2.サムライの師弟

 機嫌よく店内に戻ったミトウを待ち受けていたのは、いくつかの称賛と拍手だったが、それに混じってアオイの戸惑ったような表情があった。それを見たミトウは疑問を出すべく口を開いたが、声を出す前に表情そのものを凍り付かせる。アオイの隣にいる女の存在に気が付いたためだった。


「なんだ、あの音は。もっと澄んだ音を出して振れるようにならねばならんと言っているだろう」


 バー特有の脚の高い椅子の上で、その女は胡坐をかいていた。長い金髪を一つに編んで、耳より低い位置でまとめている。くすんだ金色は、若いころはさぞ美しかったであろうことを匂わせていた。


 年の頃は五十半ば。第三管理区によく見られる琥珀色の瞳は、いつものように鋭く光っている。伸びた背筋に鍛えられた体もさることながら、一層目を引くのは彼女の顔を走る一つの傷跡だった。右目のすぐ横から頬を斜めに走り、唇の上に深い痕を残しながら顎にまで及んでいる。

 ミトウが暫く黙っていると、女は不機嫌に吐き捨てた。


「返事」

「はい! ……えーっと、何で師匠がこの店に?」

「お前の許可がないと入れない店なのか」

「そういうわけじゃないけど、ビックリするじゃないですか」


 女の座る椅子には、ミトウと同じロッドが立てかけられていた。と言っても基本的な機構が同じだけで、長さは全く違う。ミトウのものが一メイトル程度であるのに対して、女のは更に五十センメイトル長かった。


「お前に仕事を任せようと思ってな。……此処のおすすめは何だ」

「蜂の子のアーリオオーリオ」

「ではそれを貰うか」


 女は店員を呼び止めて注文をする。この店は注文毎に支払いをするシステムとなっており、すぐにその場で金額が提示された。


「バタイは使えるか?」

「はい、各種マネーシステムに対応しています」


 若い男の店員が愛想よく言いながら、清算用のカード型パネルを差し出す。そこに表示されている金額を確認してから、女は手首に嵌めたバングルを翳した。パネルが白く輝いて清算完了を知らせる。

 やがて運ばれてきた皿には、丸々と肥えた蜂の子をニンニクとオイルで炒めたものが盛りつけられていた。唐辛子が一つ、飾りとして載せられているのを除いてから女はそれを口に運ぶ。


「なるほど、良い味だ」

「酒が進む味でしょう?」

「若造が酒を語るな」


 この世界の主要な食材は昆虫である。遥か昔には牛や豚などの肉が使われていたと言われているが、それらの家畜は毒ガスによって死んで行き、僅かに生き残った種は最高級品として限られた市場にしか出ていない。

 ミトウが皿に手を伸ばすと、女はそれを叩き落とした。


「エリア25に行って欲しい」

「25?」

「そうだ。なんだ、嫌か?」

「いや、丁度行こうと思ってたんですけど……」


 ミトウは横にいるアオイを見る。アオイは慌てたように首を左右に振った。要するに師である彼女がこの話を持ってきたのは偶然ということになる。


「アオイの話じゃ、穴が空いてるって。それの関係ですか?」

「馬鹿弟子、私がお前に穴埋めを頼むとでも思っているのか」

「でも師匠、偶にギャンブルで大損すると、よくわからない仕事持ってき……」


 女はその台詞を最後まで言わせなかった。右手で蜂の子を食べながら、左手でミトウの顔面を握るように掴む。入れる力は最小限、与える痛みは最大限。その攻撃にミトウは思わず悲鳴を上げた。


「余計なことを言うな、馬鹿弟子。サムライとは寡黙を良しとするものだ」

「師匠の場合は口は寡黙でも手足が煩い……」

「次は目を抉って、代わりに蜂の子を詰めてやるぞ。仕事というのは凶暴な適合者の排除だ。あのエリアが桜の名所であることは知っているな? 来週からは大規模な祭りも開かれる」

「サクラフェスティバルでしょ。あの主催者のオジサン、ミス・ヴァーミットの知り合いじゃなかった?」


 アオイが横から口を挟む。女は口角を持ち上げて匙の上に乗った蜂の子を舐めるように食べた。


「義肢屋のオチビちゃん。その呼び方はやめてくれと、前からお願いしている筈だ」

「ごめんなさい。じゃあ、スラッシュ」


 素直に謝って言い直すと、ヴァーミットはそれに是とも否とも返さずに話を続けた。

 「スラッシュ」とは彼女の顔の傷に因んでついた仇名である。その傷の由来についてはいくつもの憶測が飛び交っているが、本人はそのいずれにも反応を示していない。

 少なくともミトウが彼女に弟子入りした時には既にその傷はあった。


「凶暴な適合者が桜の木を引っこ抜いたり折ったりしているらしい。もしかしたら穴が空いたのも、その脳味噌まで毒ガスに染まった奴の仕業かもしれない」

「そいつを捕まえろってこと?」

「さぁ、細かい指示はなかったからな。要するに桜並木がボロボロになる前に、そいつを排除すればいいらしい」


 ふぅん、とミトウは呻くような声を出しながら、残り少なくなったグラスを手にした。


「桜祭りが無くなるのは困るな。サムライの生き方は桜に似たりって言いますからね」

「桜の潔い美しさは、我々の目指すところでもある。適合者なんぞの憂さ晴らしに使われては堪らん。義肢屋の野暮用と一緒でもいいから、さっさと片づけてこい」


 ヴァーミットが椅子の上で足の位置を少し変える。両足についた義足が軋む音がした。

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