で体を動かせないで、トイレにも行けなくて、ご飯もひとりで食べられなくて……死ねばいいなんて言われちゃうのかな。

 もう死んじゃいたいって……思うのかな。


『いなくなってもいい人間なんて、この世にはいないんだよ』


 なにも言わないおばあちゃんを見下ろしながら、わたしはなっちゃんの言葉を思い出していた。

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