3.エリア25
地表殻の上にある居住区は、多くのエリアに分類され、更にそのいくつかをまとめて「地区」としている。これはかつて古い世界を捨てた時に、多種多様な国や文化が衝突しないように自治区を設けた名残だった。それらは長い年月を経て変質していったが、今でも地区による特徴は至る所で目に付く。
エリア25はその点において、最も特徴があるし、あるいは無いとも言える場所だった。そこには基本的に人は住んでおらず、様々な植物が植えられている。ある一角には桜、別の一角には長春花、その隣には薔薇。元の世界から何とか運び出された植物たちが、そこで種を存続させていた。
「お前があのハリネズミを見つけたのは?」
エリア25の入口に立ったミトウが尋ねると、傍らのアオイは首を傾げて考え込んだ。
「拾ったのは薔薇のブロックだけど、その近くは毒ガスの匂いしなかったよ。それにスラッシュの言うことから推測するに、桜のブロックの方が怪しいかもね」
「かーもな。念のため、マスクつけていくか」
合成革とプラスチック繊維で作られた、毒ガスを吸い込まないための簡易マスクを二人揃って顔につける。鼻より下を覆うのは一緒だが、微妙にデザインが異なるのは単に双方の好みの差だった。生活必需品として流通している防毒マスクは、多種多様なデザインや機能があり、専門の職人も存在する。
「桜は西側、っと。ここ広すぎて偶に間違えるんだよな」
「そう? 結構わかりやすいと思うけど。ミトウったら、方向音痴なんじゃない?」
無邪気に言うアオイに、ミトウは舌を突き出して見せた。
空は薄暗く、空気も肌寒い。桜の花が散る頃には段々と温かくなってくるが、まだこの時期は夜になると冷え込むことが多かった。
「そういえば、今日は花曇りだな」
歩きながらミトウが言うと、それにアオイが疑問を投げかけた。
「何それ?」
「桜の花が咲く頃の曇りをそう言うんだよ。その時期は気候が安定しないから……とか、そんな理由だった気がする」
「でもそれ、昔の話でしょ。それもニッポンの。今はジジョーが違うよ」
「味気ないこと言うなって」
自分たちが今、かつての世界のどこにいるのかはわからない。踏みしめる土と殻の遥か下には、本物の大地がある筈だったが、それが何と呼ばれていたかなど一部の学者を除いては誰も知らないし知ろうともしない。
「サムライだの桜だの武士道だの、よくやるよ。ボクには全然理解出来ない」
「別に理解してもらうためにやってない。……っと」
ミトウは道の前方に何かを見つけて立ち止まる。何か黒い塊が行く手を遮るように通路の中央に陣取っていた。アオイがそれを見て「わぁ」と明るい声を出す。
「イプレスタ!」
「いぷれすたぁ?」
名前らしきものを呼ばれた黒い物体は、アオイの方に一直線に駆けてくる。灯りと坂道のために大きく見えていた体躯も、近づいてみれば両手で抱え込めるほどしかなかった。
しなやかな体、大きな光る金色の双眸、そして金属で出来た長い尻尾。まだ若い黒猫は、アオイの足元にすり寄って甘えるような声を出した。
「この前、エリア7で見つけたんだ。尻尾が腐って骨だけになってたから直してあげたの」
「あんまり想像したくないな」
「元気だった、イプレスタ?」
アオイの声掛けに応じるように、猫は喉を反らして短く鳴く。だがそれを抱き上げようとしたアオイの手を逃れるように離れると、二人の右斜め前へと回り込んだ。黒く塗装された尻尾を左右に揺らし、再び鳴き声を上げる。
「あらぁ? ついてこいって言ってんのかね?」
「猫の恩返しー。鼠貰えるかも」
二人が近づくと、猫は道案内をするかのように先に歩き出した。バランスを取るために左右に揺れる尻尾が、どこか誇らしげにも見える。
「このまま進むと、桜のブロックの裏手に出るな」
「そっちに何かあるのかもよ」
静かに歩く猫に倣い、それぞれ慎重に歩を進める。背の低いアオイはまだしも、ミトウの場合は武器も持っているので少し困難だった。
数分ほど歩き続けると、不意に振動を伴う音が聞こえた。猫が足を止めて、音の方向に首を向ける。「ほら、あれですよ」と言わんばかりに尻尾で地面を何度か叩いた。
「これは……木を叩いている音か?」
「いや、地面だね」
首に掛けていたゴーグルを引き上げて目に当てたアオイが呟く。ゴーグルの表面には蠢く影が映っていた。
「桜ブロックの横で、地面をボコボコ叩いてる馬鹿がいる。多分、そこから毒ガスが漏れてるんだね。毒ガス欲しさに地面割ろうとしてるのかも」
「適合者でも馬鹿なのと賢いのがいるけど、割とぶっちぎりの馬鹿だな。そいつ片づけて、毒ガスの穴も塞ぐとしよう」
「オッケー。イプレスタ、ありがとうね」
アオイがそう言うと、猫は見送るように尻尾を振った。
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