カナリヤが鳴くとき
淡島かりす
1.ハリネズミと義足
「いや、こりゃねぇわ」と、その生き物が人語を発することが出来るならば、そう言っているに違いなかった。尖った鼻を上下させ、丸い瞳を可能な限り歪ませ、背中に生え揃った無数のトゲを揺らし、ハリネズミは足踏みをする。動物にあるまじき金属音が何度も発せられた。
「センスがない」
ハリネズミの気持ちを代弁するように、ミトウはカウンターに頬杖をつきつつ言った。二十歳になったばかりの肢体は鍛えられていながらも華奢な印象を与え、無造作に束ねられた茶髪は、手入れを碌にしていないにも関わらず艶を保っている。少年らしさを色濃く残す童顔に、切れ長の一重と長い睫毛が第五管理区出身であることを主張している。
頬杖を突いた左腕には羽ばたく蝶のタトゥーが刻まれているが、右腕にはそれはない。そもそも生身の腕ですらなく、機械仕掛けの精巧な義手がついていた。その右腕を伸ばして、ミトウはカウンターを歩くハリネズミの「足」に触れる。蜘蛛のように細長く作られた義足は、それを嫌がるかのように前後に揺れた。
「なんだよぉ」
右隣りから間延びした声が上がる。恐らくは不満を乗せたつもりだろうが、柔らかい声質のために子供が駄々を捏ねているかのようだった。
「ボクの義足に文句つけるの?」
「見てみろよ、このハリネズミの顔ぉ。絶対に文句たらたらだぜ?」
蜘蛛とハリネズミの融合体のようになった生き物を指さして言えば、横から手が伸びてそれを攫って行った。小柄な体には少し不釣り合いな長い指をしている。
「仕方ないんだよ。本来の足の長さじゃ駆動部が搭載出来ないんだから」
緑がかった銀髪をショートカットにし、大きな防塵ゴーグルとネックウォーマーを首に掛けたアオイは、痩せた体に似合いの細い頬を膨らませた。薄汚れたツナギの上半身だけを脱いで腰に縛り、黒いブーツは今は片方だけ脱いで床に落としている。
駅から少し離れた飲み屋街にある小さなバーは、平日だろうと休みだろうと特別な日であろうと、いつも適度に客入りがあり、賑やかしさの一歩手前を保っていた。
「キャタピラにすればいいだろ。作り慣れてるんだし」
「可愛くない」
「今の方が可愛くねぇ」
アオイはもう一度頬を膨らませてから、ハリネズミの体から義足を取り外した。本来なら四本ある足が欠損したげっ歯類は、自力では立ち上がることも出来ず体を丸めてカウンターの上に転がる。
ミトウは酒のつまみとして出されたナッツを一つ、その口へと差し出した。先ほどまでの不機嫌を忘れたように、ハリネズミはナッツを口に頬張る。
「で、こいつは何処で拾ったんだ?」
「エリア25。そこに穴が空いてるみたいだね。この子はその近くに巣があったんだと思う」
アオイは腰に巻いた整備用機材の入ったベルトから、チューブの軟膏を取り出して中身を指の上に出した。ハリネズミの足に痛々しく残る縫合痕に、優しくそれを塗り付ける。
「毒ガスの影響を思い切り受けちゃったみたいでさ、足が腐っちゃってたから」
「穴はどうしたんだよ」
「とりあえずこの子を病院に連れて行くのが先だったし、後で埋めに行こうかなって」
「じゃあ俺も行くかな。今日は曇りだから、ガスもそこまで出ないだろうし」
ミトウがそう言った時だった。店の表が俄かに騒がしくなる。怒鳴り声が二種類混じりあい、店内に流れていたパンクオペラを台無しにした。アオイはお気に入りのソプラノ歌手のシャウトが聞こえなくなったために眉間に皺を寄せる。
「何?」
「喧嘩だな。煩いから黙らせてくる」
そう言ってミトウは足元に立てかけていたクリスタル製の棒を手に取った。周囲はそれを見て左右に道を開ける。常連が多いこの店では、ミトウのその行動が何を意味するか知っている者が殆どだった。
『バンティカル』の出入り口から一歩外に出ると、鼻を突く刺激臭が漂っていた。ミトウはその臭いの方へ視線を向ける。先ほどまでの怒声の合奏は、今は怒声と悲鳴の二重奏と化していた。両腕に金属製の義手をつけた男が、自分よりも体躯の大きな相手を容赦なく殴りつけている。興奮して紅潮した顔に恍惚としたものさえ浮かべ、自分の腕が生み出す光景に満足しているかのようだった。
「適合者か」
ミトウは特に感動もなく呟いた。
この世界では、義肢付きの人間や動物は珍しくない。生まれた時から持たない者もいるし、成長するにつれて失う者もいる。それは全て地下にある「毒ガス」のためだった。
何百年か何千年かの昔、第八次世界大戦で各国が持ち出したのは毒を使った最終兵器だった。参戦国の全てが同じタイミングで別種の毒ガスミサイルを使った結果、複数の化学反応が生じて未知の毒ガス「ラスト」へと変質した。ガスは瞬く間に世界を覆い、人々は必死になってそれから逃れた。
水素から形成された膜や金属製の殻を駆使して世界を閉じ込め、そしてその上に居住区を作った。人類は人類が作ったものに敗北し、地表殻や地中膜の隙間を狙って漏出するガスに怯えて暮らすしかなくなった。
「おい、そのへんにしとけよ。死んじまうぞ?」
ミトウがそう言うと、両義手の男は血走った眼で睨みつける。首や腕に不自然に血管が浮かび、筋肉を膨張させていた。
地中から漏れ出す毒ガスが生き物の体を蝕む一方で、それに耐性を持つ者も現れた。ラストには体組織に変化を与える成分が含まれており、通常であれば体が腐り落ちたり壊死してしまうのだが、稀に人体強化の方向に働くことがある。そのような体質の者は「適合者」と呼ばれていて、犯罪を犯す傾向があることから問題視されていた。
「こいつが、ぶつかってきたんだ」
「話し合いで解決しろよ。世の中、ラブアンドピースだろ?」
ミトウは右手で握った透明な棒を軽く振った。義手に仕込まれた振動モーターによりナノレベルの糸状繊維が一斉に動き、一瞬で棒の形状を変化させた。人工クリスタルで出来た片刃剣。緩やかに反った刀身は、向こうの景色を見通せるほどに透明度が高い。刃を横に構えたミトウは、両目を鋭く細めた。
「と言っても、お前には関係なさそうだけど」
足で地面を蹴り、男の間合いへと飛び込む。そして刀を右上から左下に向けて振り抜いた。風切り音と共に、ミトウの髪が宙に揺れる。男は突然斬りかかってきたことに一瞬戸惑ったような顔をしたが、すぐにそれを怒りに変えて拳を振り上げた。だがその体が大きく横に揺れ、拳は空しく宙を掻く。地面に無様に転がった男は、すぐに立ち上がろうとしたが、それは叶わなかった。
義手の側面に大きな亀裂が入り、まるで柔な紙を割くかのように真っ二つに分離する。派手な音を立てて地面へ転がった「義手であったもの」を男は信じられないような目で見ていた。
「あららぁ、壊れちゃった? もっといいもん作ってもらえよ」
ミトウは軽い口調でそう告げて、踵を返した。喧騒を聞きつけて集まってきた野次馬は、無様な男を嘲ったり、あるいは先に殴られていた男の介抱をしたりと、各々好きなように動き始める。この辺りを取り締まる警邏隊が来るまではもう少し時間がかかりそうだった。
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