4.適合者

 本来道ではない繁みの中に足を踏み入れ、落ち葉や木の枝を踏みしめながら標的の方へと移動する。地面を殴りつけている男は、二人に気付く様子はない。見たところはミトウ達とそう変わらない年齢のようだった。浅黒い肌に細く血管が浮かび上がり、膨張した四肢に土がついている。ガスマスクをつけていない口元は真っ赤に爛れていた。


「……カナリヤが」


 アオイがふと呟き、ガスマスクの装着具付近にあるスイッチをオフにした。いつの間にか鳴っていた、小鳥の囀りのような音が消える。毒ガス探知用の装置「カナリヤ」は標準的に備わっているものだった。


「切り忘れた」

「そういやそれって、なんで「カナリヤ」って言うんだ?」

「大昔に、カナリヤって鳥がいたんだよ。毒ガス探知機として使われてたんだって」

「だからそんな音がするのか」

「みたいだね。でも実際には、鳴かなくなると毒ガスが発生してるってサインだったらしいよ」

「可哀そうに」


 心にもないことをミトウが言った時だった。それまで一心不乱に地面を叩いていた男が、ふとその手を止めたと思うと、血走った眼を二人へ向けた。爛れた口元を歪ませるように笑い、ミトウを、アオイを、交互に見る。


「今、俺を笑ったか」

「いんや? 大昔に絶滅した小鳥の話してただけ」

「そうそう、鳥さんのお話」

「笑ったな。お前ら、あの女と同じだ。俺のことを馬鹿にしてやがる!」


 突如として興奮した声を出した男を前にしても、二人は怯えるどころか驚きすらもしなかった。適合者にも様々な種類がいるが、最も恐ろしいのは知能が高く理性をコントロール出来るタイプである。必要以上の毒は摂取せず、自らの利益を計算しているような人間こそが脅威であり、ただ適合者になったことに酔っているような人間を恐れる必要はない。


「何だよ、失恋して死のうとして毒吸ったパターンか」

「それで適合者として目覚めた、ってとこ? 偶に似たようなの見るけど、折角力を手に入れたなら、エリア1の瓦礫撤去でも手伝ってよ。桜の木で遊んでないで……」


 呆れたように言うアオイの言葉は最後まで続かなかった。男は獣の唸るような声を上げると、二人に向かって突進して来た。毒によって隆起した腕を振り上げて、地面へと叩きつける。植物の栽培に必要な土や熱伝導パネルが弾き飛ばされて四方に散った。


 ミトウは透明なロッドを一振りしてカタナへと変化させる。その横でアオイは両の拳に金属製のナックルを装着しながら、構えを取った。義肢屋であるアオイに本来武装は必要ない。だが、日頃から毒漏れで体の一部を欠損した動物を探し回っていることが原因で、治安の悪い場所に入り込んだり、適合者に遭遇することも多い。ナックルはアオイが自ずと身に着けた自衛の一部だった。


「いつものように挟み撃ち?」

「サムライっぽくなくて好きじゃないが、このままじゃ桜も薔薇も被害を被りそうだし仕方ないな」


 ミトウは少し早口に言うと、カタナを右下から振り上げた。目に見えない軌跡が風切り音と共に男の右腕に食い込む。しかし、鋼のように固くなった筋肉はその刃が奥まで入るのを許さなかった。手首から肘にかけて深い裂傷を与えたものの、骨までは到達しなかった。ミトウが刃を引いたのと同時に男は左手を開いて横薙ぎに払う。

 途端に三人のいる足場が沈み込んだ。


「あ、うそっ」


 アオイが驚いた声を上げる。地面が沈み込んだということは、即ち土壌の下にある殻が歪んだことを意味している。もし殻が割れてしまえば毒ガスが一気に噴出するだけではなく、エリア25自体が崩れ落ちる可能性もある。

 しかし、男はそれを面白がるかのように、再び地面を踏みしめた。周囲の木が大きく揺れ、枝の数本が折れる音が耳に届く。ミトウは咄嗟にカタナを地面に突き刺して踏みとどまったが、少し離れたところでアオイの悲鳴が上がる。そちらに目を向ければ、男がアオイの胸倉を掴み上げて高々と掲げていた。


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